東京都写真美術館で米田知子の写真展を見てきました。予備知識はほとんどありません。会場に入ってすぐ,風景写真が淡々と続くように見える展示を前に,きれいな写真だな,くらいにしか思えなくて自然と歩く速度が上がってしまう。そして外国の駅らしいプラットフォームを真横からとらえた1枚の前で,これはどこなのかと何気なく出品作品リストに目を落とした瞬間,そこに書かれた文字にくぎ付けになりました。
「プラットフォーム-伊藤博文暗殺現場,ハルビン・中国」というタイトルを見た途端,その端正な構図の静かな駅の風景は,一転して血に染まったおぞましい政治の現場へと姿を変えたのです。私という写真を「見る人」の眼によって。否,眼の中で。
あわてて会場入り口まで歩を戻し,作品リストと照らし併せながら1枚1枚を見ていくと,そこにある「写真」は数分前と何も変わっていないのに,「特攻出撃の基地」だったり「サイパン島玉砕があった崖に続く道」の「写真」の前で胸がしめつけられるように感じてしまうのでした。
故人となった作家の眼鏡を通して本人の直筆原稿を写したシリーズのタイトルは,いみじくも「見えるものと見えないもののあいだ Between Visible and Invisible」です。この写真家の写真を見るということは,「見えるもの」と「見えないもの(=不在のもの/記憶)」のあいだに放り出されるという体験であり,そこに何があるのかはまったく個人の経験に他ならないのだろう,とひどく漠然とした思いにとらわれて,あっという間に時間が過ぎていきました。
ほかに台北の日本家屋を写した「Japanese House」,ゾルゲ事件の密会場所をとらえた「パラレルライフ」,「サハリン島」,「積雲」などのシリーズ。印象的な展覧会タイトルになっている「暗(やみ)なきところで逢えれば」は10分弱の映像作品。
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