2016-12-25

2016年12月,メリークリスマス!

身辺の諸事情でなかなか更新できないでいます。遊びにいらして下さる皆様ごめんなさい。近い内にまた。どうぞ楽しいクリスマスをお過ごしください。
 

2016-12-04

2016年11月,愛知名古屋,アルバレス・ブラボ写真展 メキシコ,静かなる光と時

 気付いたら,カレンダーが残り1枚になっている。。とにかく時間が矢のごとく過ぎ去っていき,私は今立ち止まりたいのだ,と強く念じない限りはその流れに流される日々が続きます。
 
 今年の夏,世田谷美術館で開催されていたメキシコの写真家アルバレス・ブラボの写真展も,会期を逃してしまって残念に思っていたのですが,先日名古屋市美術館での巡回展を訪れることができました。
 
 期待に違わぬ充実した展覧会です。ブラボの名前を始めて聞いたときはあまりピンと来なかったのですが,オクタビオ・パスとの共作など,ラテンアメリカ文学の文脈で俄然,その仕事に興味を抱いた写真家。充実した図録には野谷文昭氏も寄稿していて読み応えがあります。世田谷での講演も聞きたかったなあ,と残念至極。
 
 何しろ1世紀を生きた写真家なので,その仕事を辿ることは1世紀にわたるメキシコの歴史を辿ることにほかなりません。展示室をゆっくり歩きながら,遠い遠いその地の乾いた空気と,そこに生きる人々の不思議な死生観に魂が吸い込まれるような時間を過ごします。
 
 第2部「写真家の眼―1930-40年代」が圧倒的。とりわけ,第1章「見えるもの/見えないもの」と第2章「生と死のあいだ」の写真は,1枚1枚の印象的なタイトルとともに,見る者である私にその意味を強く問いかけてくる。「舞踊家たちの娘」は丸い窓の向こうに何を見ているのか。「パパントラの青年」の視線はどこへ向いているのか。
 
 他にも印象に強く残った写真とそのタイトルをいくつか。「消された扉」Cancelled door,「入口」The threshold,「この世の諸物と巡礼者」Pilgrim in the things of this life。すべてがモノクロームの詩篇。
 
 「メキシコの美の巨星たち」(野谷文昭編,東京堂出版 2011)はメキシコ文化を広く網羅していてとても読みやすい1冊。「フリーダ・カーロ」(上野清士,新泉社 2007)はフリーダと同時代に生きた芸術家たちについて深く知ることができます。

2016-11-27

2016年11月,東京品川,「季節が僕たちを連れ去ったあとに」・読んだ本,「寺山修司からの手紙」(山田太一編)

  首藤康之が朗読劇に出演するというので,京急線新馬場駅にある六行会ホールへでかけてきました。タイトルは「季節が僕たちを連れ去ったあとに」。山田太一編の「寺山修司からの手紙」を舞台化したものです。

 寺山修司はどちらかというと食わず嫌いで,劇作も短歌もほとんどと言っていいほど知らない。山田太一に至っては,プロフィールを読んで「ふぞろいの林檎たち」もこの人の脚本なんだ,と始めて知りました。

 舞台は若き日の二人の往復書簡の朗読という形式をとりながら,時間と空間を自在にとび,山田太一による寺山への弔辞で幕を閉じます。やはり,首藤康之の強い個性が舞台を支配していたように思えます。

 「書くことで自分を隠し続けてきた」といわれる寺山修司を,舞踊という表現手段を封じて表現した舞踊家の首藤。若き日から「死」と直面し続けた劇作家と,DEATHをテーマにハムレットを踊った舞踊家の精神の共振が客席にも伝わり,静かに震える。

 物語の終幕,寺山が「人生に淋しいことは何もないんだ」と呟いたように聞こえ,その前後の文脈を知りたくて原作「寺山修司からの手紙」(山田太一編,岩波書店2015)を読んでみたのですが,どこにも見つけることができませんでした。見落としたのか,それともそんな台詞はなかったのか。でも,私は確かにあの日,首藤康之からその言葉を受け取ったのだ,と思えてきます。

2016-10-30

届いた写真集,「パリの記憶」(高田美)

  堀江敏幸の「仰向けの言葉」を読んで,どうしても欲しくなって探した写真集(京都書院,1995)が届いた。高田美は何と読むのだろう,というくらい初めて聞く写真家だった。乳母車を取り巻く修道女たちが「山高帽かクグロフの型のような黒い物体」に見えるという1枚の写真を見たかった。
  想像していた以上に,しんと美しい写真だ。とっさにジャコメッリのモノクロームが思い浮かぶ。だが,と敢えて言ってしまえば,堀江敏幸の文章を読んだ時以上の感慨はなく,頁を繰る作業はあくまで確認作業になってしまう。言葉は後からついてくる,と言った小説家の言葉が何度も頭をよぎる。

