2013-06-14

2013年5月,横浜みなとみらい,山本直彰の日本画

 ひと月も前のことになるけれど,横浜美術館で東南アジア現代美術展を見てから,コレクション展の「賛美小舎-上田コレクション」も見てきました。自邸を「賛美小舎」と名付けて若手美術家の作品をコレクションした上田國昭・克子夫妻が2011年に寄贈した146件を展示する展覧会。夫妻は,「若い美術家の可能性を共有しようと,1987年から「新しい日本画」を,1989年から「現代美術」を蒐集し始め」たということ。山本直彰のPIETA 20071の展示。
  何で今頃かと言えば,このコレクション展を見たあと,パズルの断片が符合するような体験を二つばかりしたのです。その一つは大阪の国立国際美術館で見たフルクサス展に出展されていたヨーゼフ・ボイスの作品。キャプションを見て,あ,と思わず声をあげそうになる。「賛美小舎寄贈」と書いてありました。

 もう一つは銀座資生堂ギャラリーの椿会展。第5次のメンバーの中に山本直彰さんの名前があります。かなり前から山本さんの日本画の大ファンで,上掲のPIETAのシリーズやIKAROSのシリーズ,そしてプラハ滞在中に打ち捨てられていたドアを支持体として描いたのがきっかけで展開されたDOORのシリーズも,理屈を超えて惹かれるのです。「賛美小舎」という素敵な響きを持つコレクターの眼と自分の嗜好=思考の断片がわずかでも重なってうれしい。

 ところで2009年には平塚市美術館で山本直彰個展「帰還する風景」が開催されました。ずらりと並ぶ作家の内面が昇華された作品を前に,足がすくむ思いでいつまでもいつまでも見入っていたことを思い出します。この人は書く文章も鋭く禁欲的。なんと深く「生」と「芸術」に向き合っている人なのだろうか。

 個展図録に「帰還」と題した文章が寄せられています。一部分を引用することはあまり意味がないとは思いつつも,最後のくだりを。「人生の大半は後ろめたい。伴奏ばかりで歌はない。『何もない。その何もないところに風だけは吹いているのか?』/生の欲望,そして死への欲望。その休憩時間を6月の風がそよぐ。紅い葉が小きざみに揺れる。ああ,ああ…と僕はつぶやく。」(平塚市美術館個展図録p.64より引用) 

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