2020-12-30
読んだ本,「動物寓話集」(コルタサル)
2020-12-20
2020年12月,東京小平,「DOOR IS AJAR 山本直彰展」(武蔵野美術大学美術館)
展覧会のタイトルは"DOOR IS AJAR"。えっ,"ASK,SEEK, KNOCK"の次についにドアが開いたの?と驚いたが,日本語が添えられている。「ドアは開いている か」。問われているのだ。観る者としてドアに対峙する私たちに。
1998年頃に初めてこの作家の存在を知り,閉ざされたDOORに惹かれ続けてきた。身体の芯から溢れ出る言葉もまた鋭く,今展の図録に収録されたエッセイ選を夜更けに読むと,私と世界の間のドアはバタンと閉じる。
第2会場に展示された新作「我々はどこからこないで 我々はどこへいかないのか」を前にして,人をくったようなタイトルにめんくらいながらその意味を考える。2011年にインタビューに答えて「(生きることとは)前も後ろもないどこかへ向かっていること」と答えたという。
私は作品の前で,右往左往しながらプラハ滞在時のドローイングやドアの写真を見て息を呑む。プラハではドアは開いて「いた」のか。いや問われているのは今,「開いている か」。
いつまでもいつまでも考え続ける。
2020-12-06
2020年12月,横浜みなとみらい,三浦一馬 キンテート〈マルコーニ&ピアソラ〉・横浜美術館「トライアローグ」展
第1部のマルコーニが昼の音楽だとしたら,第2部のピアソラは夜の音楽なのかな。ひたすらかっこいい。ずいぶんと前にヨーヨー・マのピアソラのCDを繰り返し聴いてたころがあったけど,生の迫力に興奮度マックスです。
前半にネストル・マルコーニの6曲、後半にピアソラの「92丁目通り」,「プレエパレンセ」など6曲、アンコール最後にリベルタンゴ!
帰りが遅くなりそうだったので,会場近くで1泊し,翌日は横浜美術館の企画展「トライアローグ」を見て帰りました。横浜美術館・愛知県立美術館・富山県美術館の20世紀西洋美術コレクションが大集合。それぞれの館の特徴が出てておもしろかった。
特に同じ作家の作品が並んでると,観客としての好みの差が出るというか。私は富山のセンスが好きだったな。サム・フランシスは愛知のは派手,富山のはシンプルで。リキテンスタインは横浜のはステレオタイプで,富山のは斬新,みたいな感じで。
読んだ本,「理由のない場所」(イーユン・リー)
2020-11-23
2020年11月,東京新宿・恵比寿,石元泰博写真展
というわけで,展覧会の感想というより,自分の宿題の答え合わせみたいな話でした。それは置いておくとして,石元泰博の写真は「スタイリッシュ」という気恥しい形容詞がぴったりのかっこよさ。オペラシティは桂離宮と曼荼羅の充実した展示,写真美術館ではカラーの多重露光の斬新さにしびれます。来年度の高知の展覧会にも行きたくなってきました。
読んだ本,「象牛」(石井遊佳)
表題作の「象牛」は南インドを舞台にした前作同様,インドで不可思議な物語が繰り広げられる。主な舞台はヴァーラナシー。今年2月にほんの1日滞在しただけなのに,あまりに強烈な経験が記憶としてよみがえる。
およそありえない出来事と共に,「象牛」もあの街になら本当に存在するのではないかと思えてしまう。ガンジス河沿いのガートの名称を地図で確認しながら,小説の登場人物たちがあそこにいるのだ,と読み進める。
ただ,インドの神々と性愛という小説のモチーフがどうにも読んでいて辛い。何か,無理やり「インドを描かねばならない」という強迫観念のようなものを感じてしまう。前作がインドを舞台に軽やかに仏教的世界を描いていたのに対して,重いのだ。「私」の愛も生き方も。
