世の中が落ち着いているうちにと思い,北へ向かいました。JR東日本のお得なパスを利用して,東北新幹線で青森へ。初めての青森・岩手の旅はとても強烈な体験でした。旅の記録をゆっくりアップしていきます。これは3日目,雪が止んだ一瞬に朝の海岸で。これが外ヶ浜なんだ。
まさに眼福という展覧会を2つ。五島美術館で「アジアのうつわわーるど」展を見ました。これは休館中の町田市立博物館所蔵の陶磁・ガラスの名品を集めたもの。町田市立博物館へはベトナム陶磁や鼻煙壺のすばらしいコレクション展を見にでかけたことがあります。魅力のつまった所蔵品をぎゅっと集めた展覧会,大充実の展示でした。やっぱりベトナムと第2展示室の鼻煙壺がよかったな。まあ,それは私の好みだからというわけで。
駒場の日本民藝館は改修後の大展示室をまだ見ていなかったので,それほど棟方志功には惹かれたわけではないけれども足を運んでみました。そしたら! 棟方志功がよかったんだ。こんなに魅力的だったっけ?と思うほどに。
「東北経鬼門譜」はなかなか展示の機会がないという大作。これだけ写真撮影可でした。まさに圧巻です。会場で配布されていた説明には「鬼門の地である貧寒に苦しむ故郷・東北を憂い,仏の力を借りて幸あらしめたいと願い製作した」とあります。「鎮魂の祈りと再生への願い」ともあり,その迫力に圧倒される思い。そしてもう1つ,「善知鳥版画巻」の展示に感動。惹かれてやまない能曲「善知鳥」の背景についてはいろいろ読んできたつもりなのだけど,この版画巻の存在は知らなかったのです。6冊が展示されています。脳内に能の場面が次々と甦る!
思わずショップで全冊が掲載されている「棟方志功 板画の世界」(日本民藝館)を購入。1枚でよいから手に入れて部屋に置きたくなってきた。
で,まさか棟方志功の真作が簡単に手に入るわけはないので,複製画のカレンダー(1979年)を日本の古本屋で見つけてポチリ。すぐに届きました。よくできてます。まずはどの1枚を額装しようか思案しているところです。顛末についてはまたいずれ。
民藝館の前庭で。枯れた蓮水鉢の向こうにプードルがちょこんと飼い主を待ってます。かわいすぎる。「死んだ自分専属のやし酒造りの名人を呼び戻すため「死者の町」へと旅に出る」男の物語である。(表紙要約文)
読み始めてすぐに,「である」と「ですます」が混合した不思議な文体に驚かされる。原文は英語とあるから,オリジナルの文章にそういう文法的な特色があって,それを日本語に置き換えるときに訳者が工夫した,ということなのだろう。この点,訳者のあとがきだけでなく多和田葉子の解説が付されていて,読書の大いなる助けとなってくれた。
この不思議な小説は神話的世界であって,常識は通用しない,みたいな書評が多いようだ。たしかに,死者の町へと向かう途中で妻を娶り,「ジュジュ」を使ってあらゆる恐怖を乗り越えてついにやし酒造りを探し出す冒険譚には生と死の境界など存在しない。読者もまたその境界を行ったり来たりしながら,死者の町へ行ってそして帰ってくる。この本の頁をめくっている間,私はこの世に存在していなかったのではないだろうか。
「死者の町」でやし酒造りと話すくだり。「わたしの町で死んでから彼は,死んだばかりのものはすぐに直接ここ(「死者の町」)に来れないので,まず死にたての者なら誰でも最初に行かなくてはならない,ある場所へ行った。そしてそこへ着いて2年間,完全な死者になるための訓練をうけ,その資格をとってからはじめてこの「死者の町」に来て,死者と一緒に住むようになったことを話してくれた。」(p.134)
すっかり箍が外れてしまったかのように出歩いてます。秋晴れの一日,埼玉へ。いずれも会期最終日だった埼玉県立近代美術館の「美男におわす」展と大宮盆栽美術館の「日暮し」の特別展示(1週間だけ!)を見てきました。
「美男におわす」展は「美人画」という言い方はあるけど「美男画」と呼ばれることはなかった「美男のイメージ」の展覧会。いやあ,面白かった。浮世絵,日本画などから,雑誌の表紙やマンガ,現代作家の作品など,「美男」がずらりと並んでいます。
ジェンダー的な問題提起の側面はともかく,観客それぞれが抱く理想のイメージがいつ,どんな風に描かれているのかを探すのはとても興味深い展示でした。ちなみに私は金子国義の魅力を再発見し,山口晃の筆力に嘆息し,船越桂の木像の虜になって帰ってきました。ヨーガン・アクセルバルの写真も面白かった。
