2014-12-31

2014年12月,京都(3),「英国叙景」展,南座

  京都駅からJRで15分ほど,大山崎山荘美術館で1月4日まで開催中の「英国叙景 ルーシー・リーと民芸の作家たち」展を見てきました。

  この美術館を訪れるのは2回目。以前は真夏だったので,まったく別の顔を楽しめました。煙突のある民家や,美術館の門燈など,山の中の別世界に迷い込んだようです。
  展覧会はルーシー・リーが8点,バーナード・リーチが21点,その他浜田庄司や河井寛次郎など,決して規模は大きくありませんが,丁寧な展示が山荘の雰囲気にぴったりで充実の展覧会。

 バーナード・リーチの燕文様の皿は飛び鉋の文様が美しい。1954年作となっていて,小鹿田に滞在したときの作だろうか?と想像します。静かな美術館の一室で,時間も空間も自在に旅をするのがことのほか楽しい。

 地中館ではモネの睡蓮やルオーの聖顔を見る。山手館では版画集「蘭花譜」をじっくり堪能。水彩かと思ってみていたら,木版画ということ。ロンドンのキューガーデンを訪れて洋蘭に魅せられた加賀正太郎(本館を建設した実業家)の,花に対する愛だけでは語れない,執念のようなものに圧倒されます。

 美術館をあとにして京都市内へ戻り,この日は南座で顔見世歌舞伎も鑑賞。初めての南座は,半分以上夢の中でした(泣)。中村勘九郎・七之助の「爪王」は迫力満点。まさにブラヴォーの圧巻の舞台でした。
 
 さて,2014年ももうすぐ終わりです。今年は身辺が慌ただしく,あまり更新できませんでしたが,日々思いがけずたくさんの方が見にきて下さいました。ありがとうございました。来る年が皆さまにとってよき年となりますように。

2014-12-28

2014年12月,京都(2),京都国立博物館 平成知新館

 京都国立博物館の平成知新館に行ってきました。この夏,鳥獣戯画が目玉の開館記念展は大変な人出だったらしい。年内最終日の夕方に出かけてみると,訪れる人も少なめでしっとり落ち着いて雰囲気満点です。
  谷口吉生設計のこの建物,東京国立博物館の法隆寺宝物館をそのまま引き伸ばした感じ。入口の池までそっくり。同じ建築家に依頼してテイストを揃えるのは筋が通っている(?)と言えばその通りだけど,これが博物館建築のスタンダードである!と言わんばかりの建築家のエゴみたいのがちょっと鼻につく。

 気を取り直して3階の考古・陶磁室から順に2階の絵画を回って1階へ。彫刻・書籍・染織・金工・漆工と特別展示室があります。ここのところ,漆の美しさに惹かれているので,南蛮漆器と紅毛漆器を特集した漆工の部屋でうっとり楽しみました。IHSのマークが入った書見台は,伝統美と西洋の融合がそのまま500年近く「目新しさ」を失っていないとでも言えばいいのか,現代の日本人の眼から見ても,とてもモダンな美しさです。

 ちなみに南蛮美術でよく目にするIHSはIesus Hominum Salvator:「人類の救世主イエス」の頭文字ということ。クリスマスを控えた古都の夕暮はとても静か。にぎやかで華やかな都心を離れて古都で過ごす選択もありだな,としみじみ。

2014-12-26

2014年12月,京都(1),「あなたが選ぶ高麗美術館の美」展

 待望の冬休み。ロンドンに行きたいなあ,とか韓国の博物館・美術館めぐりをしたいなあとか漠然と考えていたのだけれど,体力も気力もなくて(それにこの円安だ。。)京都へ2泊3日の旅に行ってきました。大山崎山荘美術館の「英国叙景」展と高麗美術館の企画展,京都国立博物館の平成知新館,それから南座の顔見世などなど。

 お昼前に京都に着いて,まずは高麗美術館へ。秋の企画展「あなたが選ぶ高麗美術館の美」展の最終日です。コレクションから主要な作品を展示して,観客にお気に入りベスト3を選んでもらい,次年度の名品展の企画を構成するという趣向の展覧会です。

 展示の数を増やすために解説のボードは省略しているとの断りが掲示してあります。畢竟,観客は作品そのものとじっくり対話することになります。これがかなり難しい。
  「好き」が唯一の基準になるはずですが,所蔵目録でしか見たことがなかった作品の前では,あ,これが本物か!と感激したり,やはり高麗青磁や李朝白磁は外せないし,となったり。

 さんざん悩んで3つ選びましたが,「選ぶ」という行為の楽しさ・難しさを実感した時間となりました。ちなみに第1位は朝鮮末期の「墨蘭図」(金應元)。2009年に静岡県立美術館まで見に行った「朝鮮王朝の絵画と日本」展に出品されていた作品とそっくりで,もしかしたら高麗美術館から貸し出されていたのか?と思いましたが,帰ってから同展の出品リストを見たら李是応作の別の作品だった。好きな理由に「再会できて嬉しいです!」とか何とか書いちゃった。かなり恥ずかしい。

