2021-12-27

2021年12月,年の瀬に

 慌ただしく過ごしている今日この頃,突然メインのPCが故障してしまいました。。なぜこのタイミング?? 修理には年末年始を挟んで時間もかかるということ。こちらの更新はしばらく滞るかと。どうぞ皆さまよいお年をお迎えください。クリスマスに飾ったモカラをマクロで撮ってみました。

 

読んだ本,「詩とは何か」(吉増剛造)

 

 「詩とは何か」(吉増剛造著 講談社現代新書 2021)を読了。口述の書き起こしで,詩人の語りがそのまま活字として目と耳に響いてくる。衝撃が大きすぎて感想めいたことをここに残すのはあまりにおこがましい。忘備として引用したい箇所も多すぎて途方にくれる。「『詩』を越える詩、カフカ」の項から「城」について語るくだりを。

 「(略)ここでのカフカの書く力の跳躍は素晴らしいもので,「板一枚」のところについて書いていて,書きつつ,これが「板一枚」のおかげで,別の世界にあっという間に辿り着く,…。(略)ここです。別世界への穴,カフカの「書く手」が,瞬間にして,あるいは一息で届いた,この通路,穴,一枚の板こそが,あるいは,…思い切って書いてしまいますが,「詩というもの」への入口であり,またその出口でもあるのです。こんな教訓のようなことをいうことは決して好きではないのですが,いいですか,この「板一枚」がありさえすれば,これが命の板になって,…わたくしたちも,生きて行くことができるのです。」(p.117)


2021-12-19

2021年12月,茨城県自然博物館「こけティッシュ 苔ニューワールド」展

 蘭,ビザールプランツ,多肉植物,苔…。ステイホーム時間に植物たちの魅力にますます取りつかれてしまいました。アクセスにかなり不安があるものの,冬空のまぶしい休日にいざ茨城へ。電車とバスを乗り継いで訪れる人は少数派。バス停からとぼとぼ歩いていくと見えてきたのはほぼ満車状態の駐車場! たくさんのかわいいファミリーたちで賑わっていて,充実の常設展示がロンドンの自然史博物館を彷彿とさせる楽しい空間でした。

 100円ショップのスマホ用マクロレンズを試してみました。うーん,今一つ。そもそもピントが合ってない。。再チャレンジしてみます。


 

読んだ本,「踏み跡にたたずんで」(小野正嗣)

 「踏み跡にたたずんで」(毎日新聞出版 2020)は小野正嗣の掌編短編集。掌編短編というのは小説の一形態だろう,しかしここに収められているのはすべて詩編といってもよいのではないだろうか。

 人が,こことは違う世界への入口を言葉に捉えた瞬間に産まれるもの。それが詩であるとするなら,小野正嗣が描くフェリー乗り場や湖畔や診療所はもはや現実に存在するものでも小説世界の創造物でもない。詩そのものなのだと思う。

 「詩人に会う約束をした。」という一文で始まる「港のそばの小学校で」は,元教師の詩人と会えない「僕」の心の声が綴られる。それは詩の言葉を紡ぐ苦しみとも思えるものだ。「老婆が通り過ぎるあいだ,開いたページに視線を埋没させる。/しかし文字は逃げていく。/ページが空っぽになる。/詩人の声も見失う。」(p.114)

 NHKの美術番組でほぼ毎週見ているからだろうか。妙に親近感というか,その人となりを知っているような気がしてしまい「誠実な人柄の小説家」と思いこんでいる節があるが,ふとした瞬間に伝わってくるどこか捉えようのない(何を考えているのかわからない,と言ってしまってもいい)作家の顔が透けて見える。そんな書物。この人の書くものをずっと追いかけよう,と心に決める。

2021-12-11

2021年11月,東北(6),「本城直季,(un)real utopia」展

 最終日はお昼前の新幹線で帰路につきます。朝一番で岩手県立美術館へ向かって旅をしめくくる。本城直季の写真展は来年3月に東京都写真美術館に巡回する予定があるようですが,岩手を被写体とした撮り下ろし作品なども展示されているとのこと。

 ジオラマのように見える本城直季の写真は,理屈を超えて面白いなあと思う。現実を見ているのに感じる不思議な違和感の正体は何だろう。展覧会のタイトルもざわざわするし,「この世界にあなたがいる」という惹句も気になります。インパクトという点では近作よりも「small planet」が好きかな。特に中山競馬場。

