2020-01-25

2020年1月,東京世田谷・恵比寿,奈良原一高・中野正貴・山沢英子

  年末から1月にかけて,でかけた写真展をいくつか記録として。まずは世田谷美術館の奈良原一高。写真展を見た直後に新聞の訃報欄にその名前を見つけて,驚く。この展覧会は「奈良原一高のスペイン ―約束の旅」というタイトルで,写真集「スペイン 偉大なる午後」だけを取り上げたもの。厳選された120点がニュープリントで整然と並ぶ。上の写真は展示室の外に掲示された写真集の全イメージ。
 
   祭りや闘牛など,ダイナミックなイメージでありながら,死の予兆を感じさせるようなドラマチックな写真に圧倒される。ただ,それほど思い入れのある写真家ではないのだが,やはりもっと他の作品シリーズも紹介してほしかった。直後に写真家の死を知ったからではないにしても,奈良原一高ならば,やはり修道院や禅寺のイメージも合わせて見たい。
 
 今展に限らず,世田谷美術館の展示は,いつも整然として優等生的な印象。教科書の文章のような解説パネルを読みながら,どこで盛り上がるのかと思ってるうちに出口に到着している。2階のコレクション展では「受け継がれる工芸の技と心 そして現代へ」を。
 
 東京都写真美術館では「中野正貴 東京」展と「山沢英子 私の現代」展を見る。中野正貴は,木村伊兵衛賞を受賞した若い写真家というイメージを抱いていたら,1955年生まれ,しかも木村賞の受賞は10年以上も前のことだった。
 
 展示室に写真家本人がいて,観客にとても気さくに接してくれる。誰もいない東京の姿を写した『TOKYO NOBODY』は,まるで終末を迎えた地球に降り立った宇宙人が撮影した(?)かのごとくなので,ああ,このおじさんが撮ったんだ,よかった。と思ってしまった。それくらいパラレルワールド感が半端ない写真。
 
 同年代の友人と一緒に見たので,80年代の渋谷などに盛り上がってしまった。これはもう遺跡の写真ということね,と笑いながら話す。不在を写す写真を見る私(たち)。
 
 山沢英子は,抽象的なカラー写真で始まり,ニューヨーク滞在中のモノクロや疎開先の信州の写真,商業写真などで構成されている。仔犬の写真。展示の最後にニューヨーク滞在中の同時代のアメリカ写真のコーナーがあって,スティーグリッツやエドワード・ウェストンが並ぶ。正直言っていいだろうか?展示の中でこのコーナーが一番よかった。 
 
 昨年来,写真美術館で見て記録していなかった展覧会がいくつか。「TOPコレクション イメージを読む 写真の時間」展。「写真新世紀 2019」展。「日本の新進作家 vol.16 至近距離の宇宙」展。

読んだ本,「バートルビーと仲間たち」(エンリーケ・ビラ=マタス)

 
  年末に読んだ「代書人バートルビー」の衝撃を引きずったまま,「バートルビーと仲間たち」(エンリーケ・ビラ=マタス 木村榮一訳 新潮社 2008)を読了。 「書けない症候群」に陥った作家たち,つまりは「バートルビーの仲間たち」の謎を解き明かすべく,本人もまたバートルビーである作家の主人公が彼らの足跡をたどる。
 
 ソクラテスから,ランボー,サリンジャー,ピンチョン,カフカ,メルヴィル,ホーソン,ショーペンハウアー,ドゥルーズ,ゲーテ...とかいつまんで順番に挙げていくだけでも,これは「小説」なのか「文学史(論)」なのか,と読者はキツネにつままれたような読書体験だ。しかしその一方で,自らも鬱病のふりをして勤め先を休み続けるという,まさにバートルビーとして生きる「わたし」の物語を読み取ることで,この「小説」の面白さを堪能した。
 
 作品中に登場する数多のバートルビー族の中には名前も知らなかった作家も多い。フェリスベルト・エルナンデスはぜひ読んでみたい。「フィクションの非現実的な空間を創造し,(この人生には何かが欠けているということを伝えようとするように)終わることのない短編を書き,扼殺された声を作り出し,不在を生み出した。/彼の不完全な結末の多くは忘れがたいものである。(略)フェリスベルトの不完全な短編を思い出したので,今後は遊びで家具につまづきながら最後に去って行くことにしよう。独り者のパーティーがわたしは好きなのだ。そのパーティーは人生そのもののような感じがする。フェリスベルトの短編と同じで,不完全ではあるけれども,本物のパーティーなのだ。」(pp.90-91)
 
  作品の終盤近く,ボルヘスを語る章も忘れがたく記憶に刻まれる。「わたしは人生そのもののように現実的な虎のことを考えている。その虎は否定(ノー)の文学を研究している人間を待ち受けている確たる危険の象徴なのだ。というのも,否定(ノー)の作家について調べてゆくうちに,時に言葉に対する不信が生まれ,言葉が人生を語るのではなく,言葉そのものが世界であることに気がつく。」(p.158) 

2020-01-05

古い写真,窓の構図

  お正月,実家の押し入れの天袋にどっさりと積まれていた自分の古い写真を整理している。染みだらけのアルバムからとにかく剥がし,残したいものをシンプルなアルバムに貼り直す作業。簡単に終わるかと思いきや,立ち止まってばかりだ。
  この1枚は父が撮ったのか,祖父が撮ったのか。洋室は祖父の書斎のようでもあるのだが,3歳の時に転居したこの家の記憶はほとんどない。この構図はレンブラントが好きだった祖父がオランダ絵画を意識して撮ったのだろう,と都合よく解釈しておくことにしよう。アップしようと思い,顔を加工した。半世紀以上(!)も前の自分の写真を何のために加工するのか,我ながらわけがわからない。。

2020-01-02

2020年,正月

 
  気持ちのよいお天気が広がります。昨年の大みそか,閉店間際の花店を訪ねるともうかなり開いている白薔薇がたくさんあって,半額でよいです,というからつい求めて帰りました。案の定,暖かい室内であっという間にこんなに開いてしまった。でも,美しい。
 
  今年はよい年にしたいな。中国切り紙のねずみ。皆さまにもどうぞよい1年となりますように。