 美術館の入口の羊を来年の年賀状に使おうと思って撮影したものの(今頃),ヘンテコな写真になってしまって断念。ここに載せておくことにします。

2014-12-20

2014年12月,東京竹橋,「奈良原一高 王国」展

  一気に冬がやってきて,背中が丸くなる日々。竹橋の近代美術館で「奈良原一高 王国」展が開催されています。北陸に大雪をもたらした寒波の一日,東京の冬の空。
 
 奈良原一高は7月に島年県立美術館で「スペイン・偉大なる午後」を見たばかり。たしかその時に,「王国」からも数点出展されていた気がします。この修道院のシリーズをまとめて見てみたいと思っていたところだったので,とても嬉しい。
 
 トラピスト修道院(北海道)で撮影した「沈黙の園」と,和歌山県の女性刑務所で撮影した「壁の中」の二つのパートで構成された「王国」は,1958年の発表というから,半世紀近く前の作品ということ。
 
 被写体の好みで言ってしまえば,「沈黙の園」に圧倒的に惹かれますが,どちらも外部の世界とはまったく遮断された空間です。
 
 展示解説によると,奈良原一高は「(略)ともに閉ざされた壁の中の世界…、そのような壁は日常の心の中にもとらえがたい疎外の感覚となって介在していて,当時の僕はそのような自分の内部にある不安と空しさをこの「王国」の場をみつめることによって超えようとしていた」(「20年目のあとがき」(1978)より孫引き)のだと言う。
 
 時間を超えて,今,これらの写真がまったく古びずに観る者の心に迫ってくるのは,「日常の心の中のとらえがたい疎外の感覚」そのものが,人間の生につきまとうなかば必然的な感覚であるからに違いないのだろう,と展示室の片隅でぼんやりと考えていました。
 
 とりわけ興味深かったのは,修道院の建物の窓や開口部を,内側と外側からそれぞれ撮影して並べて展示した一連の写真。そこに人間が写っていてもいなくても,奈良原一高のカメラがとらえたのは人間の存在そのもの。そして写真家は写真集のタイトルに「王国Domains」と名付けたのです。

2014-12-14

2014年11月,東京都内,「東山御物の美」,「古代東アジアの漆芸」,「存星 漆芸の彩り」

 随分と間が空いてしまいました。吉田健一がこんな風に書いています。そのまま言い訳に引用させてもらおう。「冬の朝が晴れていれば起きて木の枝の枯葉が朝日という水のように流れるものに洗われているのを見ているうちに時間がたって行く。どの位の時間がたつかというのでなくてただ確実にたって行くので長いのでも短いのでもなくてそれが時間というものなのである。」(「時間」吉田健一著,講談社学芸文庫,p7)
  11月にでかけた展覧会を三つ,忘備録として。振り返ると,まるで連想ゲームのように導かれていった感じ。何に?それを「美の神様」と言ってしまいます。

 まず,三井記念美術館「東山御物の美 足利将軍家の至宝」展。週替わりで目玉展示があり,私は「桃鳩図」など徽宗(南宋)の中国絵画を楽しみに展示終盤に訪れました。大らかで繊細。水墨画の様式美に宿る「時間」の流れに,ただただ呆けたように立ち尽くします。

 で,同じ会場でやはり南宋の堆朱を見てノックアウトされる。文様の一つ,「屈輪文」の神秘的な美しさ。中国の漆芸はいろいろ見たつもりでいたけど,文様の名前は知らないものばかりでした。クリモン,クリモンと覚えて外へ出て,日本橋から神田方面へ向かいます。
  次に神田錦町の天理ギャラリーで開催されていた「古代東アジアの漆芸 東洋の美」展を見ました。南宋の時代から,気の遠くなるような時間をさかのぼって古代中国漆器を堪能。春秋戦国時代の逸品がそろい,これはまったく未知の世界でした。帰路,思わず神保町へ寄って関連書を探す。源喜堂で「漆で描かれた神秘の世界」展図録(東京国立博物館,1998)を発見。冬休みにじっくり勉強してみよう。
  さて,その翌週には上野毛の五島美術館にでかけて「存星 漆芸の彩り」展を見ました。これはまた宋・元の時代に戻って,茶人たちに珍重された唐物の中から「存星」と呼ばれた漆芸を集めた展示です。室町時代に「稀なるもの」と呼ばれたという「存星」とは一体何ぞや,という分類・解釈についての丁寧な解説を辿りながら,日々の喧騒とは無縁の時間を楽しんだのでした。美術館の入口で。晩秋の空の色はまだ冬の色を迎えていない。

2014-11-23

2014年11月,横浜港の見える丘公園,須賀敦子の世界展

 少し前のことになります。港の見える丘公園のすっかり秋色に染まったイングリッシュガーデンを通り抜けて,神奈川近代文学館へ「須賀敦子の世界展」を見にでかけました。「見に行った」と同時に「読み,そして感じた」展覧会。
  イタリアの海岸で幸せそうな微笑みを浮かべるセピア色の写真を用いたポスターが印象的で,彼女の人生の誠実さがその写真からあふれているようです。原稿は早い段階からワープロやPCを使っていたということで,自筆文書の展示は書簡が中心でした。愛する家族へ,友へ,編集者へ。