 先入観なく惹かれたのは,雨のパリを歩く「ほっつき犬」,揺れるカーテンから夜が忍び入る「夜の香り」。残念だったのは,写真のタイトルのフランス語に発見された誤植がずらっとたくさん,正誤表としてはさみこまれていたこと。写真集に正誤表はないよな,とひとりごちる。 

読んだ本,「善意と悪意の英文学史」(阿部公彦)

  某イベントで著者と東京大学出版会の編集者との対談を聴講する機会があり,興味をひかれて手にとり,時間をかけて読了。学術書の難解さはなく読みやすく書かれているものの,内容は深く,とても勉強になった。
  前述の対談で編集者がその重要性を語っていた帯の惹句がこの本の魅力を語りつくしている。「小説家って、けっこう人が悪いんですね。  嘘と謀略、善意と愛―語り手の「礼節」から、英語圏の作品を大胆に読み直す。」この「礼節」=politenessが本書を貫くキーワードになっている。

 とりわけ興味深く読んだ章のタイトルをいくつか。第6章 登場人物を気遣う―ナサニエル・ホーソーン『七破風の屋敷』(1851)。第9章 目を合わせない語り手―ウィリアム・フォークナー『アブサロム、アブサロム! 』(1936)。第10章 冠婚葬祭小説の礼節―フランク・オコナー「花輪」(1955)、ウィリアム・トレヴァー「第三者」(1968)。第11章 無愛想の詩学―ウォレス・スティーヴンズ「岩」(1954)

 原典の引用も多く,是非読んでみようという気持ちになる。まずはオコナーの「花輪」からだろうか。初めて聞く名前だったスティーヴンズWallace Stevensの詩にもすこぶる惹かれた。「個別のものがたどる道」("The Course of a Particular")の引用(日本語訳)から部分を孫引きします。
 
 (略)木の葉が声をあげる…自分は身を引いてその声を聞くだけ/それはせわしない声 誰か他の人にかかわる声/そして自分はあらゆるものの一部だと言うにしても/葛藤がある 何か抵抗がある/一部であるというのは拒絶の振る舞い/今あるこの命を与える命のことを感じる/木の葉が声をあげる/それは神聖な注意の声ではない/ぷっとタバコの煙を吐くヒーローたちからのたなびく紫煙でも 人の声でもない/それは我が身を越えることのない木の葉の声(pp.234-235) 

2016-10-29

2016年10月,北陸,金沢市近世史料館,富山市佐藤記念美術館

  家族の見舞いに秋の北陸路へ。心浮き立つ旅程ではないのですが,空いた時間を利用して金沢市近世史料館を訪ねてみました。明治時代の建築「金沢煙草製造所」を利用した赤レンガの瀟洒な建物が,谷口吉郎・吉生親子共同設計という金沢玉川図書館と隣接しています。

  図書館は,壁面が緑色の鉄板でできた大胆で力強い建物ですが,赤レンガを生かした中庭から近世史料館へと自然につながり,とても気持ちのよい空間です。今回は図書館は利用しませんでしたが,時間のあるときにゆっくり本を読んでみたい。

 近世史料館では「秋季展 武家と鳥-鷹狩・鳥構場-」を見る。加賀藩前田家の鷹狩の様子が手に取るようにわかる構成で,古文書の読み下し文と解説が掲載された親切な図録が会場で配布されています。古地図の前で,馴染みの地名を探して時を過ごす。当たり前のように,現在の地形や名称がそのまま残っていて,街全体がタイムカプセルなんだな。ここは。

 金沢では古書「あうん堂」へも初めて立ち寄りました。こじんまりとしていますが,店主の趣味がよく伝わる素敵な古書店。買ってきた本についてはまた項を改めて。
 
 帰路は富山へ寄って,富山城址公園内の富山市佐藤記念美術館へ。特別展「敢木丁コレクション受贈記念展 ―知られざる東南アジアの陶器―」展が開催中で,ヴェトナム,クメール,タイの陶器のコレクションを見ました。すばらしいコレクションを見ていると,しばし心配事から解放されます。

 敢木丁(カムラテン)コレクションは,展覧会チラシによると「1800件に及ぶ日本有数の個人コレクション」とのことで,富山に一括寄贈されたのだそう。少し検索してみると,京都の北嵯峨に個人経営の博物館があったみたい。

 やきものに限らず,コレクションについて「質・量ともに素晴らしい」というのは常套句だけれど,個人が集めたことによる審美眼の「一貫性」みたいなものがはっきりと伝わってきて,ちょっと打ちのめされた感があるすばらしい展覧会。安南青花はたくさん見てきたつもりだったけれど,こんなに繊細は鳳凰文は初めて,という碗にも出会えて,眼福でした。

