2014-01-28

読んだ本,「われらの獲物は一滴の光」(高梨豊)

 昨年末から憑りつかれたしまったルネ・シャールの言葉「われらの獲物は一滴の光」。瀧口修造の詩篇から始まって,田村隆一の著作高梨豊/吉増剛造の写真集,そして高梨豊の随筆集「われらの獲物は一滴の光」(蒼洋社刊)へと辿り着いた。

 1987年刊のこの本は今では入手が難しく,古書検索をするとごく少数がヒットするだけ。図書館に予約してしばし待つこと数日,手元に届いた本は四六判のソフトカバーで意外なほど「身軽」な印象を持つ本。勝手に彼の古い写真集を連想して,大判で骨太い書籍を想像していたので面食らう。
  目次でタイトルを見ただけで震えがくる。「『仮面』そのものの分析」,「『非条理』にあふれた時間」,「地続きでない風景」,「シュルレアリスムとの出会いと『私』の発見」…などなど。写真展や写真集を漫然と眺めていただけでは感得できなかった,写真家の内なる声と思索に引き込まれていく。写真集「東京人」や「都市へ」の1カットが浮かんだり,のちの「地名論」「囲市」へと発展していく思考の萌芽のようなものを活字の中に見出したり。

 そしてやはりPROVOKEの日々を振り返る稿はexcitingの一言だ。“N”と語られる中平卓馬が,同人の解散を強力に主張し,解散を決めた集まりの帰り道に高梨豊にさしだしたのは吉本隆明の詩集だったという。中平が傍線を引いたという箇所を引用するくだりを孫引きする。

 ぼくの孤独はほとんど極限に耐えられる/ぼくの肉体はほとんど苛酷に耐えられる/ぼくがたおれたらひとつの直接性がたおれる/もたれあうことをきらった犯行がたおれる(p.27より引用,原文は吉本隆明詩集(現代詩文庫)からの引用)

 この詩句に高梨豊は「読むことが出来ても,ときに声にすることが出来ない詩行もある」とコメントを添えている。PROVOKEの写真家たちの,ひりひりとした日が目に浮かぶようで,その後のストーリーを含め,どんな映画やドラマよりもドラマチックに思えてくる。

 ところで,高梨豊はどの稿にもこの本を「われらの獲物は一滴の光」と名付けた所以は語っていないのだが,巻末に近づいて「歩く詩人」,「タムラさんの『詩至』」という稿があり,そこには雑誌の仕事でともに東京の町を歩いた詩人への深い敬愛の情が綴られている。

 もしかしたら,田村隆一その人が,「『一滴の光』を獲ようじゃないか,タカナシくん」と言って二人して東京の町を歩いたのではないだろうか。その情景もまた,目に浮かんでくるようだ。

2014-01-27

2014年1月,東京浅草,新春浅草歌舞伎「義賢最期,上州土産百両首」

 身辺に変化があって,気忙しく動いたのち,突然の少なからぬ喪失感に呆然とした時間を過ごしていました。外的な要因によって習慣化した身体の動きが,その要因が切断された途端,無重力に放り出されてしまったような感覚です。もっとも,この感覚にも割と早く適応した感じ。
 少し時間に余裕ができて,美術館や劇場へと,しばし時間を楽しもう。まずは浅草へ。新春浅草歌舞伎を見てきました。最初の演目は昨年のドラマでの活躍であまりにメジャーになってしまった片岡愛之助で「義賢最期」。舞台に登場するだけでぱあっと華やかな存在感です。戸板倒しや仏倒しの立ち廻りに,観客席からは歓声とも悲鳴ともつかない声があふれます。何年か前に新橋の3階席で海老蔵の同じ役を見たけれど,今回は1階席で見たので,そのアクロバティックな動きの迫力と言ったら!
 
 次の演目は猿之助で「上州土産百両首」。少し前の新聞評で「大衆演劇路線」と書かれていました。「大衆」向けの演劇という定義がよくわからないのだけれど,歌舞伎だって大衆が楽しむものなのだし,このお芝居のような人情ものが「義賢最期」と組み合わせで上演されるというのは歌舞伎ファンには楽しみなもの。なんとなく揶揄する論調だった新聞評が意地悪く感じられました。
 
 ところで,このお芝居は初演は昭和8年で,歌舞伎座再演が平成6年。原案がO. Henryの「After Twenty Years(二十年後)」という短編なのだとか。ネットでも読めるごく短い短編なので読んでみました。正太郎と牙次郎がBobとJimmyというのが何となくおかしいけれど,原作は「20年という時間」が物語の中心で,歌舞伎版ほど「二人の20年にわたる友情」が描かれているわけではありません。「上州土産百両首」は,日本人が書いたらこの二人はどうなるか,という話といえそうです。
 
