2025-03-12

2025年3月,東京目黒・上野毛,「中世の華 黄金テンペラ画」・「中国の陶芸展」

 だいぶ体調も回復してきて,行きたい展覧会がたくさんあります。まずは目黒区美術館で「中世の華 黄金テンペラ画 石原靖夫の復元模写」展を。絵を光り輝かせるために金箔と絵具を組み合わせ,装飾的な刻印を施したテンペラ画の技法を今に伝える石原靖夫氏のまさに神業のような仕事に感動。シモーネ・マルティーニ「受胎告知」の復元模写のあまりにまばゆい黄金の輝きの前に思わず釘付けになります。

 相変わらず,興味はあちこちへ飛びます。五島美術館では「中国の陶芸展」を。ちょうど去年の今頃も同じ主題の展覧会を見ました。今まで気づかなかったけれど,これは毎年の企画なのかな。昨年は鏡のコレクション展が同時開催でしたが,今年は刀剣コレクション。刀剣女子で賑わっているかと思いきや,陶芸展を見に来た客層で静かな空間です。妖しい輝きには思わず力が入ります。写真はこれしかないので後日桜の季節に差し替え予定。

 さて,稿を立てない読書の記録もここに残しておくことに。「老いぼれを燃やせ」(マーガレット・アトウッド 早川書房2024),「原爆裁判 アメリカの大罪を裁いた三淵嘉子」(山我浩 毎日ワンズ2024),「言語学バーリ・トゥードRound2」(川添愛 東京大学出版会)。アトウッドは楽しみにしていただけに,失望感が大きく残念でした。「言語学」はUPの連載をまとめたものの第2弾。こちらは抱腹絶倒の面白さ。 

読んだ本,「大統領閣下」(アストリアス)

   「大統領閣下」(アストリアス 内田吉彦訳 ラテンアメリカの文学2 集英社1984)。読書中に図書館から数冊の予約本の準備ができたという知らせが入り,何度か中断をはさみながら,随分と時間がかかったけれども読了。アストリアスは文庫本で「グアテマラ伝説集」を読んだことがあるだけで,ほぼ初読の作家である。

 「ラテンアメリカ十大小説」(木村榮一)によると,この「大統領閣下」は独裁者小説の傑作のひとつなのだという。ちなみに他の傑作は「方法再説」(アレホ・カルペンティエル),「族長の秋」(ガブリエル・ガルシア=マルケス),「至高の存在たる余」(アウグスト・ロア・バストス)などのタイトルが挙がっている。なるほど,「独裁者小説」というジャンルはラテンアメリカ文学ならでは。

 アストリアス自身が独裁者エストラーダ・カブレラとその後の軍事独裁制と対立してきたということで,この小説は自身と父親の経験をもとに書き上げられたものだという。主人公のミゲル・カラ・デ・アンヘルは大統領と妻カミーラの板挟みとなって文字通り自己を引き裂かれて破滅に至る。ほとんど表に現れずに君臨する大統領の姿は否応にも強烈な存在感を放つ。

 「十大小説」によると,特異な文体と語り口もこの小説の特徴だという。その詩的・魔術的な独自の文体は原文で読んでこそというが,読みやすい訳文からもその魅力は十分伝わってくる。残酷な場面ではあるが,死刑囚が銃殺されるこんな場面。「…続けざまに銃が火を吹きました。一,ニ,三,四,五,六,七,八,九発。なぜか私は指でかぞえていたのですが,それ以来,自分の指は一本多いのだという奇妙な感じに囚われています。」(p.208)


 

2025-02-18

2025年2月,群馬高崎(2),「英国王室に咲くボタニカルアートとウェッジウッド」展

 コンサートの翌日。朝から猛烈な強風で,ホテルを一歩出ると,歩くのはもとより立っているのもやっとです。かみつけの里博物館に「子持勾玉」を見に行こうと思っていたのだけれど,バスを待つのもバス停から10分歩くというのもこりゃあ無理だとあっさり断念しました。タクシーを使うという発想が浮かばなかったのはなんとも貧乏性ゆえ。。

