過日,日仏会館で開催された加藤周一記念講演会にでかけてきました。第1部が映画「しかしそれだけではない。 加藤周一 幽霊と語る」の上映と澤地久枝氏のコメント,第2部に奥平康弘氏による講演会「加藤周一と日本国憲法」という構成。秋バテ(という言葉があるのだそう)ですっかり体調を崩してしまい,前半の映画上映のみに参加して中座しました。なので,映画を見にでかけた,というのが正しいところ。
この映画は2009年の公開時から見てみたいと思いつつも,何かとても高い壁のようなものが厳然と私の前にそびえ立ち,ためらううちに時間ばかりが過ぎていったのでした。
「決して意見が変わらない」幽霊たちと語り,カメラを見据えて言葉を発する加藤周一氏の眼差しは鋭く,怖ろしい。しかし,何も知らず/学ばずに無為に年齢を重ねている観客である私を,決して見捨てることはせずに厳しい言葉で導いてくれているような気がします。
「一個人の意識が全世界に意味を与えるのだ。一人の人間に何ができるのか,どうせろくなことはできやしない,などということはない,全世界に意味を与えるんだ」と語るとき(記憶を辿りました,氏の言葉そのままではありません),鼻の奥がつんと痛くなる感覚に陥る。
氏の膨大な著書を読みこなすことなど到底かなわず,朝日新聞に連載されていたコラム「夕陽妄語」を理解するのも精一杯。ジャクソン・ポロックの「美」から語り起こした1999年のコラムの切り抜きは今も大切に保存しています。「富士山とマッターホルンのどちらが美しいか。その答えは,山の形の分析からは出て来ない。異なる歴史的文化の高山に対する態度のちがいが,またそれだけが,高山の美学的性質を決定し,それぞれがそれぞれのし方で美しいのである。美的経験こそは,人を文化多元主義の方へ導くだろう。」
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