 展示されていた夫のペッピーノ宛ての書簡は,便箋3枚にタイピングして自筆サインが入っています。タイプは絶対オリベッティだろうな,とかそんなことを考えてしまう。

 ダビデ・トゥロルド神父と並んで写った写真の前では,マリオ・ジャコメッリの写真を思い出す。ああ,これが須賀敦子と時間を共有していたダビデ神父の姿なんだ。ジャコメッリのレンズの向こうにいたモノクロームの形態が,突然動き出してにっこりと私に微笑みかけているような錯覚を覚える。展示室のガラス越しに。

 日本に帰国後の大学教員としての日々を丹念に辿るコーナーも興味深いものでした。上智大学で英語で日本文学や世界文学の講義をしていたということで,テスト問題の展示も。

 展示の最後は「須賀敦子の愛したもの」として,フィレンツェ大学やイタリア文化会館に寄贈された蔵書の一部も展示されています。いつまでも立ち去りがたく,須賀敦子という人生を形成した本たちを眺めて時間を過ごしました。

 この冬はゆっくりと須賀敦子の本と彼女の訳したイタリア文学を読み返すことにしよう,と心に決めて坂道を下ります。このあとはバスに乗って関内へ向かい,神奈川県立博物館で「白絵」展を見て帰りました。

2014-11-03

2014年11月,東京上野,「国宝展」/「東アジア陶磁名品展」

 東京国立博物館にでかけて「国宝展」と「東アジア陶磁名品展」を見てきました。福岡市博物館所蔵の金印が11月18日から展示されるということで,きっと大行列になるだろうなと読んで早めにでかけることに。金印は福岡でじっくり見てきたし(えへん)。
  とにかく右も左も全部国宝というわけで,キャプションを読んで実物を見て「おお,これが」を繰り返しているうちにあっという間に時間がたってしまった展覧会。まさかの仏足石や玉虫厨子が博物館の展示室にあるわけで,「祈り,信じる力」というテーマ云々よりも,そこに「在る」という事実に圧倒されてテンションもあがります。
 
 そして11月3日までの限定展示の正倉院宝物11件の特別展示には興奮もマックス状態(国宝ではないけど)。「鳥毛立女屏風」や螺鈿の琵琶の前ではただただ「本物だ!」と感激する。「緑地彩絵箱」はその時空を超えた美しさにほとんど呆然となる。
 
 ふと考えるに,旅先のモナリザやマハラジャの宝物にこれほど感激しただろうか。やはり脈々と流れる日本人の感性というものがあって,今ここに立っているのだなあと遠い目になってしまいます。
 
 本館で開催中の「東アジアの華 陶磁名品展」もすばらしい展示。日中韓国立博物館合同企画特別展と銘打つ展覧会で,韓国国立博物館所蔵の白磁壷のその完璧な美しさといったら!韓国にはなかなか行く決心がつかない(キムチが苦手)のだけれど,博物館だけでも行かねば,と心に決めた午後。
 
 ところで,淡交社から出ている「なごみ」という茶道の雑誌の10月号が東京国立博物館の特集です。山口晃の漫画が抱腹絶倒で,館内のあちらこちらでその場所に関するエピソードを思い出してにやにやしながら歩いてしまった。

2014-11-02

2014年10月,皇居東御苑,宮内庁楽部雅楽演奏会

 2012年の公演に続いて今年も秋の雅楽演奏会の応募はがきが当選!大手門から皇居東御苑に入り,宮内庁楽部へと向かいました。開演の1時間ほど前に門をくぐったものの,楽部に到着したときにはすでに場内は満席。うろうろして1階にようやく一席発見,次の機会があったらもっと早く着くようにしよう。
  管弦は盤渉調(ばんしきちょう)の「盤渉調音取」「千秋楽」「越天楽残楽三返」「劔気褌脱」の四曲の演奏です。優雅な演奏が始まると,体調万全(?)で臨んだはずなのに,途中で意識が飛んでしまう(泣)。休憩時間に気合を入れ直します。

 舞楽は中国系の左方の舞が「左方 還城楽(げんじょうらく)」,朝鮮系の右方の舞が「蘇志摩利(そしまり)」です。蛇の小道具を使う「還城楽」は,6月の雅鳳会の演奏会でも見ましたが,さすがに宮内庁楽部の舞台は次元が違います。大太鼓がお腹にどーんどーんと響くのが心地よい。迫力の舞に時間がたつのを忘れます。

 右方の「蘇志摩利」は雨乞いの舞とも言われているそう。四人舞で,途中縦一列になって左右が入れ替わる動きなどもあって,静かな右方舞ですが,優雅な動きがとても面白かった。好みで言えば緑色の装束の右方舞の方が好きだわ,と再確認。

 終演後,大手門に向かう途中に売店に立ち寄ると,雅楽舞台の模型が置いてあって,写真を撮る人がたくさんいました(右の写真)。

 この日は出光美術館にも立ち寄って「仁清・乾山と京の工芸 風雅のうつわ」展も鑑賞。色鮮やかな京焼はあまり好みじゃないと思ってたけれど,初めてみる仁清の美しい白釉に感動したり,阿蘭陀写の向付の隣にデルフト焼の碗が展示されていたりと,とても楽しい展覧会でした。どたばたの日常をしばし忘れて,なんとも雅な時間を堪能した秋の一日。

