光文社古典新訳文庫は数年前にドストエフスキーの新訳がブームになって以来,ときどき面白そうなものを読んでいます。浦雅春訳のゴーゴリ「鼻/外套/査察官」(2006)もその1冊。
この新訳版は,「落語調」で翻訳してあります。たとえば「外套」の冒頭は「えー,あるお役所での話でございます…。まあ,ここんところはそれがどのお役所であるのかは申し上げないほうがよろしいでしょうな」(p69より引用)。追剥(おいはぎ)にあって外套を奪われる場面は「『こいつあ、おれの外套だ!』一人の男が襟首をむんずとつかまえ,雷のような声で呼ばわった」(p111)という具合。
ちなみに1980年刊行の「世界文学全集32ゴーゴリ」(原卓也訳,集英社)では,それぞれ「ある役所に……だが、どこの役所かは言わぬほうがいいだろう」(p373),「『おい,これは俺の外套じゃないか」一人が彼の襟をつかんで,われ鐘のような声で言った」(p391)と訳されています。
訳者あとがきによると,ゴーゴリの「語り」が噺家の語り口にそっくりで,独特の物の見方や想像力,増殖する妄想といった彼の魅力を伝えるためにこの文体を選んだのだということ。
若いころ読んだ「外套」は,みじめで暗い小説というイメージでしたが,この「落語調」はおかしくて切なくて読後はぞくり。なるほどゴーゴリはこういう風にも読めるのか。ただし,訳者のあとがきによると,ゴーゴリ落語訳は独創ではないそうです。(実際の落語の口演用に訳されたことがあるそう。)
21世紀東京の電車の中で19世紀ロシア小説をべらんめい調で読む,というのもなかなかシュールな体験。というところで,おあとがよろしいようで。
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