ミラン・クンデラの1997年の小説「ほんとうの私」(西永良成訳,集英社 1997)を読む。訳者あとがきによれば「チェコの不幸な歴史にまつわる深刻な主題もなく,作者が小説の登場人物になったり,物語のなかでエッセー的な考察を披瀝したりといった,従来のクンデラ作品の「実験的な」試みもまったく見られない。ひたすら熟年のカップルの宿命的な愛の葛藤を微細かつ繊細に語っているばかりだ」(p205より引用)という小説。
そうは言うけれど,これは紛れもないクンデラの世界だと思う。「ほんとうの私」の原題はL’identité「アイデンティティ」。出版社に勤める「生理的な路程の終わり」にさしかかった女性がある日「私はスパイのようにあなたの後をつけています。あなたは美しい,とっても美しい」と書かれた手紙を受け取ったことから,同居する男とともにアイデンティティの迷宮に迷い込んでいく。結末への過程は半ば衝撃的でもあり,半ば滑稽でもある。
生と性の世界を包む滑稽というのはまさにクンデラの独壇場ではあるまいか。200ページあまりの短い短編で,読み手の私が主人公の境遇に深く共感できるという点を差し引いても,「冗談」や「生の彼方に」のような長編の重厚さとは趣を異にする「面白い」小説。いみじくも堀江敏幸は「本の音」(中公文庫)でこの小説を「あたらしい更年期小説」(!)と評している。
「彼女は冒険の完全な不在を堪能していた。冒険とは世界にキスをするひとつのやり方だが,彼女はもう世界にキスなどしたくなくなっていた。世界など欲しくなくなっていた。彼女は冒険がなく,冒険への願望がない状態の幸福を堪能していた」(p52より)
「私たちの唯一の自由とは,苦渋と快楽とのあいだの選択なのだ。すべてが無意味だというのが私たちの定めなのだから,それを欠陥として担うのではなく,楽しむ術を学ばねばならない。」(p176より)
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