北浦和でゆっくりランチを頂いてから大宮盆栽美術館へ。年に1週間しか展示されないという五葉松の「日暮し」は日が暮れるまで眺めても見飽きないことから名づけられたのだそう。写真撮影は不可でした。この写真は庭園の「獅子の舞」。盆栽はそれぞれの銘も面白いです。まさに獅子が身をくねらせているよう。金沢では久しぶりにフェルメールを訪ねて楽しい時間を過ごしました。新竪町の店舗からちょっと路地を入ったところに移転した店舗は以前の何倍もの広さ。ぎっしり詰まっていたアンティークたちがのびのびと迎えてくれます。
静かなところでお店をやりたくなったという店主の塩井さんとのおしゃべりを楽しんで,今回はこの2つを連れて帰りました。タバコを入れる箱は蓋の部分を持ち上げると,中の1本が蓋上部の溝に繰り出される仕組み。インセンスを入れるのに良いかと思いながら,実用とは関係なく眺めていたい佇まいです。
もう1つは,カットの美しいタンブラー。高さは8.5㎝くらい。お酒は弱いのですが,昨年の北海道旅行で買ってきた余市のシングルモルトをうんと薄めて飲むのは至福のとき。旅先で手に入れたアンティークのグラスに余市の思い出を注ぐ。。我ながら素敵だ(笑)。やっと戻ってきたかに見えるこの日常が,再びの災禍に脅かされることなく続きますように。この秋沖縄でヨーヨー・マの無伴奏バッハのコンサートがあると知って,行きたいなあ,でも沖縄は遠いよなあと嘆息していたところ,高松宮殿下記念世界文化賞受賞記念コンサートがミューザ川崎で開催緊急決定したとのニュース!
ちょっとケチってしまったA席チケットは舞台の斜め後方でした(涙)。Sにしとけばよかった。開演前,ここにヨーヨー・マが現れるのだ,と思うとかなり興奮の舞台の様子。
配布されたプログラムを見て,欣喜雀躍とはこのこと。予定されている12曲の最後の3曲がピアソラ! ヨーヨー・マのCDはたくさん持ってて,中でもマイ・ベストが何といっても「ヨーヨー・マ・プレイズ・ピアソラ」なのです。ピアソラ生誕100年を意識してなのか,リベル・タンゴ,ソレダード,ル・グラン・タンゴがラインアップされてます。
万来の拍手とともににこやかに登場したその人は,どこにでもいそうな紳士然としてはいるけれど,そのオーラたるやどこか超然としていて,この世の人ではないみたい。音楽の神に愛された選ばれし存在が奏でるチェロの音色には,うっとりという言葉では全然足りない。ほとんど陶然と聞き入りました。
件のピアソラもすばらしかった。昨年来ピアソラはいろいろ聞いてきたけれど,さすがにチェロとピアノだけの大人のピアソラは唯一無二のものでした。
アンコールが終わると涙が出そうになりました。ずっとずっとこの場に留まってあの音色を聴いていたかったから。
このあと,楽しみにしていた石川直樹の写真展示を見て(撮影はできなかった),大満足。饒舌な立体作品の中にこういう展示があると,きりっとするというか。「地上に星座をつくる」の能登のページを再読しよう。
旧のと鉄道の廃線(2005年)はそれほど昔のことではないのに,線路跡はまるで遺跡みたい。線路は撤去されるんだな。旧正院駅の大岩オスカール「植木鉢」。
そして,今回私にとってのハイライトは旧飯田駅の川口龍夫「小さい忘れもの美術館」でした。縁戚の家がこの近くにあって,幼少時の夏,鉄道に乗ってこの駅で降りたことが何度もあるのです。すっかり忘却の彼方だったその記憶が,駅舎の前で蘇ってきてただただびっくり。 この美術館には「忘れられたもの」と「忘れたもの」,そして「忘れていたもの」が収蔵されています,という作者の言葉にじーんとなる。「『忘れていたもの』とは人生で必要としていたものですっかり忘れていたものたちです」。涙腺崩壊寸前。
いくつか寄り道しながら外浦へ向かい,木浦ビレッジでは原広司の壮大な「Identification」を。キムスージャの「息づかい」は巨大は鏡板が設置されているだけなのに,ぽっかりと異次元が浮かんでいるような面白さ。
スズシアターミュージアムを見てから塩田千春の「時を運ぶ船」を。さすがの安定感(?)。
そして最後は四方謙一の「Gravity/この地を見つめる」で2日間の旅程はおしまい。狼煙方面はカットしてしまったけど,半分以上は制覇できて大満足。「最涯の芸術祭,美術の最先端」を堪能して一路金沢へ向かいました。日々に追われているうちに,もう芸術祭の会期も終了してしまいました。記憶に留めておくためにここに写真を残しておこう。意外(?)と広い能登の地を駆け足で回るのは結構厳しいので,2日間かけて回ります。
初日は屋内展示は休館日だったので,内浦の海岸沿いの屋外展示を。どれも面白かった。特に印象に残ったのは旧鵜飼(うかい)駅ホームを使ったディラン・カクの作品。巨大な透明なサルが端末を覗き込んでいます。