フリオ・コルタサルの短編集を読む。岩波書店創業百年記念フェアとして「読者が選ぶこの1冊」に選ばれている。池澤夏樹個人編集の世界文学全集(河出書房新社)の第3集「短編コレクションⅠ」にも収録されている「南部高速道路」は何度読んでもその不思議に歪んだ時間と空間の描写に引き込まれていく。
渋滞して流れが止まった高速道路上に奇妙な共同体が形成され,秩序が生まれ,命が生まれ,人が死ぬ。そして突然車が流れ出すラスト。「ひたすら前方を見つめて走り続け」(p215)る猛スピードの車列を目のあたりにして,ここまで夢中でページを繰ってきた私は,ほっとする反面,あの共同体の奇妙な崇高さが永遠に続けばよかったのに,とも思えてくる。呆然と見送るしかない。
「悪魔の涎」は,翻訳家の主人公がパリの公園で撮った写真の1枚が突然動き始め,現実の裏側の世界を指し示す短編。コルタサルと写真の関係については,訳者の木村栄一による巻末の解説に詳しい。コルタサルが写真と短編について語っている部分は,なるほど!と頭に電球がともる。解説から孫引きします。
「写真家,あるいは短編作家は,意味深いイメージなり出来事を選び出すと,それだけを写すか,語ることになる。その場合,イメージ,あるいは出来事はそれ自体価値のあるものであり,しかも写真なり短編のなかで映像,もしくは言葉によって語られている挿話をはるかに越えたところに存在するあるものへと,見る人,読む人の知性と感受性を向かわせる一種の導入口,刺激剤としての役割を果たし得るようなものでなければならない」(p.290)
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