 岩手県立美術館はとても気持ちのよい建築です。常設展示では松本竣介の「Y市の橋」を見て,あ,ここの所蔵だったのか,となりました。

 3泊4日の東北旅行。青森と盛岡だけでしたが,大充実の旅でした。遠くへ行ってきた,という実感があります。やっぱり旅はよいです。

 

2021年11月,東北(5),青森から盛岡へ,ワ・ラッセ,光原社

 青森3日目の朝はホテルからすぐの海岸へ。青空がのぞいたり,雪が舞ったり。これが外ヶ浜なんだな。市内の善知鳥神社へは前夜参詣したものの,すっかり日が暮れていて全貌はよくわからなかった。。朝の散歩がてらにもう一度という気合はなく,能曲「善知鳥」を辿る旅はやや不完全燃焼。次の機会に棟方志功記念館と合わせて再訪しよう。

 新幹線の時間までねぶたを展示した「ワ・ラッセ」で過ごしました。五所川原の立佞武多を見た後なので大きさにはそれほど驚かなかったけど,一体一体の物語には感動。これは薬師様を守る十二神将を十二人のねぶた作家が競作したものの一部で,来年の干支にちなんで真達羅大将をパチリ。

 さて,新青森から新幹線で南下して向かったのは盛岡。前から一度訪れたかった光原社へまっすぐ向かいます。店舗の佇まいは凛とした気品があります。奥行のある中庭にいくつも建物があって,おいしいお茶を頂いたり宮沢賢治の資料館をのぞいたり。

 楽しい時間を過ごしたあと,お店の前の通りで思いがけず材木町よ市が始まって大喜び。岩泉高伝統芸能同好会の「中野七頭舞」の披露には大感激。五穀豊穣を願う神楽らしい。武具を使う激しい動きに目が釘付けになりました。若い身体から放たれるエネルギーは清冽です。
 あっという間に夕暮れが迫ってきて,大慌てで市内循環バスに飛び乗って紺屋町方面へ。中津川を渡ってブックナードを目指しました。少し前の古書店特集の雑誌で海外カルチャー中心の古書店と紹介されていたのですが,古書よりも新刊書が充実している印象。方向転換したのもしれないな,と新刊の文庫本を1冊求めてお店をあとにしました。外はすっかり日が暮れてきました。

2021-12-07

2021年11月,東北(4),津軽金木「斜陽館」・五所川原


 青森県立美術館と三内丸山遺跡が今回の青森旅行の目的だったのですが,青森まで来たのだから行ってみたかった場所がもう1つ。金木(かなぎ)の斜陽館へは青森駅から五所川原で津軽鉄道に乗り換えるアクセスもよさそうです。

 文学少女(?)だった中学・高校生時代,もれなく(??)太宰にどっぷりとはまっていました。今思い返してもちょっと息苦しくなるくらい。で,その頃はいつか津軽の斜陽館を訪れよう,と心に思い描いていたものでした。が,時を経て太宰文学からはすっかり心が離れてしまい,今回の津軽行きは人生の宿題の一つを果たすというか,十代の自分に会いに行くような心持ち。

 やっぱり旅の伴は「津軽」(太宰治 新潮文庫)だよな,とカバーをかけた文庫本をリュックに入れて青森駅からリゾートしらかみ号に乗り込んで五所川原へ。アクセスがよいと錯覚したけれど,何しろJRも接続の津軽線も本数が少ない。朝出発して,青森駅へ戻ってくるにはほとんど選択肢などなく,帰路は五所川原で1時間以上電車を待って戻ってきたのは夕暮れどき。やっぱり遠いな。。

 「『ね,なぜ旅に出るの?』『苦しいからさ』」(p.32)で本編が始まる「津軽」。久しぶりに読む太宰には,おお,きました!という感じ。そうだ,太宰はこうこなくちゃ,と頁を繰りながら,夢中だった女学生の自分の姿をちらちらと駅のホームに探す。

 冒頭に「津軽の雪」として東奥年鑑からの引用があり,「こな雪 つぶ雪 わた雪 みず雪 かた雪 ざらめ雪 こおり雪」とあります。前日からの不思議な空模様の種明かしみたいだ,と思っているうちに五所川原駅に到着し,津軽鉄道に乗り換えて金木駅へ。

