2013-06-29

2013年6月,東京恵比寿,「日本写真の1968」展

 東京都写真美術館で開催中の「日本写真の1968」展を見てきました。シンポジウム開催日にでかけて,開催時間前の1時間くらいではとても全容を見ることができず,後日あらためてじっくり見直した次第。
 
  「1968年を中心にして,1966から74年の間で,日本で「写真」という枠組みがどのように変容し,世界を変容させていったかをたどり,「写真とは」「日本とは」「近代とは」をさぐります」(展覧会チラシより)という展覧会。入口の「プロローグ」,出口の「エピローグ」はいずれも東松照明。東松照明に始まって東松照明に終わる展示です。

 昨年11月,ロンドンバービカンセンターで見た1960-1970年代の写真展で日本の写真家から東松照明が選ばれていたことも併せ,あらためて日本の,そして世界の写真史において「東松照明」の存在の大きさを実感します。

 第1部の「写真100年」,第4部「写真の叛乱」では「アノニマス」(無名性)の写真に光が当てられ,特に第4部では今までまったく知らなかった「全日本学生写真連盟」による「集団撮影行動」の成果を目の当たりにして,胸がざわつく。第3部の「コンポラ写真」は牛腸茂雄,鈴木清などをなるほど,こういう「括り」の中で見るのか,という新たな発見。

 そしてやはり今展でいちばん魅かれるのは第2部「プロヴォーク」の展示でした。さまざまな展覧会でさまざまな切り口で見てきたけれども,必ず新しい発見があります。今回は何と言っても中平卓馬が撮影を担当した映像作品「ロープ」(浜田徹監督, 1969)。一瞬一瞬の鮮烈な映像がいつまでも残像として眼前に浮かぶ。そして今回展示されていた作家蔵の「無題」と題する4枚は「来るべき言葉のために」のイメージの別バージョンか(航空機のイメージは写真集のものと同一のように見える),初めて見たけれどとにかくかっこいい。しびれます。

 ところで,6月15日に開催されたシンポジウムは「無名性」ということ,東松照明の写真の意味などなどとても深い内容のものでしたが,途中「沖縄写真」の扱いについて真剣な議論が続くさなか,登壇者の一人が「ぼくにとって沖縄写真がこの展覧会に含まれるかどうかなんてどうでもいいことだ」と言い放ち,不穏な空気が流れました。一体あの発言の真意は何だったのか,他者への敬意のかけらも感じられない発言に,なかば悔しい思いを抱く。

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