少し戸惑いながら,併録の「星曝し」を読む。私にはこちらの方が面白かった。枚方をモデルにした「比攞哿駄」を舞台にして,死者と生者の境界の曖昧な物語が繰り広げられる。この小説でも川がこの世とあの世を隔て,「私」は七夕の夜に川ベりで煤に汚れた少年に出会う。「私」の少年への告白に読者である私は足をすくわれて,川の中に転がり落ちてしまう。そこはあの混沌としたガンジス河かもしれない。
祖母のアパートで蚊取り線香に火をつける場面。「マッチ箱に手を入れて新しい一本を取り,しゅっ,ともう一度擦る。私は空いてる方の手を上げ,火をみつめながら,炎の熱のとどく境界の一線を指さきで薄闇になぞりだしてみる。恒星の引力の影響をうける運命的一線。惑星の崩壊するぎりぎりの生存の破線上を,漂うのだ,虚空に切り裂かれたマッチひと擦り分の光と熱のぎりぎり限界を人はさまよう,それが一生ということだ。」(p.168)
2020-11-20
2020年11月,東京新宿,「世界の藍」展
読んだ本,「訴訟」(カフカ)
2020-11-13
読んだ本,「族長の秋」(ガルシア・マルケス)
2020年11月,京都,知恩寺・京都国立博物館「皇室の名宝」展
2020-11-07
2020年11月,奈良(3),奈良国立博物館「第72回正倉院展」
会場は混雑もなく,ゆっくり見ることができましたが,如何せん,今年の展示は武器・武具と薬物がまとまって出陳されるのが特徴ということで,なんというか華やかさは今一つ。それに昨年東博で螺鈿の琵琶や瑠璃碗を見てしまったこともあって,今年の展示はちょっと地味に見えてしまったという。。
とはいえ,美しい螺鈿の鏡や刺繍の幡にはうっとり。そして楽しみにしていた伎楽面の迫力にも大興奮です。
さて,これで奈良の一日はおしまい。大充実の一日でした。翌日は京都へ向かいます。
2020年11月,奈良(2),春日大社と東大寺
2020年11月,奈良(1),大和文華館「墨の天地 中国 安徽地方の美術」展
2020-10-25
2020年10月,Curtis's Botanical Magazine,時計草の植物画
2020-10-24
2020年9月,北海道(5),ウポポイ 民族共生象徴空間
ずいぶん以前のことだけれど,函館の北方資料館を訪れたことがあって,アイヌの手仕事やアイヌ絵には爾来惹かれてきたのです。なのでウポポイのオープンはとても楽しみでした。旅の最終日,札幌から白老へ。帰路はそのまま千歳空港へ向かう予定です。駅でコインロッカーに荷物を入れて,いざレッツゴー。
施設に足を踏み入れると,美しい湖が目の前に広がります。広さは一日で回り切れないほどの規模ではありませんが,体験交流ホールや学習館,屋外ステージや工房など,プログラムがぎっしりなので,効率的に回らないと半日では時間が足りないかな,という感じです。
アイヌの神カムイの視点を体験する映像「カムイ アイズ」や,伝統的な歌や踊り,楽器演奏の「シノッ」の上演などなど,整理券を求めて列に加わりながらプログラムを楽しんでいると,ちょっとテーマパーク的なワクワク感が。シノッでは鶴の舞「サルルンカムイ リムセ/サロルン リムセ」に感動。そして国立アイヌ民族博物館は久米設計による美しい建物です。1階はシアターとライブラリーやショップなど,2階に展示室が配置されています。常設展示は中心部に円形に代表的な資料を並べ,外周に詳細な展示を展開するというもの。テーマは「私たちのことば」「私たちの世界」「私たちのくらし」「私たちの歴史」「私たちのしごと」「私たちの交流」の6つ。すべてアイヌ語の表示が第一言語となっています。