 駅から10分くらい歩いて突然目の前に現れたのが斜陽館。文学案内やガイドブックでおなじみの姿を前に,ついにここまで来たよ,と独り言ちる。あとは淡々と見学コースをたどって,太宰がお金持ちのぼんぼんだったということを再確認していきます。
 
 建設当時にかかった費用は現在の価値に換算すると7億とも言われているとのこと。太宰が蟹を手土産に宴に参加したという2階の広間はとても品のよい立派な座敷で,「蟹というものは,どうも野趣がありすぎて上品のお膳をいやしくする傾きがあるので私はちょっと躊躇した」(p.139)という太宰の困惑顔が浮かんできてちょっと可笑しくなる。

 記念の品を何か買おうかと思ったけれど,心動くものはなく,ライブラリーの棚には又吉直樹の著作なども並んでいるのをちらりと見て,私の斜陽館体験はおしまい。来てよかったのかどうなのか,いずれにしてもこんなに遠くまで来ることは二度とないだろうなと,電車を待つ間ぼんやりと暗い空を眺めたのでした。

 津軽鉄道にはかわいいガイドさんが同乗して,沿線駅のガイドマップなど配ってくれます。もうすぐシンゴさんの電車が見えますよ,カメラの用意をと言う。香取慎吾がスマップ時代に地元の子どもたちとペイントした車両だそう。はい,パチリ。

 五所川原では立佞武多の館を訪ねて,これにはほんとに感動! 何しろでかいのです。6~7階建のビルの高さの中に鎮座した3体は,お祭り当日には壁がぐあーんと開いてそこから出陣するのだそう。8月にお祭りを見に来たいなあ,とこれは新たな人生の宿題になりました。

2021-12-05

2021年11月,東北(3),三内丸山遺跡

  北海道・北東北の縄文遺跡群は世界文化遺産ということで,その一つ三内丸山遺跡を見学。青森県立美術館とは隣接している,というか県立美術館の建物は三内丸山遺跡の発掘現場から着想を得て設計されたのだということ。

 青森の雪は関東の雪とはもちろん,北陸の雪とも感じが違う。霙交じりの雨が雪に変わって本降りになるかと思いきや,あっという間に青空が広がって陽がさしたかと思うとまた雪になったりします。

 かなり足元が悪そうで,スノトレ(ほとんど長靴)を旅に持参したのですが,タクシーの運転手さんに「そこまでする?」と大笑いされました。いや,最善策を熟考の末なんですが。

 まずは縄文時游館で遺跡の概要や発掘品を見てからガイドツァーに参加。丁寧にかつポイントを押さえて広い遺跡の中を案内してくれます。ちょうど旅の直前にテレビ番組で縄文特集をやってて,井浦新さんが大型掘立柱建物にハシゴをかけて登ってるところを見たばかり。こんなに大きいんだ! ガイドさんとその話で盛り上がりました(井浦新さんの目がキラキラしてましたね~というポイントで)。

 5~6千年前の人々の暮らしと言ってもピンとこないけれど,子供の墓や大人の墓の跡を見ると,人は生きて死ぬんだ,その繰り返しなんだ,ということが実感として迫ってきます。思っていたよりずっと広く,時游館の展示も立派で(収蔵庫もガラス越しに見ることができます)面白かった!

 

2021年11月,東北(2),青森県立美術館「あかし testaments」展

 東北新幹線に乗り込んで,あっという間に仙台,盛岡の次には新青森駅に到着。飛行機で北海道に飛ぶのとはまったく違う感覚で「地続きの北」へやって来ました。天気予報の通りに雪模様だけど,積雪はそれほどでもない。まずはタクシーで青森県立美術館へ。

 金沢21世紀美術館もそうなんだけど,20年前にデザインの最先端だったおしゃれ建築は,時が経つとちょっと悲しい。青木淳の設計した建物は「量塊のなかに設けられた真っ白な「ホワイトキューブ」の展示室隙間と土の床や壁が露出する隙間の「土」の展示室が、対立しながらも共存する強度の高い空間」(美術館HPより)。それが20年を経て床のひび割れの補修跡が目立つし,そもそも美術館内部が観客にとっては動線がわかりにくいし,ちょっとがっかりだったかな(期待が大きかっただけに)。