 凛とした秋の気配に満ちた庭園。

2016-10-28

2016年10月,横浜,首藤康之のダンス・DEDICATED 2016 "DEATH" 『ハムレット』

  家族が病に倒れ,慌ただしく日常と非日常を行ったり来たりしています。記録として残しておきたいことがいろいろあるのだけれど,ゆっくり頭の中を整理できない日々なので,簡単な忘備録として。
 10月1日,KAATに首藤康之のダンスを見に行きました。DEDICATED 2016 "DEATH"と銘打たれた公演の演目はハムレット。約75分,台詞はほぼなく,ダンスでシェークスピア戯曲を見せる舞台です。
 
 中村恩恵の演出がとても美しい。舞台は「ハムレット関連の展示をしている美術館」の場面で始まり,額縁は途中,躍動する小道具としても用いられます。ハムレットを演じる首藤康之はハムレットなのか,ハムレットを見る現代の青年なのか。そしてその舞台を見つめる観客は首藤康之の肉体を通して誰の人生を見ているのか。
 
 めまぐるしく場面は転換し(今回は群舞の場面もある),観客はハムレットのストーリーを追うことには違いないのだけれど,「生」と「死」の境界をその美しい肉体で軽々と超えてしまう首藤康之のダンスを見ることは,私にとって異界を体験することに他ならない。
 
 陶然と1時間強を過ごし,帰宅して1997年光琳社刊の写真集POSSESSIONを手にとり,長い時間を過ごします。撮影は操上和美。 DEDICATEDシリーズを撮影した新写真集も今年出版されています。

2016-10-09

2016年10月,東京恵比寿,東京都写真美術館TOP MUSEUMのリニューアル・「杉本博司展」

 
  東京都写真美術館がリニューアルオープンして,「杉本博司 ロスト・ヒューマン」展と「世界報道写真展 2016」の二つの展示をゆっくり見てきました。クローズしている間,恵比寿へはすっかり足が遠のいてしまっていたけれど,これでまたいつでも写美に行けると思うととてもうれしい。リニューアルして,呼称もTOP MUSEUMに変わったらしい。エントランスが劇的(!)に変わっていたけれど,駅側からのアプローチの壁面のキャパや植田正治のプリントはそのままでほっとします。
  「杉本博司 ロスト・ヒューマン」展は2階と3階を使った大規模な展示。3階は〈今日 世界は死んだ もしかすると昨日かもしれない〉の展示です。この魅力的なタイトルの謎解きは2階の〈廃墟劇場〉の解説にあります。ルキノ・ヴィスコンティの「異邦人」の冒頭「今日,ママンが死んだ、もしかすると昨日かもしれない」から生まれたのだそう。
 
  〈今日世界は死んだ...〉は文明が終わる33のストーリーが,自身の写真や蒐集した古美術等で構成されたインスタレーションで展示されているもの。フロアがそれぞれ独立した33の小部屋で仕切られているので,一つ一つをじっくり読んで見ていくのには集中力が必要。途中から,「代筆者リスト」でストーリーを代筆した人名を確認しながら,お,と思ったパート以外はざっと流してしまった。
 
 平野啓一郎代筆の「人ゲノム解説者」のパートを面白く見ました。抽象的な現代美術に向かい合うときは,これは何だろうと考えるときに,「見ている私」を強烈に意識するわけだけど,こういう「具体的な仮想ストーリー」を見るときにはかなり混乱する。
 
 そこにあるものに対しての知識が後付の理屈になってしまって,作者の意図を直截に受け取ることが難しいからかもしれません。今回は代筆者への私的な思い入れも相まって,「杉本博司の作品」の価値を,正確に(正確さが求めれているのかどうかはさておき)楽しむことは私にはできなかった。
 
 2階の〈廃墟劇場〉は〈劇場〉シリーズの既視感にあふれ,〈仏の海〉も,以前六本木で見たなあ,という感慨が湧いてきます。安心して見ることができるというべきか。
 
 やっぱり写真を見るのは面白いなあ,という幼稚な感想が頭をよぎるのと同時に,写真美術館はなぜ杉本博司をリニューアル展に選んだのだろう,というこれまた素朴な疑問もぐるぐる頭の中にうずまいたのでした。

