2016-07-31

2016年7月,ベトナム(7),ミーソン遺跡

 
 ホイアンから1時間ほどのドライブでミーソン遺跡に到着。2~17世紀頃まで海洋交易国家として栄えたチャンパ王国の聖地です。チャンパ王国はインドシナに存在してベトナムという国に脅威を与えた強国です。
 
 このあたり,ベトナムの「北属南進」の歴史が理解のキーワードになります。「物語 ヴェトナムの歴史」(小倉貞男著)の第3章「南進の時代・国際社会との出会い」の「南北挟み撃ちのヴェトナム」を事前に読んでおいたけど,かなり複雑。
 
 池澤夏樹の「パレオマニア」の旅人は,今もチャム族の末裔が暮らす村が近いからという理由でダナンより南のニャチャンに近いポー・クロン・ガライの遺跡を訪ねています。その村で老人から聞くチャンパ文化の話が面白い。「昔のチャム人はひたすらインドに憧れていた」「港が造れるところに港を造り,ちょっと奥に王都を造り,もっと山の方に寺院を造る」という一節があり,なるほどヒンズー教の神々を祀る「聖地」が山の中に築かれたわけだ。
 
 さて,実際に遺跡に足を踏み入れると,思った以上にベトナム戦争による破壊の傷痕が生々しく,往時の姿はいかばかりかと思う。ダナンのチャム彫刻博物館には日本が協力した復元模型が置いてあったけれど,チャンパ建築は謎が多く,煉瓦が何を使って接合しているのかも不明なのだそう。

 ミュージアムで見た獅子像のように,建物を支える動物像を発見して,あ,こういう風に使われていたんだ!となんだか嬉しくなります。強烈な日差しのもと,インドシナという地域のダイナミックで複雑な歴史と,豪放なエネルギーを湛えていたのであろう,チャンパの人々の信仰心を思い描きながら,ゆっくりと歩き回りました。

2016-07-30

2016年7月,ベトナム(6),ホイアン

 
 ホイアンの旧市街は,思っていたよりもずっと観光地で,休日の原宿(よく知らないけど)みたいにツーリストで混雑してます。日本人よりも欧米の人たちに人気があるみたい。とはいえ,日本の観光地によくある,映画のセット的な趣は全くなくて,ホイアンという街の息遣いが感じられる素敵な場所です。
 
 よく,日本の昭和の雰囲気とか,懐かしさを感じる街並みとか形容されるけれど,もう少し魔力(?)がある感じと言えばよいのだろうか。ふらりと建物に足を踏み入れると,「こんなところで死んでみたい」と思ってしまうことがたびたび(縁起でもない。。)。
 
 以前ハノイの旧市街を訪れたときも,二度とここから出られないんじゃないか,という錯覚を覚えてしまったのを思い出しました。私はベトナムには不思議な磁力を感じてしまうようです。
 
 ところでホイアンといえば,沖合の沈船から引き揚げられた青花のアンティークを物色しなければ。楽しみにしていたのですが,骨董店の店先に並ぶ海揚がりの皿や壷はあまり状態のよいものはもう少ないようでした。10年早く来ていれば,というところかもしれない。いろいろ尋ねると,こっちへ来い,ということで店の奥や2階に案内されて(ちょっとびびる),クォリティーの高いものを見せてはくれますが,それらは欧米のオークションに流れるような,気の遠くなるようなお値段がついてます。
 
 結局,海揚がり品は諦めて,ベトナム北部出土の美しい緑釉の皿を1枚求めてきました。その顛末記はまた改めて。
 
 骨董屋の店先に,これはディスプレイなのか,それとも本当に廃品として置いてあるのか,割れた海揚がりの碗の数々。この中の一つでよいのだけれどなあ,と溜息が出ます。民俗博物館の2階の窓から眺める街並み。トゥボン川のほとり。美しいランタン。

2016-07-24

2016年7月,ベトナム(5),フエ・阮朝王宮

 ヴェトナム最後の王朝である阮(グエン)朝の王宮跡を訪れました。外堀は蓮で埋め尽くされ,早朝にはどれほどの光景が広がっているのだろうと思う。本当にこの国の美しさはlotusの美しさそのもの。
 
 紫禁城を模したという王宮の門に近付くにつれ,あれほど強烈だった陽射しが一転,空は雨雲に覆われてきました。しばらくするとバケツをひっくり返したような雨に。雨季ではないのに,この強烈な暑さと湿気がこの街の日常なのだろうか。
 
 本物の紫禁城を想像して城郭の内部に入ると,その規模の小ささと,あまり整備されていない様子にちょっと驚く。中国というあまりに大きい隣国,植民地時代の宗主国であるフランス。阮(グエン)朝という王国の権威の悲哀を垣間見た思いです。宮廷で使用されていた品々の展示もあります。
 
 近くに宮廷骨董博物館があり,訪れるのを楽しみにしていたのですが,早朝からの強烈な暑さと突然の豪雨で疲労がピークになってしまい,ホテルで一旦休憩したらもう動けなくなってしまいました。痛恨の極み。でもこれで再訪の理由ができた!いつかきっとリベンジしたい。

2016年7月,ベトナム(4),クオック・ホック~ティエンムー寺院へ

 
  フエ市内へ。ホーチミンが学んだクオック・ホックの外観を見つめる。ホーチミンはベトナムの人々にとって,とてつもなく大きく親しい存在のようです。そしてベトナム戦争中に住職が焼身自殺したことで有名なティエンムー寺院へ。
 
 悲惨な歴史を超えて,信仰の場である寺院はとても静かで清廉です。ツーリストが多く,真夏の日差しも強烈なのですが,池に咲く蓮を眺めたり,盆栽が並ぶ回廊を歩いていると,心がしんとしてくる。ああ,いいなあ。また来たいなあ,と独りごちる。
 