 とは言え,企画展の「あかし testament」展は見ごたえ満点のすばらしい展示でした。「かつて生じたことで,歴史にとって,失われたと見なれされるものは何ひとつない」というヴァルター・ベンヤミンの言葉が引かれていて,ずっとそれを考えながら豊島重之,北島敬三,コ・ウンスク,山城知佳子の写真や映像作品の世界を渡り歩く。

 東日本大震災10年の年に,青森県立美術館で人々の小さな「灯」を,「証」を見ることによって,あの「歴史」を私は感じることができただろうか。

 そうした文脈をはずれたところでも,豊島重之の「カルト・ポスタルプロジェクト」の詩的な量感や,北島敬三の撮影した外ヶ浜の怖ろしさには心震えます。能曲「善知鳥」の旅の僧は立山からこの外ヶ浜まで歩いてきたんだ。

  豊島重之の直下型演劇の舞台装置。展示室の土の壁。常設展示室の外にある奈良美智の「あおもり犬」。

2021-11-30

2021年11月,東北(1),青森・盛岡へ

 



 世の中が落ち着いているうちにと思い,北へ向かいました。JR東日本のお得なパスを利用して,東北新幹線で青森へ。初めての青森・岩手の旅はとても強烈な体験でした。旅の記録をゆっくりアップしていきます。これは3日目,雪が止んだ一瞬に朝の海岸で。これが外ヶ浜なんだ。

2021-11-21

2021年11月,東京上野毛・駒場,「アジアのうつわわーるど」・「棟方志功と東北の民藝」

 まさに眼福という展覧会を2つ。五島美術館で「アジアのうつわわーるど」展を見ました。これは休館中の町田市立博物館所蔵の陶磁・ガラスの名品を集めたもの。町田市立博物館へはベトナム陶磁や鼻煙壺のすばらしいコレクション展を見にでかけたことがあります。魅力のつまった所蔵品をぎゅっと集めた展覧会,大充実の展示でした。やっぱりベトナムと第2展示室の鼻煙壺がよかったな。まあ,それは私の好みだからというわけで。

 駒場の日本民藝館は改修後の大展示室をまだ見ていなかったので,それほど棟方志功には惹かれたわけではないけれども足を運んでみました。そしたら! 棟方志功がよかったんだ。こんなに魅力的だったっけ?と思うほどに。

 「東北経鬼門譜」はなかなか展示の機会がないという大作。これだけ写真撮影可でした。まさに圧巻です。会場で配布されていた説明には「鬼門の地である貧寒に苦しむ故郷・東北を憂い,仏の力を借りて幸あらしめたいと願い製作した」とあります。「鎮魂の祈りと再生への願い」ともあり,その迫力に圧倒される思い。

 そしてもう1つ,「善知鳥版画巻」の展示に感動。惹かれてやまない能曲「善知鳥」の背景についてはいろいろ読んできたつもりなのだけど,この版画巻の存在は知らなかったのです。6冊が展示されています。脳内に能の場面が次々と甦る!

 思わずショップで全冊が掲載されている「棟方志功 板画の世界」(日本民藝館)を購入。1枚でよいから手に入れて部屋に置きたくなってきた。

 で,まさか棟方志功の真作が簡単に手に入るわけはないので,複製画のカレンダー(1979年)を日本の古本屋で見つけてポチリ。すぐに届きました。よくできてます。まずはどの1枚を額装しようか思案しているところです。顛末についてはまたいずれ。

 民藝館の前庭で。枯れた蓮水鉢の向こうにプードルがちょこんと飼い主を待ってます。かわいすぎる。

2021-11-12

読んだ本,「やし酒飲み」(エイモス・チュツオーラ)

 「やし酒飲み」(エイモス・チュツオーラ 土屋哲訳 岩波文庫 2012)を読了。池澤夏樹編集の世界文学全集に所収されているので,以前から気になっていたアフリカ文学。

 「死んだ自分専属のやし酒造りの名人を呼び戻すため「死者の町」へと旅に出る」男の物語である。(表紙要約文)

 読み始めてすぐに,「である」と「ですます」が混合した不思議な文体に驚かされる。原文は英語とあるから,オリジナルの文章にそういう文法的な特色があって,それを日本語に置き換えるときに訳者が工夫した,ということなのだろう。この点,訳者のあとがきだけでなく多和田葉子の解説が付されていて,読書の大いなる助けとなってくれた。