2016-10-08

2016年9月,いくつかの展覧会の覚書

 前回から時間が空いてしまいました。季節の変わり目に体調を崩しがちなのは,老いへの確実な接近に他ならないのでしょう。確実に減っていく未来への展望をあれこれと考えて過ごしていました。
  そんな時期に見た展覧会のうち,印象に残ったものをいくつか忘備録として。まずはワタリウムで前半の展示が開催中のナム・ジュン・パイク展。1956年から1989年までの仕事を振り返る展示(後半の1990-2020は10月15日から)。フルクサスとの出会いからを展観するRoom 1で,ああ,そうだったのかという驚きに襲われます。

 ここ数年,ミュンヘンでボイスやケージ(竜安寺のドローイングがすばらしかった!)を見たり,大阪国立国際美術館で「塩見允枝子とフルクサス」展を見たり,若江漢字氏の著作を読んだり,といういくつかの経験の断片が,パイクの作品を介してつながっていくスリリングな時間を体験しました。

 ナム・ジュン・パイクの初期作品そのものは,「色褪せない古臭い前衛」とでも言えそう。ブラウン管のテレビから植物が伸びている作品などは,この展覧会の直前に銀座で見たミシェル・ブラジー展で見たゲーム機と植栽の作品への影響など,現代への直截的な介入にも見えてきました。

 ミシェル・ブラジー展は銀座メゾンエルメスフォーラムにて開催中です。チラシの写真のピンクのトーンや文字のフォントが,ナム・ジュン・パイク展のチラシと奇妙に呼応していて楽しい。
  他に,横浜ユーラシア文化館で「エジプトのイスラーム都市を掘る」展,東京大学総合研究博物館で「UMUTオープンラボ 太陽系から人類へ」展を。
 

2016-09-18

読んだ本,「仰向けの言葉」(堀江敏幸)

 写真・美術に関する散文が集められた「著者初の芸術論集」。目次をたどって,サイ・トゥオンブリーの写真についての短い文章が収められているのに眼を惹かれた。
 堀江敏幸の,もともとエッセーとの境界が曖昧な小説作品の文体が,この書のあちらこちらでも散見される。読者はあくまでも堀江敏幸という「観る者」の語りに耳を傾ければよいのだ,という前提で頁を繰るのがよいだろう,と思う。端的に言ってしまえば,「僕はこう見る,僕でなければこうは見えない」というやや強烈な自意識が鼻につく場面にたびたび遭遇するのだ。
 
 とは言え,なるほどそう見るかという驚きや,是非見てみたいと思わせる未知の作家など,発見も多かった。思わず高田美の「パリの記憶」(京都書院)の古書を探して注文。届くのが待ち遠しい。(「記憶の山水画-高田美」(pp/104-115)
 
 そして「スターキングはもうつくられていませんと彼は言った―あとがきに代えて」はまさに堀江敏幸の本領発揮といった趣の文章で,これを書くために1冊の書をまとめたのではないか,とも思える。ボリス・ザボロフの絵画をめぐる岩手の林檎園主との美しい交流と,その哀しみに満ちた結末は,まさに一遍の小説のようだ。その哀しみは,「存在のもつ神秘性」に支えられ,「上昇する命の予感」(P.211)に昇華されて読者の胸にいつまでも残る。
 
 ほかに印象に残ったくだりをいくつか。ジョルジョ・モランディについて。「モランディの絵を見るたびに感じられるのは,他のだれによってでもなく,みずからの重みで崩れていく直前で身を持しているオブジェに投影された,透明な狂気に近いなにかである」(p.164)
 
  自身が25年前に撮影した写真について。「もっともらしい言葉を書き付けたとしても,それは二十五年後の「私」によるひとつの解釈にすぎず,二十五年前の「彼」の頭のなかから引き出したものではないのだ。なにかを語るための言葉は,つねに遅れてやってくる」(p.127)

2016-09-04

読んだ本,「ジャッカ・ドフニ 海の記憶の物語」(津島佑子)

 久しぶりに魂が震えるような読書。「ジャッカ・ドフニ」とは網走に実在した民族資料館の名前で,「大切なものを収める家」という意味なのだという。アイヌ同様の少数民族であるウィルタ人のゲンターヌ氏が20世紀後半に創設したその資料館は,今は閉鎖されているらしい。
 
 物語は,17世紀前半,アイヌ女性と日本男性の間に生まれた少女チカップ(アイヌ語で鳥と言う意味)が,キリシタンの少年ジュリアンとマカオへと渡り,自らのルーツ,女であること,そしてカトリックへの信仰と向き合い,常に強い意思を持って生きていく。その果てにはさらなる別離と流浪が待ち構えている,というのが主旋律となっている。
 
 そして,その物語の外縁に,津島佑子の分身である「あなた」の物語が配され,8歳で不慮の事故で死んだ息子との北海道旅行の記憶が語られる。二人で訪れたジャッカ・ドフニと,そこで出会ったゲンターヌとの思い出。
 