読んだ本(戯曲),「出口なし」(サルトル)

 Huis Clos「出口なし」は「蠅」に次ぐサルトルの二番目の戯曲ということ。サルトルの著作はほとんど読んだことがない。「実存主義」がこの戯曲の通奏低音だとしても,それをああ,なるほどと理解できるわけではない。と,開き直ってしまったらそこでおしまいなので,舞台を見た翌日にとにかく図書館へ直行。
  筑摩世界文学大系89(1977)で伊吹武彦訳の「出口なし」を読む。三段組で22ページの短い作品だが,舞台を見ていなかったら内容を理解するのにさぞかし苦労しただろう,と思う。舞台で印象的だった場面のいくつかを活字で追ってみる。
 
 (エステル)「あたし,おしゃべりをする時は,自分の姿がどれか一つの鏡に写るようにしたもんだった。あたしは,しゃべりながら,自分のしゃべるのを見ていたんだ。みんながあたしを見ているように,あたしは自分を見ていたんだ。すると,頭がいつまでもはっきりしていた。私の口紅!きっと歪んでついている。いつまでも,いつまでも鏡なしでなんか,いられやしない。」(p.291より引用)

 イネスが他の二人に投げかける叫び声は,舞台では序盤に響いたが,戯曲では最終盤に登場する。(イネス)「見てるわよ,見てるわよ。あたしはたったひとりで群衆なのよ。群衆よ,ガルサン。」(p.305)

 そして,その叫び声を引き受けるようにガルサンの長い独白が続く。(ガルサン)「ぼくを食いつくすみんなの視線…ふん,二人きりか。もっとたくさんだと思っていた。じゃ,これが地獄なのか。こうだとは思わなかった…二人ともおぼえているだろう。硫黄の匂い,火あぶり台,焼き網…とんだお笑い草だ。焼き網なんかいるものか。地獄とは他人のことだ。」(p.305)

 「地獄とは他人のことだ」l'enfer, c'est les Autresと終わる台詞のあと,劇はやはりガルサンの「よし,続けるんだ」Eh bien, continuons.で終わる台詞で幕を下ろす。 

 首藤康之が舞踊公演に名付けたOTHERSというタイトルの意味がこの台詞に集約されていることが理解できたものの,サルトルの戯曲そのものは私にはとてもハードルが高い。「劇作家サルトル」(山縣熙著,作品社 2008)の第2章「出口なし」(pp.42-59)が,とてもわかりやすく理解の入口へと導いてくれた。

 首藤康之の肉体を通して,私たち観客はガルサンという「死者」の叫びを聴く。私たちは「地獄で生き続けること」を選択するのか,扉の外へ出ていくことを選択するのか。ガルサンは「死者」だ。しかし私たちは生きるものとして。
 

2014-11-01

2014年10月,神奈川芸術劇場,首藤康之 DEDICATED 2014

 神奈川芸術劇場で首藤康之のDEDICATED 2014を見てきました。今回のテーマはOTHERS「他人」で,「ジキル&ハイド」と「出口なし」の二つの演目です。
 
 最初の「ジキル&ハイド」は首藤康之のソロで,舞台上には姿見よりも一回り大きいくらいの鏡。鏡で自分を見る=他者の視線の介入によって,自己が分裂していくというイメージです。しなやかで官能的な身体の動きは,観客のまなざしに寄り添うよう。そして次の瞬間には彼の身体は獣となって,観客の畏怖の視線を突き放す。観客である私は一瞬もその存在から目をそらせない。
 
 「出口なし」はサルトルの戯曲を「ダンスと演劇の融合」という形で白井晃が演出した作品です。中村恩恵と,女優のりょうが出演しているのですが,りょうの細い身体は首藤・中村の造り出すイメージ世界に不釣り合いで,見ていてつらかった。
 
 約1時間の舞台は鏡のない世界。3人の登場人物がそれぞれ他人の目を通して存在し,関係性を築いていきます。台詞は研ぎすまされていて,演劇というよりは台詞のあるダンスという印象です。ガルサン(=首藤)とエステル(=中村)の絡みは相変わらず官能的で,そこが地獄だということをしばしば忘れてしまう。イネス(=りょう)は二人を見つめて「あたしはたった一人で群衆なのよ」と吐き捨てるように言う。
 
 物語のクライマックス,椅子の上に飛び乗ったガルサンの「地獄とは他人だ!」という叫び声がいつまでも耳と網膜に焼き付いて離れない。


2014-10-29

2014年10月,大分日田,小鹿田焼の里

 このところ過ぎていく時間の速度と,体力の消耗と回復のサイクルがまったくかみあわず,この場所に記憶として書き留めておきたいことがどんどんたまってしまっています。少しずつ,と思っていると忘却の速度もまた加速していくばかり。これではいかんです。というわけで今回は小鹿田焼の里のことを。
  毎年10月の第二土曜日・日曜日は小鹿田皿山で秋の民陶祭が開催されます。民陶祭では各窯元が軒先で販売するだけでなく,アウトレット扱いの品もたくさん販売されると聞いていたので,鼻息も荒く(?)いざ皿山へ。ぽってりとしたピッチャーが今回のお目当てです。