 何にせよ,江戸の浅草を舞台にした猿之助と巳之助の二人の熱い友情のお話,最後は客席のあちこちからすすり泣きがもれ,これぞ人情ものというお芝居を堪能した午後。
 

2014-01-19

古いもの,世田谷ボロ市で買ったもの,チベットの鼻煙壷

 毎年12月と1月の15・16日に開催されている世田谷ボロ市。ほんとにずっと前から行こう行こうと思いながら,毎年都合がつかずに諦めていたのですが,やっと念願かなって初ボロ市探訪と相成りました。

  アンティークの着物の店が多く,それらを品定めする外国の女性の姿もたくさん見かけました。昔の日本人女性はたいてい小柄だから,現代の日本人女性でも着用は難しそうなサイズのものが多いので,彼女たちはスカートやブラウスにリフォームするのか,それともそのまま壁にでも飾っておくのだろうか,といらぬ心配をする。

 さて,人のことは置いておいて,骨董が並ぶ店を次々にひやかしていくと,こんな鼻煙壷を見つけました。チベットのもの。それほど古くはなさそうで,現地のお土産品みたいなものかなあ,とも思いましたが,店番のおばさん曰く,もう30年以上も前に骨董市で仕入れてずっと並べてるけど売れないのよ,とのこと。おいしそうな(?)橙色も安っぽいプラスチック製には見えないし,ターコイズのビーズも好きな色です。連れて帰ることにしました。

 家に帰ってしげしげ眺めていると,チベットからやってきたというよりも,おばさんの店先で30年以上も埃を被っていた,という来歴の方が強烈で,表面をそっと拭きながら,うちに来てよかったね,と思わず声をかけてしまった。

2014-01-16

2014年1月,東京砧,「実験工房展 戦後芸術を切り拓く」

 
 
 強烈な寒波の襲来とともにあっという間に風邪をひいて,あっという間に治りました。快晴の一日,気分も爽快で東名高速をすっ飛ばして世田谷美術館へ。「実験工房展」を見に行きました。「戦後芸術を切り拓く」という副タイトルがついています。美術館の前庭。冬の剪定を行う作業車の色がとても鮮やかに覗く。
 足利美術館で瀧口修造を堪能したこともあって,この展覧会も瀧口修造を中心に運動全体を見渡す展示かと思っていたのですが,それぞれのメンバーの個性が強烈に全面に出ている構成です。
 
  中でも強く印象に残る展示だったのが北代省三。実験工房の美術部門の中心的な存在で,最初の部屋のモビール作品に始まり,美しい色彩に溢れる絵画作品,舞台美術,そして映像作品から写真へと幅広い活動に瞠目します。

 先週末まで川崎市岡本太郎美術館で「北代省三の写真と実験」展が開催されていたのが気になってはいたのですが,この展覧会と合わせて見たら面白かっただろうな,と後悔しきり。

 そして,音楽や舞台芸術・映画など,実験精神に富んだ総合芸術であるこの運動の全体像を遍く紹介する展覧会とあって,CDを視聴したり,オートスライドの再構成を流していたり,映画を上映していたり,会場は「実験工房博覧会」のよう。そういえば,昨年末にオペラシティアートギャラリーで見た「五線譜に描いた夢」展の「戦後から21世紀へ」の章とかなり重なる印象も。つまりは実験工房が日本の音楽史に刻んだ足跡がいかに大きいかということだと,なるほど納得。

2014-01-08

届いた写真集,Boy With a Camera

 オランダの旅行記を読んでくれた本好き,写真好きの友人の一人から,私がアムステルダムの古書市で見たラルティーグの写真集は,BOYHOOD PHOTOS OF J.H. LARTIGUEではなくてBOY WITH A CAMERAではないの?とメールがきました。んん?となって調べてみたら,おっしゃる通り,私が古書市で見かけた本の表紙はバスタブに浸かる少年時代のラルティーグで,これはBOY WITH A CAMERAの表紙です。
 
 BOYHOOD PHOTOS OF J.H. LARTIGUEの方は,写真が貼りこみ式になっているアルバムのような大部の写真集で,ソフトカバー版というのは存在していないようです。しかもラルティーグの写真集の中でも稀少図書で,とうてい20ユーロで買えるものではありませんでした。タイトルに共通してるのはBOYだけじゃないか。お恥ずかしい。
 そして某マーケットプレイスでBOY WITH A CAMERAをアムステルダムの古書市のよりもお安く発見。あっという間に手元に届いて,旅行の心残りの一つが解決してうれしくもあり,あの古書市で買いたかったんだよなあ,とも思ったり。この本は著者のJohn Cechによる,少年時代のラルティーグの伝記で,写真と文章がとてもセンスよく配置されています。文章も洒落ていて,とても楽しい。
 