 読み手である私は,歴史の波の中を生き抜くチカに寄り添うのと同じくらい,息子を亡くした母親である「あなた」に共感し,その悲嘆をいつしか自分のもののように感じて,辛くてたまらなくなる。「あなた」も若き日の旅で見た光景を息子に見せたかったのよね,と思わず一人ごちる。
 
 亡くなった息子の物語と,チカの物語は重層的というより,ずっと一定の距離を保って語られているように思われる。それだけに,物語の最後,アイヌへ渡ったチカの子供たちのその後の人生が,現代の物語とどこかで交錯するのではないか,という想像の余韻が読者に手渡されているようだ。読み終えて,考えて,ここに記録を残そうとする私は,この小説から強靭な力を与えられた気がしている。
 
 チカの魂には,母のかすかな記憶が,アイヌの歌である「カムイ・ユカラ」として生き続けている。その美しい言葉の響きはいつまでも余韻として残る。その歌を聞いた洗礼名ペトロはこう言う。「世界はいつもむごくて,理不尽で,悲しみに充ちとるらしか。わしはパードレさまに救われて,きりしたんになれて,やっぱし感謝しとるよ。そいに,このチカ坊の歌にも救われとるな。さいわいなるかな,心の清き者,そのひとはデウスさまを見ん,というゼズスさまのおことばを,チカ坊の歌を聞いとると思い出すんよ。大げさに聞こえるかもしれんが,心の清き者の意味が,わしにもちいと見えてくる気がするんや。透明な水の流れに,そいは似とるかな。空の鳥かもしれん。野の花かもしれん。」(pp.344-345) 

2016-08-28

2016年8月,千葉佐倉,「サイ・トゥオンブリーの写真」展

  川村美術館も,なかなか足を運べずにいた美術館の一つ。沿革を見ると,開館は1990年,延床面積が1.5倍になったリニューアル開館が2008年とのこと。そのたびに,「川村美術館に行った?」といろんな人と言葉を交わした気がするけれど,結局今ごろになって初めて訪れた次第。 
  8月最終の週末までサイ・トゥオンブリーCy Twomblyの写真展が開催されていて,これもいろんな人と「もう行った?」という言葉を交わしました。「サイ・トゥオンブリーの写真」というのはとても新鮮な響き。今までまとめて発表されることがなかったそう。
  この作家の名前は, ART TRACEから2003年に出版された「絵画は二度死ぬ、あるいは死なない」(林道郎著)で初めて知りました。先鋭の美術評論家が講義とディスカッションという形で行うレクチャーの最初に取り上げた作家,という知識がまず刷り込まれ,作品そのものにはほとんど触れた記憶がありません。2015年の原美術館の展示にも行けなかったし。

 なので,彼のドローイングやコラージュ作品,そして彫刻などと今回の展覧会の写真をどのように関連付けて見ればよいのかがよくわからないまま,展示室に足を踏み入れてしまいました。副タイトルになっている「変奏のリリシズム」Lyrical Variationsの意味も最後まで理解できないまま。

 「何が写っているのかよくわからない」画像が多い写真そのものはどれも魅力的で,それら1枚1枚は確かにlyricalだし,イメージが連なるシークエンスは見事です(「彫刻の細部」から「キャベツ」への流れなど)。では,こうした写真作品相互の関係をもってvariationsと言っているのだろうか。そうではないはず。

 作家はこれらの写真を,あたかも作家が創作メモを取るように,詩人が浮かんだ言葉を紙片に書きつけるように,ポラロイドを撮り続けたのではないだろうか。つまりは作者の「イメージのメモ」みたいなものとしての写真。
  堀江敏幸は「仰向けの言葉」(平凡社,2008)所収の「深海魚の瞳 -サイ・トゥオンブリー」の中で,「彫刻の細部」と「キャベツ」について次のように書いています。

 「表面の肌理に観応しつつ,その向こうにある厚みと奥行きをぼやけた光で照らし出す一連の写真では,しばしばとまどいに喜びがまさる。1990年に撮影された「彫刻の細部」の,幾層かの薄い黄色の光も同様だ。なにが写っているのか不明のままであったとしても,色彩と光が輪郭をぼかし,色のグラデーションが世界の皮膚になって,世の中のすべては真実の擬態にすぎないことをそれらは明確に示してくれる。/とりわけ,内側でこっそり息をし,じつは血液が激しく体内をめぐっている生きものの擬態であるかのような「キャベツ」。緑の塊のなかに嵌め込まれた黒の絶妙な配分は,闇に溶け込むための完璧な擬態だ。」(中略)「畑で獲れたゴーレムとくずれたふたつの紡錘にトゥオンブリーの絵画作品すべてが吸着されていくさまには,驚くほかない。」(pp.74-75より)

 やはり,サイ・トゥオンブリーの写真は,作家の仕事の全体を俯瞰し,把握した上で見るべきなのかもしれません。もちろん,写真展として存分に楽しめましたが,作家から大きな宿題を与えられたような気もしています。

2016年8月,千葉佐倉,国立歴史民俗博物館

  まだまだ夏の日差しの強い週末,佐倉の国立歴史民俗博物館に出かけました。アクセスが不便でこれまで一度も訪れたことがありませんでした。思ったよりもスムーズに到着できたのはいいのですが,突然の豪雨にちょっと心が折れかかる。自分を雨女と思ったことはないのだけれど!

