身辺に変化があって,気忙しく動いたのち,突然の少なからぬ喪失感に呆然とした時間を過ごしていました。外的な要因によって習慣化した身体の動きが,その要因が切断された途端,無重力に放り出されてしまったような感覚です。もっとも,この感覚にも割と早く適応した感じ。
少し時間に余裕ができて,美術館や劇場へと,しばし時間を楽しもう。まずは浅草へ。新春浅草歌舞伎を見てきました。最初の演目は昨年のドラマでの活躍であまりにメジャーになってしまった片岡愛之助で「義賢最期」。舞台に登場するだけでぱあっと華やかな存在感です。戸板倒しや仏倒しの立ち廻りに,観客席からは歓声とも悲鳴ともつかない声があふれます。何年か前に新橋の3階席で海老蔵の同じ役を見たけれど,今回は1階席で見たので,そのアクロバティックな動きの迫力と言ったら!
次の演目は猿之助で「上州土産百両首」。少し前の新聞評で「大衆演劇路線」と書かれていました。「大衆」向けの演劇という定義がよくわからないのだけれど,歌舞伎だって大衆が楽しむものなのだし,このお芝居のような人情ものが「義賢最期」と組み合わせで上演されるというのは歌舞伎ファンには楽しみなもの。なんとなく揶揄する論調だった新聞評が意地悪く感じられました。
ところで,このお芝居は初演は昭和8年で,歌舞伎座再演が平成6年。原案がO. Henryの「After Twenty Years(二十年後)」という短編なのだとか。ネットでも読めるごく短い短編なので読んでみました。正太郎と牙次郎がBobとJimmyというのが何となくおかしいけれど,原作は「20年という時間」が物語の中心で,歌舞伎版ほど「二人の20年にわたる友情」が描かれているわけではありません。「上州土産百両首」は,日本人が書いたらこの二人はどうなるか,という話といえそうです。
何にせよ,江戸の浅草を舞台にした猿之助と巳之助の二人の熱い友情のお話,最後は客席のあちこちからすすり泣きがもれ,これぞ人情ものというお芝居を堪能した午後。
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