 福岡市内でレンタカーを借りて,大分自動車道日田インターまで約1時間,そこから約30分の距離。10軒の窯元が集まる集落の中心には清流が流れ,絵に描いたような美しき山里です。

 小鹿田焼のピッチャーには,バーナード・リーチが滞在したときに取っ手のつけ方を指導したという逸話が残っているそう。坂本窯でまさに思い描いていた通りのものに出会う。絵付けのないシンプルな白を選んでみました。現地では色や文様にかなりバリエーションがあって,とても楽しい。

 たくさん買っても,ヤマト便のテントが待ち構えて(?)います。湯呑や小壷など手頃なおみやげもいくつか買って知人・友人に差し上げて,自分用のはこんな感じ。いやあ,台風の近付く中,初志貫徹!あきれ顔の家人をよそ目に,こういうことには強い意志を持って行動できるんだな,と思わずドヤ顔。

2014-10-21

2014年10月,福岡市博物館・福岡アジア美術館,金印と福岡アジア美術トリエンナーレ2014

 まだ台風が近付く前で,気持ちのよい秋空が広がっていた午後,博多駅前から福岡市博物館まで路線バスを利用して出かけてみました。路線バスなのに,海岸線は都市高速を走る!海の向こうはすぐ朝鮮半島なわけで,バスの車窓に広がる風景はなんとなくアジアな雰囲気を感じます。博物館エントランス前の広場が水平に広がる感じも大陸っぽい(独断です)。
 目的は志賀島出土の金印「漢委奴国王」です。小学生の頃から画像として刷り込まれているけれど,実物を前にしたときは思わず鳥肌ものでした。そうか,こんなに小さいのか。今もまぶしい輝きを放つ小さな塊が,この国の成り立ちを物語っていることを丁寧でわかりやすい展示パネルや関連展示をたどりながら学ぶことができます。
 
 いやあ,こんなに感激するとは。東京国立博物館で開催中の国宝展にも期間限定で出品されるということなので,また見にいきたい,でも大行列になるかな,と思いを巡らしています。
 
 さて,福岡市の中心部に戻って「福岡アジア美術トリエンナーレ2014」が開催されている福岡アジア美術館も訪ねてみました。
 「アジアの現代美術」というのは私にとってはすでに一つのジャンルとしてあって,この日もそれほど新鮮な驚きというのはなかったのですが,いくつか心に残ったものを。ミャンマーのミン・ティエン・ソンの「異界(戦車)」。福岡で製作されたもの。複雑からシンプルへという軽やかな転換が面白かった。
 
 ペマ・ツェリン(ブータン)の「時の音」という短い映像は,何も事件が起こるわけではなく,淡々と始まって淡々と終わります。完璧なまでに素朴に「作られた」作品です。ブータンという国への憧憬もあって,とても印象に残る作品でした。
 
 この展覧会のタイトルは「未来世界のパノラマーほころぶ時代のなかへ」。会場に溢れる「どこかなつかしい未来」の持つエネルギーに圧倒されて時間を過ごしました。そして,福岡とアジアの距離感は,関東のそれとは比較にならないほど近いのだ,ということも実感。


2014-10-19

2014年10月,福岡大濠公園,「更紗の時代」展

 10月の第二土曜日・日曜日にかけて福岡に行ってきました。そうです。台風19号が直撃した週末のこと。なんとか無事に戻ってきたものの,周囲からは「アホか」という冷ややかな反応でした(涙)。

 天気図を見ながら,これはまずいことになりそうだと思った(もとい,確信した)ものの,ずっと前から計画していた福岡行きを決行したのは年に一度開催されるお祭りが目的でした。祭りと言っても,市内で大規模に開催されるものではなく,日田の山里で開催される小鹿田焼の民陶祭です。顛末は次々回に。

 まずはこれも楽しみにしていた「更紗の時代」展が開催中の福岡市美術館を訪ねました。バス停の前の蓮池。あれ,この時期に花が咲いてます。レンガ造りの外観は東京都美術館と雰囲気が似ている気がします。

「更紗の時代」展はとても興味深い展示です。解説文には「(略)更紗の美はグローバルな価値観となった。本展は,世界中が更紗を求め,美意識を共有し,交流した約500年にわたる時代をたどる」とあります。まずは16世紀のインド更紗から始まり,大航海時代のヨーロッパ参入以後,日本への浸透,そしてヨーロッパやアジア諸国での受容の姿が美しくたどられていきます。

  理屈を超えてとにかく好きというわけで,どの作品も個人的な好みとか体験から見てしまう。「生命樹文様」の16世紀インド更紗などはこんな布が部屋に1枚掛けてあったならいいなあとか,少ない分量の布を丁寧に仕立てた彦根藩や前田家伝来の仕覆や包裂などはこの手にとって実際に使ってみたいとか思ってしまいます。裁断するたびに印を押して管理していたという前田家伝来の更紗には,わかるわあ,大事に使いたいよねえ,と実感。

