1972年発行の新潮文庫「安土往還記」を書棚から引っ張り出して再読したのは,ある集まりで「歴史小説」を紹介する,というお題が与えられたから。「歴史」を描いた小説の魅力は,そこに描かれた人間の姿じゃないかしらん,ということで辻邦生しかいないだろう,と。
とはいえ,辻邦生なら「嵯峨野明月記」も「天草の雅歌」も,「背教者ユリアヌス」や「春の戴冠」や「フーシェ革命歴」などヨーロッパを舞台にしたものも魅力的だ。さんざん悩んだ挙句,薄くて読み通すのが苦にならない分量のこの1冊に決めた。
語り手は,宣教師を送り届ける目的で渡来したジェノヴァ生まれの船員である。彼が見つめるのは「尾張の大殿(シニョーレ)」即ち織田信長。このキーワードだけで,一気に辻ワールドが目の前に広がる。そして,裏切られない。
この小説の描く織田信長の姿は,信仰を持つことなく,この世の道理を追求し,自らに課した掟にどこまでも忠実に生ききる。教科書で学ぶ人物像とは似て非なるその姿を通して,読者たる私は,彼の「生」が,そして「人間の生」がいかに高貴なものであるのかを知るのである。
初読はもう数十年も(!)前のこと。楽もあれば苦もある年月を生きて再読した今,昔ほどの感激はないのが正直なところ。しかし,忘れていた何かが心の奥底で疼く,そんな思いで読み終えた。そして蛇足ながら。風邪をひいて件の集まりには出席できなかった。
「私は彼(大殿)のなかに単なる武将(ジェネラーレ)を見るのでもない。優れた政治家(レピユブリカーノ)を見るのでもない。私が彼のなかにみるのは,自分の選んだ仕事において,完璧さの極限に達しようとする意志(ヴオロンタ)である。私はただこの素晴らしい意思をのみーこの虚空のなかに,ただ疾駆しつつ発光する流星のように,ひたすら虚無をつきぬけようとするこの素晴らしい意思をのみー私はあえて人間の価値と呼びたい。」(p.88)
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