そうか,ここでは「私たち」=アイヌの人たちが主語なんだ。アイヌの人たちの美しい手仕事の展示を楽しもう,と呑気に訪れた私にはこの展示はかなり驚きの連続でした。アイヌが受けた苦難の歴史の展示では胸が苦しくなってきます。苦難の歴史は誰が行ってきたものかの視点がぼかされている,という評も耳にしますが,ここを訪れる人にとってはそれは自明のことであって,展示を見て人として深く考える場ではないのか,とそんなふうに感じたのでした。
旅を終えて,「ジャッカ・ドフニ」(津島祐子)を読み返してみよう,と思う。アイヌの歌の歌詞が繰り返されるこの美しい小説を読むことは,「私たち」と「あなたたち」が近づく一つの方法だと思うから。「浜へクジラがあがってきた フンポ・エー/行ってみようよ! フンポ・エー/浜へ大きなクジラが フンポ・エー/白身の肉をどっさり背負って フンポ・エー/あがってきた フンポ・エー/行ってみようよ! フンポ・エー」(p.457)
2020年9月,北海道(4),小樽・運河・小樽芸術村
2020-10-23
2020年9月,北海道(3),余市蒸溜所
2020-10-18
2020年9月,北海道(2),北菓楼・北海道大学総合博物館・弘南堂
また間が空いてしまいました。やっと少し余裕ができてきて、今頃になって9月の旅行の写真整理と忘備録などを。
札幌で文学館の次に向かったのは北菓楼札幌本館。大正15年に行啓記念北海道庁立図書館として建てられて,三岸好太郎美術館など美術館としても使われてきた建物が2016年に安藤忠雄によってリデザインされたもの。2階のカフェの壁面は6000冊の本が並びます。天井のデザインがすてきだ。建物の歴史を大切にしたデザインは上野の国際子ども図書館にも通じる雰囲気があって,とても気持ちのよい場所でした。
おいしいメニューにも大満足して次に向かったのは北大キャンパス。天候がよければ植物園にも行きたかったのだけれど,冷たい小雨の中,総合博物館へ。
収蔵標本が展示された3階が圧巻です。最初はウケてた標本展示(階段の脇にクマが座ってる!)も,バンビちゃんと親鹿が佇んでるあたりからだんだん怖くなってきた。。アイヌ・先住民研究センターのブースでは,ここでもウポポイの予習に励む!あっという間に時間がたって,博物館を出たのは薄暮のころ。北大はキャンパスというより広大な森ですね。一人とぼとぼと北13条門へ向かう道のりはなんとも心細いものでした。
さて,門を出て街中へ戻ると元気百倍。今回楽しみにしていた古書店の弘南堂は門の目の前です。「池澤夏樹の旅地図」(世界文化社 2007)所収の「旅先の本屋で」という短いエッセイに登場する古書店。目次ページには作家が書棚を眺める書店内景の写真も掲載されています。
「旅先で本屋に入って裏切られることは少ない」(p.246)という教え通り,文学館の展示がそのまま書棚に展開されているような充実ぶりに興奮。美術書のコーナーではアイヌ文化の充実ぶりにまた大興奮。ただ,「旅の途中で本を買うことの問題点は荷物がどんどん重くなること」(同)とある通り,あまり見境なく買うのはやめておこうと決めました。
で,選んだのが「蠣崎波響伝」(永田富智 道新選書 1988)と「北海道の樹木と民族」(伊達興治 北海道出版企画センター 1995)の2冊。これならバックパックの中で旅の伴にできる,と店を出たのですが,あとになって串田孫一の「北海道の旅」の初版函入りを棚に戻してしまったのを後悔しきり。取り寄せたり,神保町で探したりもできるだろうけど,「旅先で買う」というその行為を,本の重さのためにあっさり諦めた我が愚かさよ(おおげさ)。
さて,北海道初日の札幌ぶらぶらはこれでおしまい。2日目は余市と小樽へ!