2013-02-09

届いた本,「小島一郎写真集成」

 「小島一郎写真集成」(インスクリプト,2006)を注文してからしばらく待って,昨年末に受け取りました。思ったよりもずっと重い,大部の写真集。ゆっくり眺める時間ができてからページを開こうと思っているうちに,あっという間に時間がたってしまう。
 
 厳選された写真が9点並んでいた「実験場50s」展を見ただけではわからなかったけれど,時系列に沿って写真家の仕事をたどっていくうちに,「下北」のハイコントラストの荒々しい写真は,彼の「抒情」の行き着いた地点ではないかと気付く。それは,「津軽」の作りこまれた空や,ミレーの絵画のような,と形容されるピクチャレスクな構図を持つ写真群を否定して生まれたものではなく,それらを自身の生をかけてどこまでも追求して生まれた「抒情の果て」なのだ,と思えてくるのです。

 写真集には高橋しげみ氏による「北を撮る:小島一郎論」が掲載されています。「ローカリティ」と「モダニズム」の問題,小島の東京への指向と挫折,木村伊兵衛による批判など深い示唆に富み,写真を見る/読む人に多くのヒントを与えてくれます。

 小島一郎自身による「私の撮影行」(「津軽 詩・文・写真集」(新潮社 1963)からの転載)では,十三村での撮影を振り返り,「ただ荒涼とした雪の浜辺に侘しい萱ぶき屋根の家が点々とするだけで,日本海から吹き寄せる強風のなかで,やっとわが身を支えているような恰好であった。何ものをも失い,白い大地にへばりついている姿,それはそのまま私自身の姿のようでもあり,あるいは又生きようとする人間の執念の姿かもしれないと思った。」(p.227より引用)と記されています。

 ページを何度も繰りながら,一人の写真家の命がけの仕事が語りかけてくる言葉=詩に耳をすます。

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