2020-08-30

読んだ本,「星に仄めかされて」(多和田葉子)

「星に仄めかされて」(多和田葉子 2020, 講談社)を読了。三部作の第二部にあたる。第一部は「地球にちりばめられて」

 ヨーロッパ留学中に「母国の島国」が消滅してしまった女性であるHirukoが,自分と同じ母語を話す人を探して旅をする物語。第一部で出会った日本人Susanooが失語症に陥り,友人たちが彼を見舞うためにコペンハーゲンを訪れる。

 彼ら/彼女らは皆,不思議な境界をやすやすと越えて生きている。男性でもあり女性でもあるインド人のアカッシュ。言語学者のクヌートは「雪の練習生」で登場したホッキョクグマと同じ名前だ。

 「故郷喪失者」であるHirukoを思いやるアカッシュの言葉が胸にささる。「まあね。だからHirukoが可哀想なのさ。誰とも子供時代の話ができない。こんな駄菓子があったねとか,こんな玩具が流行ったね,とか,たわいもない話でもすごく落ち着くんだ。激しく消しゴムで擦られ続けている過去を上から書きなぞるんだ。どうせもう一生帰らないんだから故郷の話なんかする必要ない,と思うかもしれないけれどそうじゃない。帰れないからこそ子供時代の鮮やかなイメージが生きるのに必要なんじゃないかな。しかも一人じゃだめだ。一人で思い浮かべているのでは妄想になってしまう。時には誰かと共有する必要があるんだ。」(p.247)

2020-08-15

2020年8月,東京上野,「きもの KIMONO」展 / 東京国立博物館東洋館・平常展

 猛暑が続く中,本当に久しぶりに東博にでかけました。2月のインド旅行以来,ゆっくり東洋館のインド室を楽しみたいと思っていたのがやっと叶い,本当にうれしい。

 まずは平成館で話題の「きもの KIMONO」展を。こんなにすごい規模の展示とは思わなかった,とあちこちで聞いていました。なるほど,単に衣装としてのきもの文化を見せるのではなく,日本の美術の中に占めるきものの意味を体感できる展覧会でした。
 
 見どころ満載で,「きもの」という大きな括りの中で何に惹かれるかは観客それぞれでしょう。私は「男の美学」の視点が面白かった!信長の陣羽織。黒の鳥毛が埋め尽くす!国芳のファッション浮世絵(?)も魅力的。渋谷bunkamuraで見たボストン美術館所蔵の国定・国芳の展覧会を思い出して思わず興奮。

 もちろん,きものそのものの美しさも堪能しましたが,技法としての絞りの魅力を再発見。家の箪笥に黒字に絞りの羽織が眠って(?)いるのを思い出したりして,この秋はきものでおでかけしたいものだなあ,と思ったりもしてしまったのでした。
 平成館のあとは東洋館をゆっくりと。インド室ではサールナート(鹿野苑)出土の仏像に感激。ああ,あそこで発掘されたのか,と思うだけで涙が出そうである。ほんの半年前のことなのに,もはや人生で最大の思い出みたい(!)な気がしています。いつかまたインドに行こう。そんな日が来るのを日々の楽しみに生きていこう!と固く心に決めました。

 最後に,国宝「孔雀明王像」が展示されているというので本館2階の仏教美術の展示室へ。昨年横浜美術館の「原三渓の美術」展に出陳されていた一点。もともと原三渓のコレクションだったものが,海外への散逸を免れて東博に収蔵された(横浜の図録より)ものなので,横浜と東博の両方で見ることができて何となくうれしい。
 
 (ところで,すっかりカメラを持ち歩かなくなってしまい,慣れないスマホのカメラで撮った画像は全部失敗。なので今回は小さめのサイズで。)

2020-08-13

2020年8月,東京恵比寿,森山大道の東京 ongoing

 こんなに長い間,ここを放置してしまったのは初めてのこと。およそ2か月間,息もできないほど(!)いろんなことがありまして。。幸いなことに,今のところウィルスには感染してませんが,若い頃のように無理がきかない現実にがっくりするばかり。
  やっと一つ二つ深呼吸をして,東京都写真美術館の「森山大道の東京on going」展へでかけました。入口で検温,館内にはマスクをしたスタッフがあちこちで目を光らせてる。平日の午後,思ったよりもたくさんの観客でした。

 森山大道って一体,今いくつなんだろう?とあらためてプロフィールを見て愕然とする。1938年生まれ。80歳を超えてるなんて信じられない。セルフポートレートに写るその姿も,そして何より近作のカラーもモノクロも。

 展覧会のステートメントでは「今なお疾走し続ける」と形容されています。展示方法もワイルド感満載で,2012年のTate Modernで見たウィリアム・クラインとの2人展であまりの迫力に言葉を失ったのを思い出してしまう。
 
 おや,と思ったのはカラスのモチーフ。深瀬昌久へのオマージュ? 何か不穏な空気を醸し出すその生き物を,森山大道は東京の今として捉えたのだろうか?