マリオ・ジャコメッリの写真を見てきました。東京都写真美術館の地階を使って,ドラマチックな展示の写真展。2008年に同じ写真美術館で初めて見た写真家です。ハイコントラストのモノクローム写真が鮮烈な印象で,前回の写真展はとても高い評判だったように思います。
今回は前回紹介されなかったシリーズを加えて「作品数を218点と大幅に増やし作家の本質へ切り込む展覧会」(展覧会チラシより)とのこと。印象深い「神学生」のシリーズはもちろんのこと,抽象的な写真のシリーズも「白」と「黒」の世界が圧倒的に美しい。小島一郎の写真を見たときも思ったのだけれど,暗室でこうした写真を作りこむ行為は,言葉をそぎ落として詩を作る行為に似ているのかもしれない。ここにも一人の写真家の「抒情の果て」=詩があるのだなあ,とそんな風に思う。
ショップに立ち寄ると,図録や写真集に混ざって「コルシア書店の仲間たち」(須賀敦子,文春文庫)が置いてあり,おやと立ち止まる。手に取ってページをめくると第2章にあたる「銀の夜」の冒頭に,ジャコメッリの神学生のシリーズの1枚が登場し,タイトル「私にはこの顔を撫でてくれる手がない」(展覧会の表記による)がダヴィデ・マリア・トゥロルドの処女詩集の冒頭部分であると書かれています。
帰宅して急いで書棚の前で,時が経つのを忘れて須賀敦子の本を何冊もひっくり返す。「コルシア書店の仲間たち」に引用されているダヴィデの詩句は「わたしには手がない/やさしく顔を愛撫してくれるような…」となっています。
須賀敦子はダヴィデを,「よくも『わたしには手がない』なんていえる,と友人たちがからかった,農民の父母からうけついだ,野球のグローブみたいに大きな手」とユーモアのある美しい文章で表現し,やがて疎遠になっていくその修道僧であり詩人である人の思い出を語るのです。
須賀敦子の訳による「イタリアの詩人たち」(青土社)にこの詩人が紹介されているかな,と思いましたが残念ながら,ウンベルト・サバやジュゼッペ・ウンガレッティなどの中にダヴィデの名前はありませんでした。図録を購入していないので,ジャコメッリとダヴィデの関係や親交はよくわかりません。写真展を見て,思いがけず須賀敦子とイタリアの詩人たちの詩を夢中で読み返していた時間,私は無邪気に踊る神学生たちと同じ表情をしていたかもしれない。
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