2019-06-16

読んだ本,「曇天記」「オールドレンズの神のもとで」(堀江敏幸)

 堀江敏幸の近刊で未読の2冊を読了。「曇天記」(都市出版 2018.3)は「東京人」に連載の掌編集。「オールドレンズの神のもとで」(文藝春秋  2018.6)はさまざまな媒体に掲載された短編集。初出は2004年,表題作は2016年と幅がある。
 「曇天記」は第7回以降毎回,鈴木理策の写真とともに掲載されていたらしい。掲載時を見ていないのであくまで憶測だけれど,これは写真が先なのか,文章が先なのか,いずれにしても「写真家の眼」と呼応する「作家の言葉」なのじゃないか,という印象。表紙カバーの写真にしても,曇天にちりばめられたような鳥の影があってこその川と橋と電車の風景であり,それを拾い上げるのが堀江敏幸という作家なのだと思う。
 
  「ここにいる不思議とここにいない不思議」は客のいないテーブルに料理を並べる料理人の話。「あの店のあの空席には,やはり姿の見えない誰かがいたのではないか。彼が店を閉じる決意を固めたのは,彼らから,虚構を支えていたのとおなじ言葉を頂戴したせいではないか。ここにいる不思議は,ここにいない不思議でもあるのだ。」(p.120) 
 
 「オールドレンズの神のもとで」を読んで,この作家と私という読者との相性を再認識したように思う。年を追うごとに,強烈さが増す自意識に,私は芒洋と置いていかれる。「果樹園」(2007)に魂が震えたかと思うと,「オールドレンズの神のもとで」(2016)は,もはや「よくわからない」としか言いようのない読後感にひどく疲れた。
 
 「もう一度,後ろから守らせてほしいと望んだときには,そこにいないのである。犬たちの動きを観察しながら私のなかであたらしく発見されたのは,甥っ子をあずかっていたときの背後からのまなざしだった。約束された不在の予感が,いっそうの愛しさを生み出すのだ。」(「果樹園」 p.39)

 「後頭部にガーゼを貼った少年は,過去が未来を追い越し,未来が過去に食い込むさまをじっと見つめている。しかしここでは時間を追い越すことも,時間に追い越されることもできない。色のなんたるかに気づいたわたしは,傾いた電柱の列にはさまれた二車線の道路が,追い越し禁止であることを認める。後戻りもせず,進むという選択も捨てないのであれば,追い越し可能になる道が開けるまで,じっと我慢するしかない。」(「オールドレンズの神のもとで」p.199) 

2019-06-09

2019年5月,東京駒込・半蔵門,「インドの叡智」展・神々の残照

  6月に入ってすっかり梅雨ライフ(?)です。5月に異常な暑さが続いたときには,このまま夏になってしまうのかと絶望的な気分でしたが,しっとり落ち着いた曇天の休日,ほっと一息ついてデスク周りの整理など。5月はこんな楽しい展覧会と舞台にも出かけたのでした。
  東洋文庫の「インドの叡智」展。左は本のデザインのチラシです。写真に撮るとほんとの本みたい。展示は日本とインド,インドの歴史,ヒンドゥー教の神々,ガンダーラ美術と盛り沢山。「インドの壮大な歴史絵巻でその叡智を探る」(チラシより)展覧会です。

 「ガンダーラのギリシャ仏教美術」(アルフレッド・フーシェ 1905-1917,パリ刊)にくぎ付け。モリソン書庫では「インドの動植物」特集展示で,「蘭アルバム」にくぎ付け。(写真は携帯でメモしたものです。)
  5月最後の週末には国立劇場で「言葉 ひびく 身体 神々の残照」を楽しむ。日本舞踊「翁千歳三番叟」,インド古典舞踊「オディッシー」,トルコ舞踊「メヴラーナ旋回舞踊」,コンテンポラリー「いのちの海の声が聴こえる」の4本の舞踊公演です。

 インド古典舞踊「オディッシー」は古代から寺院で神への奉献として演じられてきたもの。とにかく,動きや身体そのものが寺院の建築から抜け出してきたようです。その姿も,シタールの音色や歌声も,日本人である私たちには「意味」は解せずとも,神への祈りの姿としてあまりに美しい。

 蛇足ながら,トルコ旋回舞踊もとても楽しみにしていたのですが,ぐるぐる回る踊り手たちを見ていたら,ほどなく眠気に襲われてしまった。

2019年6月,東京六本木,「ゆかた 浴衣 YUKATA」展

  泉屋博古館分館は六本木一丁目駅からエスカレータでアプローチするのがとてもよい感じ。日常から別の世界へこれから行くのだ,という高揚感が身体の感覚として味わえるのです。で,今回の展覧会は「ゆかた 浴衣 YUKATA すずしさのデザイン,いまむかし」展。7月7日まで開催中です。ちょうど七夕までですね。展示室内の写真はすべて,美術館から特別に撮影の許可を頂いたものです。
  呉服屋さんの展示じゃないのだから,色鮮やかでおしゃれなデザインが並んでいるわけではありません。歌川豊国など,期待通りの浮世絵の展示に始まり,ゆかたの原点として葵の御紋(!)の武家男性の麻地の浴衣2点にはびっくり。17世紀後半とのことだけど,日常着である麻がこんなにきれいに保存されてるんだ。

 そして時代を追って,江戸の町の賑わいが目に浮かぶような,女性の大胆な意匠のゆかたの展示に続いて,デザインや技法を見せる展示へ。で,こちらも保存状態のよいことに驚きの連続でしたが,「いき」を絵に描いたような(実際,染めたわけですね)源氏香の模様のこの1枚に感動。こういう柄は今時見ないな(→展示の最後に思わぬ仕掛けが)。 
  型紙や,型染見本帳も興味シンシン。そして明治から大正,昭和へと絞りのゆかたやモダンなデザインの展示へと続き,人間国宝の技術や画家のデザインの紹介など,ゆかたの美の魅力を堪能しました。

 展示の最後は現代のゆかたとして2点,そのうちの1点が京都の山口源兵衛作とのこと。あれ?山口源兵衛って誉田屋源兵衛? 4月に京都を訪れたとき,京都グラフィエの会場になっていて,伝統と先鋭なアートの結びつきが印象に残っているのです。さすがにかっこいいデザイン。その意匠はなんと源氏香! やられた、となりました。
  いやあ,想像以上に楽しい展覧会でした。今年の夏はゆかたを着よう。前期展示は6月16日まで,後期は6月18日~7月7日まで。前後期でゆかたはほぼ入れ替えとのことなので,ぜひ後期も足を運んでみたいです。

2019-06-08

2019年6月,パフィオ・デレナッティの開花

  梅雨に入って,植物たちがみな生き生きとしています。2月のラン展で手に入れたデレナッティの株が開花しました。あまりに嬉しくて2カット。ベトナム原産のパフィオです。妖しいというよりは可憐そのもの。いつまでも飽かず眺めています。