 そこでというわけではなく,もう1つ楽しみにしていた高崎市美術館「英国王室に咲くボタニカルアートとウェッジウッド」展をゆっくりじっくり味わうことに。古書市や神保町の鳥海書房などで買い求めた植物画は大事な宝物なんだ。惹かれるのはイギリスのCurtis Botanical Magazineのものが多いのですが,今展は第2章がまるまる「カーティス・ボタニカル・マガジン」からの展示。英国のボタニカルアートのおいたちをたどる展示を1点1点,じっくり楽しんできました。

 展示はジェームズ・サワビーとシデナム・ティースト・エドワーズが描いた植物画が多い(というかほとんど)。図譜を見るとき,作者はあまり意識しないかもしれないけれど,やはり個性があります。私の所有するエリジウムはシデナム・エドワーズのサイン。第5章にエドワーズが同じエリジウムを描いたものが展示されていて(『ニュー・ボタニック・ガーデン』所収),なんだか嬉しくなってご機嫌で帰路についたのでした。 

2025年2月,群馬高崎(1),角野隼斗 HUMAN UNIVERSE

 角野隼斗Japan Tour 2025 HUMAN UNIVERSEを聴きに高崎へ。東京公演が取れなかったので遠征したのですが,往路の電車で同世代らしき女性ファンのグループと乗り合わせ,聞こえてくる賑やかなおしゃべりによると,複数回の地方公演遠征は当然のことみたい。海外公演も行きましょう!みたいに盛り上がってて,ワタクシはそこまでは…と内心呟いたものの,体調が良くないのに楽しみに出かけるのだから,十分にミーハーなファンですね。

 ソロ公演は2022年の仙台ぶり。前回はショパンやガーシュインに感動したけど,今回のプログラムは宇宙がテーマで壮大かつ哲学的なもの。バッハに始まり,メシアンやドビュッシー,坂本龍一,自作のノクターンなどなどに続いて最後の3曲はスクリャービン,ラヴェル,ストラビンスキー。いやあ面白かった。凄まじい速度で進化していく同時代の才能を目撃できるのは生きている悦びだなあ,と。

 プログラムにはストラビンスキー「火の鳥」に触れて,「不死や再生の象徴として語られ、循環を連想させる作品」と綴る一節に続いて,「私たちが『始まり』や『終わり』として捉えるものも,より大きな視点で眺めれば,果てしない循環の一部にすぎないかもしれません」(プログラムの一部より引用)とあって,はっとする。読んだばかりのフエンテス「聖域」で描かれた「始まりと終わりのある時間を否定すること」の意味を考えながら満月の夜道を宿へと歩いたのでした。

2025-01-30

読んだ本,「聖域」(カルロス・フエンテス)

 

 国書刊行会のラテンアメリカ文学叢書8「聖域」(カルロス・フエンテス 木村栄一訳 1978)読了。犬に変身する青年ギリェルモの物語だ。その変身は,母である大女優クラウディアへの異様な愛と憎悪の果てに起こる。この物語を青年の狂気の物語と読むのはあまりにも単純だ,と訳者あとがきにある(p.203)。

 ではどう読むか。母親の愛人ジャンカルロの運転で暴走する車の中でギリェルモは「ぼくだって生きのびたいんだ! 車を止めろ! 降ろしてくれ!」と叫ぶ。ジャンカルロの答えは「…生きのびるにはこうするよりほかにないんだ。たえず,べつの存在に変身してゆくことだ。グリェルモ,時間につかまれば,きみは殺されるんだぞ。時間には始まりがあり,発展があり,終わりがある。」(pp.155-156)

   犬に変身したことは「初めと終わりのある時間」を否定して,「新しい浄化された生存へ再生した」ことを意味するのだ…と,これは訳者あとがきの受け売りだと白状しよう。この小説の枠組みであるユリシーズの物語や,ユダヤ教が生み出しキリスト教が受け継ぎ,今もヨーロッパやイスパノアメリカで脈々と生きる「初めと終わりのある時間」の概念を理解していないと,「あまりにも単純な」読みしかできないのだ。