 展示の後半はインド更紗を目指してヨーロッパ,インドネシア(ジャワ更紗),日本で独自に創造された更紗と,そして最後は「更紗の子孫」ということでアフリカのカンガも多数出品されていました。もりだくさんの内容でとても見応えのある展覧会です。

 ところで展覧会のチラシがとてもすてき。裏面は一面のプリントになっています。このまま額に入れて飾ってもよさそうです。

2014-10-05

読んだ本,「盤上の海,詩の宇宙」(羽生善治 吉増剛造)

 以前,NHKのアーカイブ放送で同名の番組を見て以来,是非活字で読んでみたかった本。詩関係の古書が多い渋谷の中村書店で偶然見つけて手に入れました。二人の対話は言葉は平明でも,立ちどまりながら読まないとなかなかついていけない。実際の対談が行われたのは1997年のこと。
 第二部の羽生氏が語る「漠然とした不安と狂気」には思わず惹きこまれる。「ほんとうに真剣に打ち込んでその道を究めようとかその道一筋でやっていこうっていう人っていうのは,一種の狂気の世界っていうか何かそういう線を超えないとその先が見えないということになるような気がします。」(p.126より)
 
 そして対話の先に吉増氏は「なぜ詩を書くのか,誰に向かって書くのか」と問われてこう答える。「(略)たとえばある芸人が,誰もお客さんがいないときに,誰も見てくれる人がいないときに,お堂かなにかに入っていって,ご本尊の前にろうそくでも一本立てて,その前で芸をして,誰かが見てくれるように自分を置くようなものです。その誰かを神という必要もないとも思うんです。」(p.135より)
 
 タイトルは羽生氏の「盤に向かって潜る」という言葉に因るもの。「将棋は奥深い書物を読むこと」などなど印象的なフレーズが溢れていて,雨の日曜日に読書の至福を味わいました。
 
 ところでこの本は一部と二部の間に二人のポートレートがそれぞれ十数枚,見開き約30ページを使って掲載されています。撮影は荒木経惟。ここでは写真家の狂気が垣間見られます。

2014-09-24

読んだ本,「対岸」(フリオ・コルタサル)

 「対岸」(フリオ・コルタサル著,寺尾隆吉訳;水声社)を読む。今年はコルタサル生誕100年,没後30年なのだという。この短編集「対岸」は,1995年にスペインで普及版が出版されるまでほとんど入手不可能な幻の短編集だったらしい。日本語訳が今年2014年に出版されたのは,記念すべき年だからということなのだろう。
  収められている13編の短編はどれを読んでもはっと息を呑み,「血の凍るような」という陳腐な表現がぴったりの感覚を味わう。中でも惹かれたのが「転居」と「遠い鏡」の2編。どこか既読感を覚えるこの2作は,のちのコルタサル文学の通奏低音のようにも思えるモチーフをベースにしている。

 「ルシア」寝室から母の声(確かに嗄れている)が聞こえる。「どうしたの,お母さん」驚いた様子もなくマリアの声が聞こえる。(「転居」より)―わずかこの2行に潜む不条理。そして読者が投げ込まれる恐怖。

 この本には付録として「短編小説の諸相」というコルタサルの1963年の有名な講演が収められている。これまで一度も邦訳されていなかったのは訳者にとっても驚きだったという(訳者あとがきp178)。読者にとっては望外の喜びでしかない。

 短編と長編の違いを写真と映画に喩えるくだりにはカルティエ=ブレッソンやブラッサイの名前が挙がり,コルタサルの小説を読みながら,彼らの写真がフラッシュバックのように眼に浮かぶという稀有な体験をした。ちなみに、コルタサルは短編小説の条件を「暗示力」「凝縮性」「緊張感」と言っている。これはそのまま写真に適用できるのではないか。

 ところでこの本を読んで,物語の本質的なところからは離れて深く心に響いたフレーズがある。

 「オフィスでの疲労に打ちのめされると,ヤマアラシのように身を固めて,勤務時間後に訪れる休息以外のあらゆるものを撥ねつけるようになる」(「転居」p.93より)。家路を急ぐ満員電車の中で私はヤマアラシとなって,わかるわあと独り言ちる。

2014-09-15

2014年9月,古いもの,フェルメールで買ったもの,木製の状差

 この夏,金沢のアンティークフェルメールで買ったのは木製の状差。1900年代初のイギリスのものだろう,ということ。細工がとても丁寧で美しく,もちろん実用として使えますが,もっぱら眺めて悦に入っています。
  フェルメールでは店主の塩井さんとコルタサルの小説についてしばし語り合う。私にとってコルタサルは「南部高速道路」がすべてなのだけれど,他の短編についても深い示唆をいただく。

 1年か2年に一度,金沢のこの店の扉を開くことは,日常とはまったく異なる時間の流れに足を踏み入れること。毎回,まだ見ぬ世界へ旅する気分を味わえるのです。私にとって。