 広大な博物館で開催されている企画展示「よみがえれ!シーボルトの日本博物館」と,特集展示「戦国の兜と旗」,「柳田國男と考古学」の3つがお目当て。これだけの展示を一度に見ることができるわけで,お得感満点です。
  シーボルトの展示では,19世紀の異国の眼から見た日本を通覧できてとても面白い。香木を削る香道具の函には,「子ども用の大工道具のミニチュア玩具」という説明があります。なるほど,そういうものに見えたわけだ,と妙に納得。目玉の一つである植物画「フローラ・ヤポニカ」は,『植物図鑑』という使命を超えた美しさにうっとりする。

 「戦国の兜と旗」では東京大学史料編纂所所蔵の「落合佐平次道次背旗」を見ます。一度見たら忘れられないビジュアルはもちろんのこと,その修復にかかる技術と情熱の結晶に感動。

 「柳田國男と考古学」の展示では,民俗学形成への柳田國男の思想を辿る展示です。細かい文字の説明パネルを丹念に読み込むには余力(!)が残っておらず,樺太や朝鮮出土の遺品を眺めるだけ,という感じになってしまったのが痛恨。樺太の「ソロイヨフカ出土の針入れ」の前で釘づけになりました。「ソロイヨフカ」という言葉の響きの虜になる。建物を出ると,雨後の強烈な陽射し。直通バスで川村美術館へ向かいます。

2016-08-21

2016年8月,京都(5),京都国立博物館・高麗美術館・龍谷ミュージアム

  最後に,京都で楽しんだ美術館・展覧会の記録を。高麗美術館では「朝鮮王朝 白磁の世界」展。何度足を運んでも,今まで見たことがない,という名品に出会える美術館。2階のレイアウトがかなり変わったようです。朝鮮家具の展示は少なくなり,その分,図書閲覧コーナーがゆったりとして居心地がよくなりました。
 龍谷ミュージアムでは「仏教の思想と文化 インドから日本へ」展。とにかくここでは美しいガンダーラ仏にたくさん会えるのがうれしい。日本の仏像はピンとこないけど(あ,失敬!)ガンダーラ仏には惹かれます(ただのイケメン好き)。アジアの仏教展示では大谷探検隊が拓本をとったアショーカ王碑文の拓本なども。
 
 日本の仏教展示では,ちょうど学芸員のレクチャーがあり,善光寺如来絵伝の詳しい絵解きがとても面白かった。やはり知識は必要ですね。歳を重ねて,お迎えもそう遠くはないせいか(?),仏教についてもっと勉強したいと思う今日この頃です。
 最後は京都国立博物館知新館前の夕景。特集展示は「丹後の仏教美術」でした。いくら興味が湧いてきたとはいえ,仏教関連の展覧会が続いてちょっと退屈。3階の陶磁コーナーの「日本と東洋のやきもの 古窯の美」の方が楽しかったな。
 
 今回の旅では,高麗美術館と縁のある「李青」で韓国料理と韓国茶を,おしゃれなカフェstardustではローケーキとフランスのCHA YUANのチベタンティーもいただいて,大満足。
 
 さて,暑い暑い京都の夏はもうこりごり,と思って帰ってきたけれど,こうやって写真や収穫物(!)を整理してみると,よし,また来年も,という気分になってきたから不思議。

2016年8月,京都(4),黄檗山萬福寺

 宇治のお隣の駅,黄檗で降りて黄檗山萬福寺を訪ねてみました。ほとんど拝観者がいなくて,ほっとします。これぞ禅宗の大本山,といった感じの静けさで,思っていた以上に感動。行ってよかった!


