2023-08-26

2023年7~8月,東京・神奈川,展覧会の忘備録

 いくつかの案件や短い旅行の合間に出かけた展覧会を記録していなかったので,この夏の忘備録として。

 7月末に東京都写真美術館で「田沼武能 人間賛歌」と「本橋成一とロベール・ドアノー 交差する物語」の2つ。田沼展はまさにタイトル通り,きらきらと輝く人間の姿がずらりと並ぶ。本橋とドアノーの写真は人間の輝きも影も捉える。2人の写真家が編み出す物語の舞台は炭鉱,サーカス,市場など共通項があるのだが,却って情報が込み合ってしまい,1人ずつ見たかったな,と思ってしまった。

 7月は神奈川県立近代美術館葉山で「挑発関係=中平卓馬×森山大道」展も。葉山館へは初めて出かけた。何度も行きたい展覧会があったのにいつも機会を逃してしまっていたので,今展は開幕してすぐに駆けつけた次第。こちらも2人の写真家の関係性に焦点があてられている。2人展なのでそれぞれの展示の規模がこじんまりとしているのがちょっと残念。今思うと,横浜美術館の「中平卓馬 原点復帰-横浜」展はすごい展示だった。2003年の開催だったから,20年も前のこと。流れた時間に愕然としてしまう。

 7月にはほかに,原宿の太田記念美術館で「ポール・ジャクレー フランス人が挑んだ新版画」展を。ポール・ジャクレーも横浜美術館での展示の記憶が蘇る。

 8月に入って,ステーションギャラリーで「甲斐荘楠音の全貌」展。強烈な個性にちょっとびびる。映画衣装の展示が面白くて,思わず「旗本退屈男」の配信などチェック。

 そのままインターメディアテクへ。特別展示「東京エフェメラ」と,牧野富太郎の植物画と,江上波夫氏蒐集の「幻人紀行-ユウラシア蒐集録」を見る。どれだけ時間があっても足りないので駆け足。

 そして何と(!)その足で上野へ向かい,「古代メキシコ展」を。我ながらあっぱれの展覧会ハシゴである。しかも酷暑の中。とにかく面白かったとしか言いようがない展覧会。全編を通して,「生贄」が象徴する死生観が生々しく迫ってくる。若い頃なら,いつかメキシコに行ってみたいものだ,と思うところだが,今回は「死ぬまでにメキシコに行くことなんてできるだろうか」と思わず独り言ちてしまった。 

2023年8月,龍岩素心の開花

 

 今年も酷暑の中,龍岩素心が可憐な花をつけました。育てている二鉢がほぼ同時に開花してとても嬉しい。近くから見つめても,遠くから水墨画を眺めるように眺めても,その凛とした美しさはちょっと感動的。

2023-08-18

読んだ本,「路上の陽光」(ラシャムジャ)


  チベットの現代作家ラシャムジャ「路上の陽光」(書肆侃侃房 2022)読了。訳者解説によると,チベット語による現代文学の創作活動が本格的に始まったのは1980年前後のことだという。このチベット人作家が描き出す繊細な小説を繰りながら,時空を超えた海外の古典を読むのとはまったく異なるベクトルで「海外文学を読む」という愉悦を存分に味わう。

 8編の短編小説が収められている。「路上の陽光」「眠れる川」などはチベットの若者たちの日常が政治的な出来事とは少し離れた視点で描かれていて,感情移入しやすい。二部作の続きが気になる。しかし「風に託す」などは,中国による侵攻と弾圧,そしてチベットの人々の宗教観が色濃く描かれて,読者である私はつい「理解しよう」として力が入る。

 8編の中では「最後の羊飼い」が深く心にささるものだった。仏教の教えを大切にする15歳の青年のあまりにも美しく哀しい物語。「…結局みんなもう立派な大人だ,もののわかった大人だというわりには,やっていることは自分の手のひらほどしかない環境と,眼窩ほどしかないお椀の中で走り回ることくらいなのだ。そんな様子を見ていると,ツェスム・ツェランは生きとし生けるものとは何と憐れなものかと思うのだった。それとは逆に,普段から山の上で過ごす彼にとっては,果てしなく広がる大地は視界を広げてくれるし,広大な大地の静けさは心のざわめきを鎮めてくれる。こうして山の上で大きく静かなものの導きによって,徐々に果てしない空のような心の広さと山の廬のような穏やかさを見につけていった」(「最後の羊飼い」p.183)