 ちょうど今,東京都写真美術館で「植田正治とジャック・アンリ・ラルティーグ」展が開催中です。昨年のうちに見てきて,近い内に再訪する予定です。この魅力的な展覧会についてはまたあらためて。

2014-01-05

2014年1月,東京竹橋,ジョセフ・クーデルカ展

 2014年最初の展覧会は東京国立近代美術館にでかけてジョセフ・クーデルカの写真を見てきました。チラシやポスターはシンプルで,詩情あふれるモノクロームが配されています。フォントが美しい。
  写真美術館で2011年に開催された「プラハ1968」が記憶に新しいので,昨秋に初めて開催を耳にしたとき,おや,またクーデルカ?と思ってしまいましたが,会場は「回顧展」の意味がよくわかる展示です。ジャーナリスティックな「プラハ1968」の仕事は彼の活動の中でむしろ特異な位置を占めるものであって,「ジプシーズ」や「エグザイルズ」のシリーズの詩的な美しさには圧倒されます。

 特に初期のヴィンテージプリントはそれぞれが1編の詩そのもの。オフィスで働く男性の細い腕と,デスク上のペンを逆光でとらえた1枚は,その2本の線が画面上で平行して走る一瞬に,これ以上の美しさがあるだろうか,と息を呑む。

 プラハ侵攻後,国を追われて亡命したのちにヨーロッパ各国で撮影された「エグザイルズ」のシリーズは,「亡命者という自身の境遇が反映されている」と解説パネルにはありますが,どこか突き放した醒めた視線を被写体に向けているように感じられます。決して「私小説」にはなっていないと思うのです。

 フランスの雪原にうろつく1匹の野犬は,クーデルカが見た1匹の犬であって,クーデルカの姿が投影されていたりはしない。だからこそ,この荒ぶる魂を持つ犬に対してカメラを向けたクーデルカの心境に共振を覚える一瞬,写真を見る喜びに身が震える思いがします。

 コレクション展の会場には,クーデルカと同年生まれの森山大道の「にっぽん劇場」全100点も展示されていました。ほかにも安井仲治の「流氓ユダヤ」など,新年早々,写真を堪能した午後。

2014-01-03

ルネ・シャールを辿って読んだ本,「20世紀詩人の日曜日」(田村隆一著),「ルネ・シャールの言葉」(西永良成)など

 年をまたいで「我らの獲物は一滴の光」という言葉に憑りつかれている。図書館でいろいろ調べてみたところ,これはルネ・シャールの詩の一部分ではなく,アフォリズムの中の言葉(訳は飯島耕一)ということがわかった。そのことを教えてくれたのが田村隆一による「20世紀詩人の日曜日」(マガジンハウス,1992)という1冊。 
 
  田村隆一の詩はほとんど読んだことがなかったのだが(手を出せない,という感覚),編集者との対談形式で12人の詩人を語るこの本を通して,迂闊には近寄りがたいというイメージが希薄になった気がする。ルネ・シャールの章(1991年7月14日の日付)では,この詩人の二つの言葉を端緒としてヨーロッパのシュルレアリスム運動についても縦横無尽に語る。その言葉とは,「蛇の健康を祝す」と,もう一つ「我らの獲物は一滴の光」。その語り口は明晰で熱い。

 「シャールはね,『一滴の光』が獲物だって言うんだ。ぼくらの仕事なんてものは,光を,一滴の光を見つけるのであれば幸いだ。なかなかその光を得られないけれども,ぼくらは生きている限り,その光を求めていく。われらの獲物は一滴の光っていうことを,ぼくも言いたいね。言いたいんだよ。」(p164より)

 そのルネ・シャールのアフォリズムそのものを探してみた。「ルネ・シャールの言葉」(西永良成編訳,平凡社 2007)の第2章アフォリズムp,147にそれを見つける。「事後の感謝:私たちは天体の顔をした流星だ。私たちの空は覚醒,運行は狩猟,そして私たちの獲物はひとしずくの光。」なるほど文脈の中でその意味は明快になる。

 しかし,ただ一行「我らの獲物は一滴の光」,その言葉のなんとしびれることか!

2014-01-02

番外編・謹賀新年

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。皆さまの健康とご多幸をお祈り申し上げます。
 元旦は快晴の国立競技場で天皇杯決勝戦を観戦してきました。横浜Fマリノスの快勝で,新年早々,気分爽快です。中村俊輔選手をはじめ,輝くアスリートたちの動きはまぶしいばかり。