数年前ベトナムを旅したとき,ハノイから日帰りでハロン湾にでかけました。朝早くホテルを出発し,交通規則というものはこの国には存在しないのか,と思えるスリル満点の約3時間強のドライブを経て,湾内に浮かぶ観光船に乗って沖へと静かに進み出します。薄曇りの空に浮かぶ島々は,まさにガイドブックが言うところの「水墨画の世界」でした。
熱暑がぶり返して気力も萎える休日の夜,BSの映画番組で「インドシナ」(1992)を見る。あまりにも美しいカトリーヌ・ドヌーヴがドラゴン船に乗って登場するところから始まります。一言で言ってしまえば,フランス統治時代のベトナム(旧インドシナ)を舞台にした一大歴史ロマン。ハロン湾とそこに浮かぶ島が重要な舞台となり,歴史の残虐さも伝える幻想的な光景が映し出され,数年前にカメラ片手に興奮していたあの場所の記憶が蘇りました。旅行の前に見ておけばよかった。
多和田葉子の「旅をする裸の眼」(講談社文庫 2008)は,カトリーヌ・ドヌーヴの出演映画を追うベトナム人女性(ヨーロッパに拉致されている)が主人公の物語。13の章からなり,それぞれ一つの映画を「観る」主人公の語りによって構成されています。その第5章がこの「インドシナ」。
主人公自身がフランス語を理解できないために,スクリーンを「観る」ことだけで読者に映画の意味を伝え,読者は文字を「眼」で「読む」ことによって映画の意味を知るという体験をします。そのことは多和田葉子の小説の本質に近いところにあるのだろうけれど,やはり映画は字幕とか吹き替えとか,ほんとに「言葉」って助かるなあ,というのが実感。「旅をする裸の眼」は実は一読したときにあまり理解できなくて,映画を見てから再読してやっと面白さがわかりかけた気がします。
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