人が,こことは違う世界への入口を言葉に捉えた瞬間に産まれるもの。それが詩であるとするなら,小野正嗣が描くフェリー乗り場や湖畔や診療所はもはや現実に存在するものでも小説世界の創造物でもない。詩そのものなのだと思う。
「詩人に会う約束をした。」という一文で始まる「港のそばの小学校で」は,元教師の詩人と会えない「僕」の心の声が綴られる。それは詩の言葉を紡ぐ苦しみとも思えるものだ。「老婆が通り過ぎるあいだ,開いたページに視線を埋没させる。/しかし文字は逃げていく。/ページが空っぽになる。/詩人の声も見失う。」(p.114)
NHKの美術番組でほぼ毎週見ているからだろうか。妙に親近感というか,その人となりを知っているような気がしてしまい「誠実な人柄の小説家」と思いこんでいる節があるが,ふとした瞬間に伝わってくるどこか捉えようのない(何を考えているのかわからない,と言ってしまってもいい)作家の顔が透けて見える。そんな書物。この人の書くものをずっと追いかけよう,と心に決める。
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