  350年前に隠元禅師が中国から持参したという札が立った隠元豆。まさか350年前の豆が脈々と実をつけてるわけではないよね,と一人つっこみ。

 明朝様式を取り入れた伽藍配置をそのまま伝えている寺院は日本では他に例がないそう。異国情緒たっぷりの寺院をゆっくり歩きました。今度くるときは予約して普茶料理などもいただいてみたいなあ。

2016年8月,京都(3),宇治平等院・鳳翔館

 京都からJR奈良線に乗って宇治駅で下車。駅前の有名なお茶屋には朝の9時過ぎだというのに長蛇の列ができていて,抹茶パフェだかかき氷だか,宇治茶スイーツがお目当てらしい。冷たい甘味のために炎天下に1時間以上並ぶなんて,その気合に驚く。
  初めての宇治平等院。京都を訪れてもあまり神社仏閣には足を運ばずに来てしまったけれど,一度は西方浄土の美しさを見ておかねば。それにしても海外からのツーリストを含めて,「人混み」と呼んで構わないほどの賑わいです。

 楽しみにしていた鳳翔館で雲中供養菩薩をじっくり拝観する。雲に乗って空中を舞う菩薩の姿を見ていると,上半身が人で,下半身が鳥の迦陵頻伽の姿をなんとなく連想してしまう。あれも確か浄土図に登場するはずだし,あながち遠からずという気もするけれど,少し「仏像の見方」的な勉強もしなくちゃ。と思った次第。

2016年8月,京都(2),川口美術・韓国古陶磁探究陶人展

  下鴨神社の参道を出町柳方面に歩くと,韓国骨董を扱う川口美術があります。お盆の期間は休みのことが多く,初めて訪れることができました。1階の洗練された骨董の数々に,思わず暑さを忘れます。
  2階でちょうど開催されていた韓国古陶磁探究陶人展は11人の陶人(いい響き)の小品がぎっしり展示されていて,とても楽しい。松葉勇輝さんの小さな白磁の花器を一つ,求めました。小さな野の花を生けたい。下の台はソウルの骨董店で求めた茶托。
 

2016年8月,京都(1),下鴨神社古書市

  今年も行ってきました。夏の京都。ただただ,暑かった。。年々,観光客の数が増えてやしないか?という人の多さにも(自分もその一人なんだけど)圧倒されて,もう夏の京都はやめておこ。と決意をして帰ってきました。
 
 さて,今年もまずは下鴨神社の古書市に。例年より乾燥してたのか,「散水車が入りまーす」というアナウンスに,え,本がびしょびしょになるのでは?と思ったら,こんな散水車でした。タンクを積んだ軽トラの荷台から水がびしょびしょ~と流れ出ます。なんともゆるい雰囲気がたまらない。
  初日というのに,こちらの気合が足りないせいか,ほとんど収穫らしい収穫もなし。こんなところかな,とあきらめかけたところに,Sylvan書房の台で1956年北京発行のIndigo Prints of Chinaなる1冊を発見!これはうれしい。インディゴの発色が美しく,文様の英語表記も見ているだけで面白い。  


2016年7月,東京目白,辻邦生「春の戴冠・嵯峨野明月記」展

 先月のこと,目白の学習院大学史料館で8月12日まで開催されていた「春の戴冠・嵯峨野明月記」展を見てきました。辻邦生の命日は「園生忌」として読者の胸に刻まれています。

 若いころに夢中になって読み,著作を集め,しばらく遠ざかっていたけれども,また最近になってああ,いいなあと読み返すことがしばしば。学習院キャンパス内の瀟洒な建物の展示コーナーは,思っていたよりもずっと小さい規模でしたが,熱心な読者の姿がそこここに。閲覧室には著作を集めたコーナーも。うん,これなら私の書棚の辻邦生コーナーの方が充実してるぞ,と独り悦に入る。
  展示されている小説の構想メモや日記の,細かくびっしりとした文字に圧倒されます。「絶えず書く人」であった小説家の,眉目秀麗なる若かりし頃の写真にも。いろいろ考えることが多く,簡単にまとめることは容易ではないので,ここでは展示室でメモをとった作家の言葉を忘備録として。

 「在る人がそこにいない。それを取り戻す」「不在から「在ること」の不思議を知る。この「在ること」の手ざわりを描き出す。「在ること」は「内なるもの」の枠としてあり,真存在は「内なるもの」である」「内なるもの」をなるだけあらわにするのが作家の仕事だ」(創作メモ1970~71より) 

2016-08-15

読み返した本,「安南・愛の王国」(クリストフ・バタイユ 辻邦生訳)

  クリストフ・バタイユという美しい響きの名前を持つ作家を知ったのは,訳者が辻邦生だから,というのが唯一のきっかけだった。シンプルな装幀の「安南」(集英社, 1995)は,扉頁にヴェトナム周辺の地図を配した120余頁の書。
  18世紀末にフランスからヴェトナムに派遣されてやがて故国から忘れ去られていった宣教師たちの物語であり,訳者解説の言葉を借りれば,「神の喪失と愛の発顕の物語」(後述)である。

