馴染みの書店の催事コーナーで時々,ボタニカルアートの販売会をやってるのをちらちら見かけることがあります。ルドゥーテのバラの豪華な額装画などは,ほんとにきれいだけど,マダムの居間を飾るインテリア然としてあんまり好みじゃない(←手が出ないというだけ)。この日はたまたまテーブルに並んでいる額装が目に入って足を止めました。おおお。大好きな時計草。
そして,この構図。確かに見たことがある! 自ら収集家だという担当者の説明も上の空で家に飛んで帰って,書棚へ直行。澁澤龍彦の「フローラ逍遥」のページを繰るのももどかしく,時計草のページを開く。おおお。まさにあの1枚!
落ち着け,と自ら言い聞かせて,まずはネットで情報収集(←お値段を確認したというだけ)。というか,ほとんど流通してない。紙の状態もとてもよかったので,ややお高めではあるけれど,これを逃す手はなさそう。ということで翌日,書店へ飛んでいって手に入れました。いやあ,うれしい。
「フローラ逍遥」によれば,16世紀の末ごろ,南米に渡ったスペインの伝道師たちがこの花をパッションフラワー,「キリスト受難の花」と名付けたのだという。それにならって澁澤がこの花を描写してこう書いている。「じっと眺めていると,トケイソウの裂けた葉は刑吏の槍に,のびた巻きひげは鞭に見えてきた。花の中心にそそり立つ子房の柱は十字架に,三本の花柱は,キリストの両手両足に打ち込んだ三本の釘にそっくりであった。(中略)花の白い部分は純潔,そして青い部分は天国にほかならなかった。(後略)」(p.135「時計草」より)
不安な気分の続く日々,疲労の濃い夜更けにこの一葉を眺めていると,何か背徳的な気分がしてくるのです。そう,覗いてはいけない世界をこっそりと見ているような。
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