店頭にも「みづゑ」のバックナンバーがワゴン売りされていましたが,澁澤龍彦によるハンス・ベルメールの記事が掲載された1968年11月号は澁澤本として店内の棚で別格扱い。鮮やかな表紙絵に吸い寄せられるように手にとると,おや,これは瑛九ではないか!特集は「生きている前衛 瑛九」です。2011年の埼玉県立近代美術館「生誕100年記念 瑛九展」がとても面白かったので,迷わずレジへ直行。500円。
難波田龍起による寄稿や,池田満寿夫,オノサト・トシノブ,早川良雄,細江英公の4人による対談など,1960年に亡くなった瑛九の活動を「前衛」というキーワードで振り返る特集。さすがに半世紀近く前の雑誌なので退色や傷みはありますが, それがまた時代の雰囲気をそのまま伝えているようでわくわくします。これだから古書店めぐりはほんとに楽しい。
2011年の展覧会では油彩やフォト・デッサン,版画などだけでなく,文筆家としての瑛九の活動を紹介する数々の評論なども展示されていました。1953年に神奈川県立近代美術館で開催されたクートーという作家の個展の評が,何というか実に痛快で心に残ります。
「クートー展の会場に足をふみいれたとたんに,ぼくの心の中で座をしめているはっきりしない低俗な習慣的な感情がぐーとおしかえされるのを感じた。」で始まる一文は「低俗,習慣こそ拒否する」というタイトル(『社会タイムス』1953年2月3日/瑛九展図録P40掲載)。「低俗な習慣的なもの」の例として「正直でなければなりません」,「ざんこくであってはいけません」,「自然にさからってはいけません」などを挙げ,「このような保守的な,所有的な感情はつねに現状維持か,過去への退きゃくにもって行くための有力な道具である」と切り捨てるのです。痺れます。
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