2023-08-17

古いもの,イギリスアンティーク,漆のスナッフボックス

 久しぶりの金沢。アンティークフェルメールでこの小さなスナッフボックスを購入。漆に草文様の佇まいにノックアウトされました。なんて美しい。

 

2023年8月,福井,永平寺

 北陸への旅。永平寺にて。酷暑の中,七堂伽藍をめぐった後,約50分の座禅体験。あまりの暑さで記憶が飛んでます。奈良原一高の写真を思い出しながら。 

2023-08-15

2023年8月,富山魚津,魚津埋没林博物館・「風鳥」(清水邦夫)

 短い北陸への旅。どうしても行きたかったのが富山県魚津市の魚津埋没林博物館。かれこれ20年以上前に一度訪れたことがあってとても印象的だったのですが,ただ1つ,展示パネルをよく見ていなかったことが大きな心残りだったのです。

 というのは,訪問後に「風鳥」(清水邦夫 文藝春秋1993)所収の「魚津埋没林」を読んだのがきっかけ。面白い博物館に行ってきたよと友人に話したところ,ああ,清水邦夫の小説のあそこね,と言われて大急ぎで読んだのですが,その小説(物語は寂しい)のラストに展示水槽の横のパネルの文言が出てくるのです。

 それは「ファーブル植物記」からの引用文。「植物の根と茎の反対の性向」についての記述からの抜粋と前置きしてパネル1枚分の文章が引かれています。その一部。「植物は性格が正反対の二つの部分に分かれる。光を求めてやまない茎と,闇がほしい根とである。(略)根のほうは暗闇でしか生きない。どうしても地中の闇が必要だ。(略)とにかく第一に必要なことは太陽を見ないことだ」(「風鳥」pp.220-221)

 地中に埋まった樹根が地下水に保存されている巨大な水槽の横に,こんな展示パネルがあったのか。初めての訪問以来,何度も北陸には足を運んだのになかなか魚津には寄らずにいたのですが,ようやく再訪叶いました。

 で,結論としては展示パネルはもうなかった。展示室はこの20年の間に何度もリニューアルされたそうです。そりゃあそうか。ちょっとがっかりしたものの,ショップにはレトロなポストカードセットや以前求めたのと同じブックレットなども売っていて,受付の人にパネルのことを尋ねたら,ええそうです,以前ありましたね,と優しく対応してくださいました。なんだか胸が熱くなって,これはこれで1篇の小説みたいだ,と思ってしまった。

 海に面した魚津は蜃気楼の名所でもあり,屋上の展望デッキからは美しい海と,くるりと背を向けると壮大な立山連峰を望むことができます。展示水槽の神秘的な樹根の姿と相まって,なんだか幻想の街を旅してきたみたい。また行こう。何度でも。

 ところでファーブルと言えば昆虫記だけど,植物記もあるんだ,というわけで平凡社ライブラリー「ファーブル植物記」を手に入れました。今,牧野富太郎がマイブームなので,こちらも楽しみに読み進めよう。ちなみに件の茎と根の文章は下巻のいきなり1頁目に出てきます。

2023-08-12

読んだ本,「ほとんど記憶のない女」(リディア・デイヴィス)

 「ほとんど記憶のない女」(リディア・ディヴィス 岸本佐知子訳 白水Uブックス 2011)読了。何かで誰かが(忘却の彼方)、絶賛していたのが気になって読んでみた未知の作家。「多彩で驚きに満ちた〈異形の物語〉全51編」と裏表紙にある。

 「異形」かどうかは原書の英語を読んでみないとわからないとは思うが(この訳書を読む限り,ごくまっとうな短編集に思える),その形式が多彩であることには間違いなく,読み進めるのが実に愉しい時間だった。

 箴言のような短いものも含まれるが,「物語」として魅力的な「ノックリー氏」や「裏のアパート」など印象に残るものが多く,長編も読んでみたくなる。

 「大学勤め」はまるで私の物語のようだ。「私」は私のことなのだと錯覚する。他の短編もしかり。「彼女」は「私」であり私である。「もしも誰かが私のことをある言葉で説明すると,それで私という人間が完璧に説明されたように見えるが,じっさいのところそれは私という人間を完璧に説明してはいなくて,もし私という人間の完璧な説明があるとするなら,そこには私が大学勤めをしているという事実と相容れないものも含まれているということなのだ。」(「大学勤め」 pp.185-186)