 しかし,単純にも「狂気の物語」として読んだ(としてしか読めない)私には,こんなフレーズがささったりする。「草原は何も知らずに,樹液をもとの土ぼこりに返そうとして注ぎこんでいる。土ぼこりはその樹液を受けてはじめて,同じように生殖を続け,太陽の表面に砂を返すことができるのだ。この砂の返却は,永遠を啓示しているのだろう。亡くなった祖父から,生きている父と生まれたばかりのぼくに相続された蔵書の場合も事情は同じだ。本を開くのは迷路の中に踏みこむことであり,出口を見つけたければ,本を投げ出すこと―つまり,それを閉じ,忘れるーことだ。」(pp.76-77)

 蛇足ながら,この国書刊行会のラテンアメリカ文学叢書は装幀がとてもカッコよくて,古書市や古書店で見つけると購入している。見返しのドローイングは中西夏之によるもの。たまりませんな。

2025-01-28

2025年1月,東京町田,「イコンにであう」展

 1月に出かけた展覧会をもう1つ忘備として。町田の玉川大学教育博物館に「イコンにであう -キリスト教絵画のみかた-」を会期の最終日に見に行く。10月からの長い会期で,ずっと行きたいと思いつつ,広大なキャンパスのアップダウンを考えて二の足を踏んでいた。これは行かないと後悔すると思い立って最終日に駆け込んだというわけ。

 ロシアとギリシアのイコンを中心に,同大学のコレクションの優品55点がずらりと並ぶ展覧会は静かに深く心に沁みる。展示は5つのセクションで構成され,第1章はイエス・キリストの生涯,第2章が聖母マリヤの姿。どの一つも,人々の信仰生活と密接に結びついた強さが伝わってくる。「薔薇の聖母」(ロシア 17世紀)の圧倒的な様式美。「真善美」という言葉を具現化したものがここにあるのだ,と実感する。

 ところで,この展覧会も私の遠い記憶を呼び覚ます。2010年5月にロンドンとパリを訪れた際,ルーブル美術館に特別展のSainte Russie(聖ロシア展)を見に行った。イコンもたくさん見たし,精緻な工芸もたくさん出陳されていた。フランス語の図録を購入したのが悔やまれる。英語版を買えばよかったな。2冊の図録を手にとってゆっくり眺めていると,やっぱり出かけてよかったと思うことしきり。

2025-01-24

2025年1月,東京六本木,「ルイーズ・ブルジョワ」展

 会期終了間際に訪れた展覧会を忘れないように記録しておこう。森美術館で「ルイーズ・ブルジョワ」展を見る。六本木ヒルズのあの巨大な蜘蛛。国内27年ぶりの大規模個展という。27年前,どこで開催されたのかと調べてみたら,横浜美術館! 記憶が曖昧すぎるのだけれど,横浜美術館には興味のある展覧会の度に足を運んだはず。

 帰宅後に過去の展覧会チラシを探してみたら(コレクションしてます!),あった。確かに27年前,私は横浜美術館でルイーズ・ブルジョワの個展を見ていた。まだ森美術館の開館前だから,「あの巨大な蜘蛛の」という先入観なしに見たことになる。そう言えば,という気もしないではないけれど,ほぼ記憶にない。「ヒステリーのアーチ」(上右写真)も出陳されていたようだ。

 今回のチラシと1997年の横浜美術館のチラシ。ルイーズ・ブルジョワを見て何を感じたかよりも,27年前に見ていた,そしてそれがほぼ記憶にない,という事実の方が私には強烈すぎる出来事だ。こんなふうに人生の中の27年間を切り取るきっかけがやってこようとは夢にも思わなかった。ちなみに今回の展覧会にはこんなタイトルがついている。「地獄から帰ってきたところ 言っとくけど,素晴らしかったわ」I have been to hell and back.  And let me tell you, it was wonderful.

  私はこの27年間,どこに行っていたのだろう,地獄に行っていたとはまったく思わないけれど,wonderfulな日々だったと胸を張って言えるだろうか?