2014年9月,読んだ本,「シッダールタ」「シッダールタの旅」

 9月に入って思いがけないやっかいな案件を抱えることになり,てんてこまいの日々を過ごしていました。急に過ごしやすくなったこの連休,やっとめどがついて身辺の整理がはかどりました。

 まずはインド旅行の余韻を引きずって読んだ本を何冊か忘備録として。ヘルマン・ヘッセの「シッダールタ」はいくつか訳が出ています。新潮文庫の高橋健二訳で読んでみました。一体,この美しい文体は原文ではいかばかりか,と思えてきます。シッダールタの一生を辿りながら,ページの向こうには美しい映像が広がるよう。

 「ああ,すべての苦しみは時間ではなかったか。みずからを苦しめることも,恐れることもすべて時間ではなかったか。時間を克服し,時間を考えないようになることができたら,この世のいっさいの困難と敵は除かれ克服されはしなかったか」(pp.138-139より引用)

 そしてまさにその映像をビジュアル化した本が「シッダールタの旅」(竹田武史構成・写真,新潮社)。文庫本をポケットにインドを旅した写真家のとらえた瞬間瞬間は,すべてがそれぞれ一遍の詩のようです。 ここしばらくの間,外出するときにはこの2冊をバッグに入れて飽かず読んだり眺めたり。次のインド旅行は仏教遺跡めぐりにしよう,と心に決める。

 もう1冊,小学館の「世界の文様4 インド・東南アジアの文様」は夢のような本。どのページをめくっても,どのキャプションを読んでも心はアジアへ飛んでいく!次のインド旅行では各地の博物館も絶対訪れよう,と心に決める。ああ,人生には宿題が多すぎます。

2014-08-31

2014年8月,夏の思い出,金沢点描

 インドから帰って,怠惰な夏休みを過ごしてしまいました。短い時間でしたが,金沢にも行ってきました。いくつか印象的だった出来事を忘備録として。

 金沢の21世紀美術館は相変わらず大変な人出。すっかり世界的な観光スポットです。で,へそ曲がりは行列の「レアンドロ・エルリッヒ」展はパス。お目当ては「好奇心のあじわい 好奇心のミュージアム フードクリエイション+東京大学総合研究博物館:Chamber to Taste Curiosity」です。「驚異の部屋」の手法を使って「あじわい」を「見せる」展示はとても面白いし,理屈ぬきで美しい。来た甲斐があったというもの。
 
 他には石川県立美術館の尊經閣文庫名品展で国宝の『類聚国史』などを。26年ぶりの公開ということです。加賀人形の流れを受ける伝統工芸の塑造・桐塑人形の特集展示も。
 
 県立能楽堂では観能の夕べを楽しむ。狂言「舟ふな」と能「生田敦盛」という番組です。狂言は太郎冠者を演じる少年が素晴らしく上手。敦盛は当時十六七の美少年のはずが,なぜか小柄な女性(声からすると妙齢?)が演じていて,ちょっと違和感があったかも。とはいえ,入場料も格安の普及公演で会場は超満員。さすが加賀宝生の土地柄です。能楽堂の隣の旧陸軍金沢偕行社の建物。

2014年8月,夏の終わり,龍岩素心の開花

 とうとう夏休みも最終日。嗚呼,という溜息がついつい出てしまう。PENはズームレンズが故障していたらしく,無事修理を終えて戻ってきました。今年もなぜかこの酷暑に開花した龍岩素心の花。昨年よりも花弁が白いのはなぜだろう。

2014-08-20

2014年8月,インド(6),ジャイプル・シティ・パレス/ジャンタル・マンタル

 さて,ジャイプルで次に向かったのはシティ・パレス。建物はムガール様式とラジャスタン風の融合ということ。実は,現地ではもはや何が何の遺跡なのかよくわからなくなってました。宮殿なのか寺院なのか,いつの時代の,どの宗教のものなのか。
 
 今回の駆け足の旅行では,仏教遺跡は一つも含まれていません。それなのにこの混乱ぶり。インドをすべて見るというのは,どれだけ時間があっても足りないんじゃないか,とそんなことを感じ始めたインド滞在5日目。 
  ところでこのシティ・パレスは今回の旅行で唯一の博物館です。展示の数はそれほど多くはありませんが,細密画やマハラジャの宝石,武器などなど。世界最大という銀の壷は,王子が英国旅行の際にガンジスの水を入れて運搬したものだそう。ここには2つ展示されていましたが,私はこれと同じものを昨年アムステルダムで絶対に見た!
 