 門を出ると賑やかな土産物屋が並びます。ベトナムの犬。鮮やかな果実。




2016年7月,ベトナム(3),フエ・カイディン帝廟


 ダナンからフエのカイディン帝廟へ向かいます。山の中に忽然と現れたその姿にびっくり。廟への階段を上ると,おお,兵馬俑ではないの!石像の武人や役人,そして馬だけでなく象。
 
 始皇帝の兵馬俑のように,彼岸の世界に生きているようにも見えるけれど,この廟を永遠に守るために此岸で生き続けているようにも見える。地中に埋められてるか,整然と地上に据えられているかの違いなのかなあ。
 
 フランスとアジアの折衷建築の廟の内部は,様々な陶器を用いてモザイク様に装飾されていて,まさに見たこともない世界です。モザイクに近付いて,それらの破片をじっくり眺めるととても楽しい。廟内には帝が使用した美しい日用品の展示なども。西洋世界への憧憬と傾倒が伝わってきます。
 
 ところで,カイディン(啓定)帝はグエン朝の第12代皇帝で,在位は1916~1925年。この廟の建築は1920年から始まったというから,それほど古いものではないわけです。ヴェトナムを旅していて思うのは,すごく古いものかと思っても,それはヴェトナム戦争による破壊の傷痕によるものだったりすることが多いこと。これは一体?と思うときには「物語 ヴェトナムの歴史」(小倉貞男著,中公新書 1997)がとても頼りになりました。

2016-07-23

2016年7月,ベトナム(2),ダナン・チャム彫刻博物館

 ベトナム中部のダナンへ行ってみたいと思ったのは,「パレオマニア 大英博物館からの13の旅」(池澤夏樹,  集英社 2004)を読んで以来のこと。ヴェトナム編「チャンパという奇妙な国」に出てくる砂岩の獅子像は「猥雑で,豪放磊落,とても滑稽」と形容され,「チャンパはいいぞ」と書かれているのです(p.186より)。同書の旅をする男はニャチャンへ向かいますが,調べてみると,チャンパの王国の遺跡であるミーソンからの出土品など,状態のよいものをまとめて見ることができるのはダナンのチャム彫刻博物館Danang Museum of Cham Sculptureのようです。
 
 で,旅の2日目早朝。なんと朝7時から開館ということ。一歩建物に足を踏み入れると,そこは別世界のよう。確かにユーモラスな姿の彫刻があふれているのですが,チャンパの聖地ミーソンに祀られていたヒンズーの神々や,Dong Duong Monastery出土の仏像,動物像,どれも生命力にあふれ,窓から差し込む強烈な日差しを浴びて神々しいまでに美しい。
 
 「パレオマニア」で取り上げられていたあっかんべー(!)をしている獅子像の類品。建物の支えだったらしい。「だいたい,最盛期のクメールの王都であるアンコール・ワットまで川を遡って攻め込んだとはずいぶん元気ではないか」(p.186)と書かれたチャンパ王国に思いを馳せます。行程4日目のミーソン遺跡がますます楽しみになってきました。
 博物館は展示スペースの改修が重ねられているようで,天井も高くドラマチックな展示は想像以上に美しいものでした。博物館はドラゴン橋のたもとにあります。ベトナム語,英語,フランス語のサインが出ています。

2016-07-15

2016年7月,旅の記録,美しきベトナム(1)

 短いベトナム中部への旅から戻ってきました。ダナンとフエに1泊ずつ,ホイアンに2泊という慌ただしい旅程でしたが,チャム彫刻博物館ではチャンパの素朴で豪放な彫刻に感動し,フエではグエン朝の美しい宮廷跡に感動し,ホイアンでは骨董屋の店先にあふれる安南焼に感動し,ととにかく楽しかった!
  写真をたくさん撮ってきたので,ゆっくりアップしていきます。まずはフエの街角の美しい蓮の花。ホイアンの名物のランタンを作る職人さんの店先。

2016-07-03

2016年7月,手に入れた古い絵,山本直彰の日本画

 今週半ばから,短い休暇をとってベトナム中部に旅する予定です。ところが,なぜか先週来,身体のあちこちにトラブル続きで,ここ数日はとにかくおとなしくして体調の回復に備えるばかり。旅の準備ももっぱらあるもので済ませておこう。
 そんなわけで,旅の情報収集と称してネットで時間を費やすうちに,なぜかネットオークションで見つけてしまった。大好きな日本画家の山本直彰氏の小品です。抽象画へ向かう以前は人物画など具象も手掛けていた作家ですが,手元にある画集や,平塚市美術館での個展(2009)の初期作品にも似たものは見当たりません。ごく初期のものなのか?サムホールサイズの掌品です。
 
 額は少し傷みがありますが,裏面に落款印の入った票が貼付されているのでこのままにしておこうかと思いつつ,開けてみると,B5判レポート用紙が挿入されていて,作家がこの風景を前にしたときの短い感想が書かれています。紙は変色していて,やはりかなりの年数が経過していることがわかります。
 
 西インドのサンチーを訪れてこの遺跡に惹かれた,としたためられた文面は,まるで私信のよう。経緯はどのようなものであれ,私の手元に届いたこの作品が,あたかも作家からの贈り物であるような錯覚を覚えて,くらくらしてしまう。
 
 そしてまた,ああ,若いころはインドへの傾倒もあったのか,と驚きました。プラハでの滞在の印象が強いために,勝手に日本と西洋世界という図式で作品を見ていた自分の浅はかさが恥ずかしくなります。
 
 遺跡の上に広がる空の青色がどこまでも美しい。「さあ,此処へ」とどこからか私を呼ぶ声に耳を傾ける。