2019-02-24

読んだ本,「穴あきエフの初恋祭り」(多和田葉子)

 多和田葉子の短編集「穴あきエフの初恋祭り」(文芸春秋 2018)を読了。「胡蝶、カリフォルニアに舞う」,「文通」,「鼻の虫」,「ミス転換の不思議な赤」,「穴あきエフの初恋祭り」,「てんてんはんそく」,「おと・どけ・もの」の7つの短編が収められている。表題作の「穴あきエフ」はアナーキーなキエフ,だろうか。
 
「文通」は「文学界」に掲載時に既読だが,それ以外は初読である。初出は2009年~2018年と幅がある。最近の2作(「胡蝶~」,「文通」)はそれぞれ単独で読むと,多和田葉子の世界そのものですとん,と腑に落ちる感覚なのだけれど,2010年の「てんてんはんそく」や2009年の「おと・どけ・もの」と同時に読むと不思議な違和感がある。

 何だろう,これは。そして2作を読み返してわかったことがある。「胡蝶~」はその不思議な展開の最後に,「これは夢の中のお話」,そして「文通」には「これは文中小説の筋」というオチがついているのだ。

 そのままでいいのに,と思ってしまう。読者は多和田葉子に導かれて運ばれていく,そしてそこに放り出される。それを愉しむのが彼女の小説の醍醐味のはず。昔の方がよかったのになあ,などと言いたくはないけれど(オチをつけてほしいという声が多いのかとも邪推する),短編に関する限りは最新作を追いかけることはもうしないかな,とも思う。

 「おと・どけ・もの」のラストで荷物の配達人が階段を昇ってくるところ。「耳を澄ますと,すすすと絹の衣が檜の床を撫でるような音,実際はコンクリート,それから間があいて,ポンと鼓を打つような音,それからまた,すすす。恐ろしくゆっくりで,なんだかこの感じ,お能のように優雅な苦痛に満ちて,死者たちが戻って来るのか,不思議な脳波が起こりつつある,眠たくなるような,気持ちのよい,それでいて,気持ちの悪い,くらくら酔う,酔う(後略)」(p.149) 

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