2019-08-17

2019年7月・8月,東京・横浜,「宮本隆司」展など忘備録として

 この7月・8月の忘備録を。東京都写真美術館で見た「宮本隆司 いまだ見えざるところ」展は驚きに満ちた展覧会だった。イメージになっている2014年の「ソテツ」には,まさかこれが宮本隆司?としばし時間を忘れて見入る。

 奄美群島・徳之島での写真がとにかく圧巻。その中に「伊仙」というタイトルの異質な写真が3枚あって,キャプションを見ると1968年撮影となっていた。50年前の写真をリプリントして展示しているのだ。それを見たとき,タイトル「いまだ見えざるところ」の意味が立ち上がってきた。確かにそこで見た,そこにいた人々。そしていまだ見えざる人と場所。
写真美術館では「場所をめぐる4つの物語」展も。奈良原一高の「軍艦島」が圧倒的。限界に生きる人間の姿が美しい。

 東京国立博物館では「三国志」展を。「三国志」は高校生の時(遥か昔。。)に何かダイジェスト版みたいなものを読んだ記憶はあるのだけれど,ほとんど忘却の彼方。西安に旅行したときも,読み返そうと思いながらスルーしてしまった。
今回の展示を見て,この夏は絶対!読み返すと決意を固めて吉川英治歴史文庫の第1巻を読了。全8巻である。。それでも,こんなにスピード感があって面白かったか!と瞠目。9月の会期末までに全巻を読み終えるのが無理でも,もう一度見に行きたい。

  東博本館では「沖縄のやきもの -やちむんー」展も。独特なフォルムと,響きの美しい沖縄の言葉「セージャラ(皿)」や「マカイ(碗)」などにうっとりする。

  横浜美術館では「原三渓の美術 伝説の大コレクション」展を。圧倒的な展覧会。どの一つをとってもその美と歴史と蒐集家の熱情が伝わってきて,感動!としか言いようがない。イメージの国宝「孔雀明王像」はあまりの美しさと,それを原三渓は桁外れの高額で購入したという逸話が衝撃的だ。

 綺羅星のごとく並ぶ作品群の中でも,茶道具や伎楽面などにくぎ付け。もう一度見に行こう。常設は前回の企画展「meet the collection -アートと人と,美術館」展の後半がそのまま展示されていて,ロバート・キャパや沢田教一をゆっくり再見。 

2019-08-14

2019年8月,北陸の夏,鈴木大拙館・富山県立山博物館・鈴木雅明のバッハ

 ここ2年程,北陸へ足繁く通っていた事情がこの夏,最後になった。不謹慎な感情ではあるのだが,ほっとしている。これからはまた年に1度くらいの頻度になるだろう。今回の滞在も慌ただしく,心休まらないものだったが,寧ろ気を紛らわせようとでかけた記録を。

 まずは鈴木大拙館で『道法自然-「大谷大学と宗教研究」再現展ー』と題した展覧会を見る。キャプションや説明のまったくない室内を一周して,何の展示だかさっぱりわからない。壁のポケットに解説のプリントが3枚。暗い展示室で目を凝らしてそれを読んで,やっと展示の意味がわかった。
 
  思索のための空間ということはわかる。しかし,もう少し親切でもいいじゃないのか,と実はシニアグラスを忘れてプリントを読むのに苦労した八つ当たり(?)もしたくなる。館内にはほかにも思索のヒントになるプリントが用意されていた。「大地をそれが与えてくれる恵みの果実の上でのみ知っている人々は,まだ大地に親しまぬ人々である。大地に親しむとは大地の苦しみを甞めることである。」(「日本的霊性」より)

 富山県立山博物館は,惹かれてやまない能の「善知鳥」の僧が漁師の亡霊と会った場所という縁で前から一度行ってみたかった場所。交通手段が限られるので,今回はレンタカーを借りてレッツゴー。
  展示館・遙望館・まんだら遊苑で構成されている。期待通り(?)の地獄押しである。企画展「立山ふしぎ大発見⁉」も面白かった。なぞの予言獣「くたべ」のキャラクターは脱力感満載。
  展示館から布橋を渡って遙望館へ向かうも,橋を渡ったところに墓地が広がっているのには,まさか?と目を疑ったくらい驚く。博物館の敷地の中に墓地って。いや,逆なのだ。ここは姥堂があった場所が展示施設になっているわけだから。布橋はまさに此岸と彼岸の境界。なんだかこの夏はあちらとこちらを行ったり来たりしてるみたいな気分。

 金沢では初めての石川県立音楽堂で鈴木雅明のオルガンも聴いた。こちらは「真夏のバッハ」というプログラムで,コラールパルティータ「慎み深きイエスよ,挨拶をお受けください」の聖なる響きに心が震える。ちょっと鬱々とした気分がまさに浄化されるよう。

2019-08-11

2019年8月,東京六本木,クリスチャン・ボルタンスキー展

  国立新美術館で開催中のクリスチャン・ボルタンスキー展を見る。「50年の軌跡 待望の大回顧展」というキャッチコピーが踊る。
  ボルタンスキー作品との初めての出会いは越後妻有トリエンナーレだったかと思う。心臓の鼓動が響く古い校舎の中を,お化け屋敷か?!と嫌がる同行者の手を引いて進んだのを思い出す。

 今展は回顧展だが,彼の製作のテーマが一貫して「死」であることを強く感じさせられるものだった。身近な人の死の後なので,かなり重い。「ぼた山」の黒い衣服の匿名性・無名性は却って具体的に人の死を目に見える形で提示している。

 そしてその周囲の「発言する」には,凍り付くような恐怖感を覚えながら耳を傾ける。黒い衣服をまとった人形のインタビュアーの質問が向けられる先は,死者なのだ。それを私たちが聞く。私たちは死んでいるのか。

 「Tell me,教えて」の後に続く質問はどれも今の私の心臓に突き刺さる。「Did you see the light? 灯りを見た?」「Did you fly? 飛んだの?」「Who did you leave behind? 誰を置いていったの?」「Were you consoled? 慰められた?」…。

 英語を聞き取れなかった質問が1つあって,展示の後半はそれが気になって集中できなかった。日本語では「突然だった?」と言っている。たぶん,Was it burst on?と言ってたのだろう。私もあなたに問いたい。それは突然だったの?