2013-06-20

読んだ本,「音を視る,時を聴く [哲学講義]」(大森荘蔵, 坂本龍一)

 2007年にちくま学芸文庫に再収録された1980年代の傑作対話。哲学専攻の人が薦めてくれて通読してみたけれど,大森氏がわかりやすい日常語で説明する〈哲学〉をどれだけ理解できたかはまったく怪しい。進行としては,大哲学者が一方的に講義をするというのではなく,坂本の言葉を受けとめて対話を繰り広げるという感じ。読者はその場に居合わせて,哲学者の提示する「今」「知覚」「私」などなどを注意深く聴き取っていくのだ。
 
   「(略)しかし〈今現在〉は幅がゼロの点時刻ではありません。もし時間を線と考え,その線上の一点でその線を切ったのが〈今現在〉だと考えるならば,それはヨーカンの切断面にはヨーカンがないように,〈今現在〉は何もない虚空のようなものになりましょう。」(p51より引用)

 この後に,「〈今現在〉の明確には表現できない性格に何がしかの暗示を与えてくれる」ものの比喩として「ピントのはずれた写真のボケ」が提示される。図を用いて説明されるこの「写真のピンボケ」の比喩のくだりには思わず引き込まれ,何とか理解しようと必死になって文字を追う。80年代はアレ・ブレ・ボケ写真の出現がまだ記憶に新しかったのではないだろうか。
 
 そして若き日の坂本龍一の言葉を受けて,音楽を哲学するくだりは刺激的という言葉しか浮かばない。

 S「バロック教会でパイプオルガンを弾くと音源がわかんない。空間全体に音が充満するというか,(略)定位を判別できないような状態になりますね。」:O「同時にその空間のヴォリューム感を増したり縮めたりですね。(略)音楽もその意味では,言葉とあるつながりがあって,そして世界の変貌をそのままそこへ作り上げるんじゃないでしょうかね。」(略):O「作曲家というのは,その意味では建築家とまた似てくるんじゃないですか,ある空間を作り上げるわけですね。一時的であるとしても。」(pp170-171より引用)

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