物語の通底奏音となるのは,1987年秋にはじめての本を出版した「わたし」がエルベ川沿いの窓に「ここで直接購入できます」という紙を貼っていたところ,プレゼント用に購入したいと訪ねてきた一人の男の存在。リボンを探している間,家の中に招き入れたその男は,財布を忘れたと言って本を受け取らずに立ち去るのだが,1年後に「わたし」はその男からの手紙を受け取る。そこにはあの日,殺人を犯した自分は警察に追われていて窓の貼り紙を見て身を隠そうとした,今は刑務所で日本語を学んでいる,「わたし」の返事を待つと書かれている。
さまざまな罪を犯した人々と「わたし」とのやりとりの記録=記憶をたどりながら,作家が読者を最後に導くのは,「犯人」と「被害者」と「語り手」と「読み手」の境界がぼんやりとした,曖昧な輪郭の「雲」のような世界。後半のマヤとベニータという女性と「わたし」の話は本当に怖い。読み終えて,読者である「私」は一体どこにいるのか,と呆然と立ち尽くす。
「それにしても体験話というものが何度も繰り返し話しているうちに嘘になって熟していくのはなぜだろう。嘘をつくつもりなど全くなくても,語りの滑走路を躓かないように走るには,まばたきするくらい短い時間内で「記憶の穴」を埋めていかなければならない。(略)我を忘れて埋めていく嘘の部分。ひょっとしたら,そこにこそ,わたしの「わたし」が隠されているのかもしれない。事件を起こしたのはわたしではないが,穴を埋めるのはわたしだからだ。」(p.6より引用)
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