 ところが,どれだけ頭をフル回転させて記憶を辿っても,海洋博物館で見たのかライクス・ミュージアムの地下で見たのか思い出せません(泣)。日本に帰ってから両館の所蔵目録などをHPで検索してみたものの,あまりに膨大でそれらしきものに行きつけず,がっかり。どちらにせよ,インド本国と東インド会社のアムステルダムの2ヵ所で同じものを見れたのはうれしい。海外旅行をして文字通り,「時空を超える」体験をしたなあと実感です。
 
 さて,最後に向かったのがシティ・パレスからほど近い天文台・ジャンタル・マンタルです。タージ・マハルと同じくらい楽しみにしていた場所。ジャイ・シンが約300年前に造った精密な観測装置は,現在も驚くほどほぼ正確に観測できるのだそう。秒単位で計測できる日時計。
 
 
  全体像はこんな感じ。ところで,この天文台を撮影した面白い写真集があります。撮影したのはフリオ・コルタサル。この写真集と,それを入手した経緯についてはまたいずれ。
  さて,これで今回のツァーの見学ポイントはおしまいです。遅目の昼食のあとはアーユル・ヴェーダ体験やら買い物やら自由行動となりましたが,どうにもカメラの調子とともにお腹の調子が悪くなってしまった私はホテルで休憩することに。ゆっくり休んで夜のインド舞踊鑑賞には復活!カメラはついにシャッターが全くおりなくなって,美しい踊り手さんたちの写真を撮れなかったのは残念でした。

 5日間の短い滞在でインドに「はまった」というのも気恥ずかしい気がしますが,なにしろ全然物足りなくて,また絶対に来たい!と感じたのは事実。今度は仏教遺跡も見てみたい。そして何より,この国はどんな風に変わっていくのだろう,いや,未来永劫このまま変わらないんじゃないか,という思いの顛末を確認したい。

 「インドの未来がインドを統一しているのである。(略)古い国,歴史の国というよりも,存在理由は,実は未来の歴史にこそあるということが,来てみてはじめてしみじみとわかった。平和が事実として必要な所以である。」(「インドで考えたこと」,堀田善衛著, P108より引用)

2014-08-19

2014年8月,インド(5),ジャイプル・風の宮殿/アンベール城

 ジャイプルではマハラジャの宮殿ホテルに滞在。壁が真っ赤で少々落ち着かない部屋でしたが,超がつくほど快適です。ショップにはジャイプルの有名なジュエラーのジェム・パレスも入っていて,物欲にかられます。インドで買ってきたものについてはまた稿を改めて。(大したものは買ってない。)
 
  ジャイプルで最初に観光に向かったのはハワ・マハル(風の宮殿)。この街は100年前にここを訪れた王子を歓迎してすべての建物がピンクに染められ,ピンク・シティと呼ばれています。

 雨上がりの午前中,ピンクとレンガ色の中間のような色に見えるその建物の前に立つ。ジャイプルの王妃や貴婦人が俗人の目に触れることなく,この建物の窓から街路の祭りや行列を眺めていたといいます。カメラを向けると,窓の向こうの美しき瞳と視線が交錯する。この街には過去と現在の区別がない。

 次に向かったのはジャイプルから約11キロのアンベール城。丘の上へはジープに乗り換えて登ります。象のタクシーも観光客を運んでいますが,数年前に痛ましい事故が起きて以来,数が制限されているのだそう。


 美しい庭園や宮廷,そして城壁(万里の長城みたい?)。猿がたくさん,悠然と観光客を見下ろしています。襲ってはこないけど,ちょっと怖い。そして蛇使いの見世物も。左は本物,右の蛇はゴム製のおもちゃだった。
  この後はジャイプルの市街へ戻ってシティ・パレスと天文台ジャンタル・マンタルを訪れるのですが,旅も大詰め,少し疲労がたまってきたようです。ツァーの同行者たちにも体調を崩す人が出てきました。

2014-08-16

2014年8月,インド(4),アグラ・アグラ城塞/ファテープル・シクリ

 タージ・マハルを後にして向かったのがアグラ城塞。妻の霊廟タージ・マハルを築いたシャー・ジャハーンが息子に皇帝の座を追われ,城の塔内に幽閉されて7年間,そのタージ・マハルを眺め続けてこの世を去った場所なのだそう。残酷なのかロマンチックなのかよくわからないけれど,不穏な気配を感じます。最初の門をくぐると敵の侵入を阻む坂道。

 大理石の透かし彫りや,赤砂岩の植物文様の浮彫がとてもきれい。どの遺跡も,想像していたよりずっと広大です。現地ガイドさんについて効率よく回っているはずですが,かなり歩きます。このあたりで,PENのレンズをズームにするとシャッターがおりにくくなり,たびたび異音もするようになってきました。かなり焦りながらも,不思議なインド風中華料理(中華風インド料理?)の昼食をとって,アグラを出発します。
 
 アグラからジャイプールに向かう途中,ファテープル・シクリに立ち寄ります。ムガル帝国のアクバル大帝が遷都したものの,水不足で数年で立ち去った都の廃墟です。ガイドブックには「幻想的廃墟」とあります。

 確かに幻想的だけれど,このスケールの大きさには圧倒されます。これだけの都を造営しながら,数年で立ち去ったほどの水不足とは一体,どれほどの脅威だったのだろう。

 「インドの自然が人間に対してどんなに邪慳で無慈悲,かつ事実として脅迫的であるかを云うことはむずかしい。これはわれわれにはまったくなじみのない土地である。この土地で,人間が人間であることを証明し,生きていることの意味を見出すためには,思想,宗教が至高最高にして不可欠なものとなるということは,それほどに理解に困難なことではない。」(「インドで考えたこと」(堀田善衛著)p.79より引用)