2018-02-17

2018年1月・2月に見た写真展,アジェのインスピレーション展/「6人の星座」展/Moving Plants 渡邊耕一展など

 寒さと忙しさにやられてしまって,一月あまり,すっかり思考が停止していた。いくつも面白い写真展を見に行ったのだが,記録を残す気力もなかった。寒さの出口が見えてきた今日この頃,先に進むための忘備録として,遡及入力的に。 
 1月。東京都写真美術館で「アジェのインスピレーション ひきつがれる精神」展を見た。やっぱりアジェはいいなあ,という素朴な感動と同時に,彼に憧憬を抱くきらぼしのごとき写真家たちの顔ぶれにも感動。ウォーカー・エヴァンズ,森山大道はもちろんのこと,深瀬昌久もこういう展示の文脈で見ると新鮮な驚きに満ちている。〈鴉〉のシリーズは,タイトルが地名であることを初めて知った。そして,中でも一番不気味で魅力的なイメージのタイトルは「金沢」だった。この暗く不気味な美しさの「意味」を共有できるのはplaceにつらなる者たちだけだろう,としばし考える。

 2月に。写真美術館で「ユージン・スミス写真展」と「日本の新進作家vol.14 無垢と経験の写真展」も。ユージン・スミスは有名な「楽園への歩み」に胸を打たれる。「無垢…展」では展覧会のヴィジュアルイメージになっている片山真理のセルフポートレートに衝撃を受ける。鈴木のぞみの,ガラスに部屋から見える風景を焼き付けたサッシ窓の展示は面白かった。ガラスという素材=支持体の面白さ。

 1月に戻る。銀座ニコンサロンで「6人の星座」展を見た。山村雅昭,深瀬昌久,平敷兼七,山崎博,鈴木清,田原桂一の6人のすべてオリジナルプリントを堪能。ニコンサロンは50周年なのだそう。会場で配布されていた美しい冊子に北島敬三がコメントを寄せていて,川崎市市民ミュージアムの開館が1988年,東京都写真美術館の開館が1995年ということだから,それ以前はこういうメーカー系ギャラリーが写真文化を牽引していた,ということ。なるほど。
 私が見に行った日も,会場ではカメラに詳しそうな男性が二人,鈴木清の海の黒色の諧調について延々と語り合っていた。この海の黒と空の黒の違いを,言葉(=詩)の違いと見るか,プリントの技術の違いと見るか,写真を好きと語ることのmultipleな意味ということにしておこう。それにしても,鈴木清の深い美しさ。「母の溟」というタイトルが読めない。溟濛?海という意味もある。1992年の個展のタイトルらしい。4枚のプリントの前で動けなくなる。
 同じ日,同じ銀座にて。資生堂ギャラリーで「渡邊耕一展 Moving Plants」を見た。面白かった!日本ではごく普通に見られる雑草の「イタドリ」が19世紀に欧米諸国に渡り,大繁殖しているらしい。その「足跡」を辿る旅は,あるときはイタドリが主役であり,あるときはそれを追う写真家の視点が主役である。長崎出島のオランダ商館跡や,オランダの花卸売市場など,写真家のその旅への好奇の眼差しが私にはツボ。こういう写真展もあるんだ,とニコンサロンとの対照っぷりが面白かった。
 



2018-02-02

2018年1月,横浜桜木町,「石内都 肌理と写真」展

 年が明けて1月は本当に厳しい寒さだった。あれこれと用事がたまる一方で,雪かきはしなければならないし,続いてやってきた大寒波で水道管は凍結するし。一体これは何の罰ゲームなんでしょうか,と呟きながらバケツを運ぶ日が3日ほど続いた。蛇口をひねると温かいお湯が出てくる幸せと,いつまた寒さで凍結するかという恐ろしさに,なんだか落ち着かない精神状態の日々。
 
 横浜美術館で石内都「肌理と写真」展を見てきた。美術館前の水面に冬の空がまぶしい。
 
 大学では織物を学んだという写真家の撮る写真は,じっと目を凝らしてその「肌理」を見つめることにこそ魅力があるようだ。だから,初期のモノクロームの廃墟のアパートメントなどは,コンクリートの表情1枚1枚に詩が溢れていて心打たれる。デビュー作の横須賀ストーリーもまとめて見たのは始めて。迫力に圧倒される。
 
 
 しかし,近年の亡き人々の遺品を撮影したシリーズは,その被写体の後ろの「語り」の重さが私には重すぎる。見ていて辛かった。展示室はとても美しい造作が施され,女性たちの着物の部屋はシルバーの壁が新鮮。写真家は桐生市生まれということで,銘仙のモダンな美しさへの親密な眼差しが伝わってくる。
 
 コレクション展では所蔵のシュールレアリスム作品を一同に堪能できる。楽しかった!マックス・エルンストの1956年刊行(パリ ベルグリュアン画廊)の「博物誌:未刊の素描」が嬉しかったです。ちなみにこのブログのタイトルはこの中の1枚から。