2022-09-30

2022年9月,東京六本木,「植田正治 ベス単写真帖 白い風」

 6月から開催されていたのに,気付かないまま終わってしまうところでした。ぎりぎりで間に合った! 間に合ってほんとによかった,と思える写真展。フジフィルムスクエア写真歴史博物館の展示はたった一つの壁面だけなのに,いつもぎゅっと凝縮された写真の魅力を楽しめます。今回は40点くらいの展示。

 「ベス単」は初めて聞きました。大正時代にアマチュア写真家の間で流行した「ベスト・ポケット・コダック」という単玉レンズ付きカメラのことだそう。そのレンズフィルターのフードを外して撮影すると独特のソフトフォーカス効果を得られるとのこと。

 半世紀を経て,植田正治がその撮影手法をカラーフィルムで蘇らせたのがこの「白い風」シリーズ。懐かしい,とか郷愁を誘う,とかいろいろな形容の仕方がありそうな風景写真だけれど,「砂丘」のシリーズを思い出す構図の子どもたちの写真など,やはり植田正治の写真。

 現代のカメラでソフトフォーカス機能を使ってもこういう写真は撮れないだろうなと思うのは,テクニカルな次元のことばかりではないと思えます。その一瞬の風景を切り取る写真家の眼がそこにある。赤いランドセルの少女。校庭の一本の木。民家の軒先。

 会場にあった1981年刊「白い風」を手に入れたくなりました。あちこち検索してみたけど,そもそもほとんど流通なし。どこかの古書店か市で出会えることを祈りつつ。

2022-09-23

2022年9月,東京小石川,小石川植物園


 茗荷谷駅から播磨坂をくだって小石川植物園へ。東京大学総合研究博物館の小石川分館に行ったことはあるのだけれど,植物園は実は初めて。学生の頃,近くに住んでいたのに当時は興味を持たずに足を運ぶことが一度もありませんでした。実は祖父がこの植物園のことが好きでよく話していたことをここしばらく思い出していて,職場の同僚からのお誘いに大喜びで出かけた次第。

 彼岸花の群生が美しい。蕾はこんな姿をしているんだ。白い花もありました。不思議な形の竹の仲間。名前はもはや覚えられない(汗)。歩き回って,突然現れるレトロな売店でソフトクリームを食べて温室へ。

 これがすばらしい! 大島や奄美の熱帯植物や,東南アジアの珍しい植物たち。思わずこれぞビザール!と大興奮。ランの温室ではまさに狂喜乱舞(?)

 あまりに興奮して写真は失敗したけど,ボウランLuisia teresの展示もたくさん。昨年インターメディアテクで見た「蘭花百姿」展で牧野富太郎原画による図版「ボウラン」(大日本植物志第1巻第3集)を思い出します。東大と牧野博士との複雑な関係は,来年のNHKの朝ドラで見ることができるのかも。

 ボウランは一度枯らしてしまった悲しい記憶があって,また育ててみたいのだけれど二の足を踏んでしまう。祖父がいたら相談したのにな,などと30年も前に100歳近くで亡くなった人のことを思い出してしまうこの頃。

2022-09-11

2022年9月,東京六本木,「李禹煥」展

 過日,国立新美術館で開催中の李禹煥展を見てきました。11月までの長い会期ですが,世田谷美術館館長の酒井忠康氏との対談が開催されたのに合わせて出かけた次第。

 横浜美術館での個展(2005年)が今も記憶に鮮やかなせいか,東京で初の個展と言われてもぴんとこなかったのですが,過去の立体作品のタイトルの多くが「関係項」と改題されるなど,歩みを止めない作家の凄みみたいなものが伝わってきて新鮮な感動でした。

 前半が立体,後半が絵画という厳然とした会場構成もとてもよかった。中庭の「関係項ーアーチ」を見て会場に戻った時,軽い眩暈を感じました。まさに三次元と二次元の関係項を体感した気分。 
 酒井館長との対談はとても面白かったのですが,司会の逢坂氏の進行が今一つで,時間ばかり気にして折角のお二人の対談が盛り上がったところでぷつっと終わってしまった感じ。それでも印象に残る深い言葉をたくさん聞くことができました。

 その中の一つだけ,何も描かれていないキャンパスを3枚並べた「物と言葉」(1969)について,「何も描いていないということが大事なのであって,表現とは『きれいな何かを作る』ではなく『何が起こるかわからない』行為をいう」(大意です,間違ってたらお恥ずかしい限り)。

 私の書棚にあって大切にしている李氏の著作は「時の震え」(小沢書店)と「立ちどまって」(書肆山田)。「立ちどまって」はとてもとても大切な詩集の1冊。「傘」という詩を引用します。「雨の日に/傘を差して歩く人は/みな孤独だ//それは雨に/濡らしたくない小さな空間を/持ち運ぶからだ//自分もその空間に入って/雨のなかを/ここそこ向こうへと場所を移す//人が/透明なガラスケースのように/自分を閉じて歩きたがるのは//傘の下で/冷たい孤独の/雨に濡れたいからだ」(pp/180-181)