 話題になった出版時に購入して読んだのだから,初読は20年も前のことになる。あっという間に読み終えて,あっという間に忘却の彼方だった。ベトナム旅行と,そして最近,辻邦生に回帰(というのも変な言い方だけど)していることもあり,再読してみた。

 この小説の文章は一つ一つが簡潔でとても短い。そのためだろう,何か禁欲的な印象を受けて,読後は緊張から解放されるような気分を味わう。「農民たちは,福音の教えに耳を傾けていたが,同時に,古くから伝わる彼らの神々を信じ続けていた。ヴェトナムはすべてを昔ながらに保っている。すべてがそこで永遠と混ざり合う。人間はだたそこを通り過ぎていくだけだ。」(p.85より)

 ところでこの物語は,冒頭部分から,ベトナム史に一見忠実なようで微妙に史実とは異なるのだが,この辺は,訳者解説に詳しい。「〈新しい世界〉を実在させるには,言葉がそれ自体で立ち,言葉の光を周囲に放射させることによって,その光が〈世界〉となるように努めなければならない。つまり言葉は対象世界に依存しつつ,それを描写するのではなく,言葉そのものが自立して〈世界〉となる。(略)こうした意味で『安南』はベトナム史にかかわる歴史的事実によって支えられた歴史小説でありながら,実は,歴史をいかに詳細に見ても発見することのできない,神の喪失と愛の発顕の物語へと変容している。」(p.132より)

2016-08-10

2016年8月,東京竹橋,声のマ 全身詩人、吉増剛造展

 
  東京国立近代美術館で8月7日まで開催されていた「声のマ 全身詩人、吉増剛造展」を見てきました。この詩人について,そしてこの展覧会について何かを書き残そうとするのは,私にはあまりにも手に負えないので,ここでは忘備録として。
 
 イントロダクション,日誌・覚書,写真,銅板,〈声ノート〉等,自筆原稿,〈gozoCine〉,怪物君,(怪物君をモチーフにした空間),コラボレーションの9つのパートで構成された展覧会です。
 
 もっぱら,多重露光の写真がメインの写真展示のコーナーで時間を費やしました。というより,そこから足を踏み出すと,自分が一体どこへ向かうのか,この詩人にどこに導かれていくのかがわからなくなって無性に不安になってしまうのです。
 
 彼の多重露光の写真はほかのどんな写真家の写真よりも惹かれます。In-betweenの吉増剛造Irelandは宝物の一つ。オリジナル写真の展示に吸い込まれてしまう。
 
 銅板のコーナーでは実物を手に取ることができるコーナーがあり,詩人を真似て手に取って写真を撮ってみました。「怪物君」の前では私はすべての思考が止まり,言葉を失います。この詩人の声はどこから聞こえてくるのだろうか。
 
 当日,映画の上映会があり,終演後サイン会が催されていました。美術館の外から詩人の姿をカメラに収めてみました。ガラスとブラインド越しに,背中が見えるようで見えない。詩人の声は聞こえない。 

2016年8月,東京丸の内,ジュリア・マーガレット・キャメロン展

  三菱一号館美術館で開催中のジュリア・マーガレット・キャメロンの写真展を見てきました。ロンドンのV&A美術館が企画した国際巡回展ということ。一号館美術館で写真の展覧会を見るのはあまり記憶にないけれど,なるほどここの展示室にぴったり,という感じの展覧会。展示室はこんな感じ。V&Aのphotography roomの雰囲気を再現しているようです。
 この女性がカメラを手にしたのは1863年ということ。まさに写真黎明期に,芸術としての写真に情熱を注いだ人生に感動。ピクチャレスクな写真の数々を目のあたりにして,彼女にとってカメラは画家の絵筆のようなものだったわけだ,と納得。写真術を身につけたのは48歳のときというから,自分の表現したいものを表現する手段を得て,どれほど嬉しかったことだろう。
 
 聖母や幻想を主題とした作品をV&Aは当時の批評家たちの攻撃をものともせずに所蔵したらしい。あの美しい美術館の写真室を思い出しながら,手元のデジカメでカシャカシャと会場の写真を撮りながら,19世紀に生きた一人の女性の「表現する悦び」に羨望の想いを抱く。
 
 印象に残ったものをいくつか。'Yes or No?'というタイトルの1枚はヴィクトリア朝に人気のあった風俗画の主題のプロポーズを表しているということ。Robert Browningの肖像は,おお,上田敏訳の「春の朝」の詩人ではないの!「神,そらに知ろしめす。すべて世は事も無し。」と諳んじた学生時代を思い出しました。God's in his heaven. All's right with the world. ほかに,キャメロンの写真が挿図として装幀されたテニスンの詩集なども。