 この不思議な小説は神話的世界であって,常識は通用しない,みたいな書評が多いようだ。たしかに,死者の町へと向かう途中で妻を娶り,「ジュジュ」を使ってあらゆる恐怖を乗り越えてついにやし酒造りを探し出す冒険譚には生と死の境界など存在しない。読者もまたその境界を行ったり来たりしながら,死者の町へ行ってそして帰ってくる。この本の頁をめくっている間,私はこの世に存在していなかったのではないだろうか。

 「死者の町」でやし酒造りと話すくだり。「わたしの町で死んでから彼は,死んだばかりのものはすぐに直接ここ(「死者の町」)に来れないので,まず死にたての者なら誰でも最初に行かなくてはならない,ある場所へ行った。そしてそこへ着いて2年間,完全な死者になるための訓練をうけ,その資格をとってからはじめてこの「死者の町」に来て,死者と一緒に住むようになったことを話してくれた。」(p.134)

2021-11-06

2021年11月,埼玉北浦和・大宮,「美男におわす」展と盆栽美術館

 すっかり箍が外れてしまったかのように出歩いてます。秋晴れの一日,埼玉へ。いずれも会期最終日だった埼玉県立近代美術館の「美男におわす」展と大宮盆栽美術館の「日暮し」の特別展示(1週間だけ!)を見てきました。

 「美男におわす」展は「美人画」という言い方はあるけど「美男画」と呼ばれることはなかった「美男のイメージ」の展覧会。いやあ,面白かった。浮世絵,日本画などから,雑誌の表紙やマンガ,現代作家の作品など,「美男」がずらりと並んでいます。

 ジェンダー的な問題提起の側面はともかく,観客それぞれが抱く理想のイメージがいつ,どんな風に描かれているのかを探すのはとても興味深い展示でした。ちなみに私は金子国義の魅力を再発見し,山口晃の筆力に嘆息し,船越桂の木像の虜になって帰ってきました。ヨーガン・アクセルバルの写真も面白かった。

 北浦和でゆっくりランチを頂いてから大宮盆栽美術館へ。年に1週間しか展示されないという五葉松の「日暮し」は日が暮れるまで眺めても見飽きないことから名づけられたのだそう。写真撮影は不可でした。この写真は庭園の「獅子の舞」。盆栽はそれぞれの銘も面白いです。まさに獅子が身をくねらせているよう。

古いもの,フェルメールで買ったもの

  金沢では久しぶりにフェルメールを訪ねて楽しい時間を過ごしました。新竪町の店舗からちょっと路地を入ったところに移転した店舗は以前の何倍もの広さ。ぎっしり詰まっていたアンティークたちがのびのびと迎えてくれます。

 静かなところでお店をやりたくなったという店主の塩井さんとのおしゃべりを楽しんで,今回はこの2つを連れて帰りました。タバコを入れる箱は蓋の部分を持ち上げると,中の1本が蓋上部の溝に繰り出される仕組み。インセンスを入れるのに良いかと思いながら,実用とは関係なく眺めていたい佇まいです。

 もう1つは,カットの美しいタンブラー。高さは8.5㎝くらい。お酒は弱いのですが,昨年の北海道旅行で買ってきた余市のシングルモルトをうんと薄めて飲むのは至福のとき。旅先で手に入れたアンティークのグラスに余市の思い出を注ぐ。。我ながら素敵だ(笑)。やっと戻ってきたかに見えるこの日常が,再びの災禍に脅かされることなく続きますように。 

2021-11-05

2021年10月,神奈川川崎,ヨーヨー・マ&キャサリン・ストット デュオリサイタル

  この秋沖縄でヨーヨー・マの無伴奏バッハのコンサートがあると知って,行きたいなあ,でも沖縄は遠いよなあと嘆息していたところ,高松宮殿下記念世界文化賞受賞記念コンサートがミューザ川崎で開催緊急決定したとのニュース!

  ちょっとケチってしまったA席チケットは舞台の斜め後方でした(涙)。Sにしとけばよかった。開演前,ここにヨーヨー・マが現れるのだ,と思うとかなり興奮の舞台の様子。

 配布されたプログラムを見て,欣喜雀躍とはこのこと。予定されている12曲の最後の3曲がピアソラ! ヨーヨー・マのCDはたくさん持ってて,中でもマイ・ベストが何といっても「ヨーヨー・マ・プレイズ・ピアソラ」なのです。ピアソラ生誕100年を意識してなのか,リベル・タンゴ,ソレダード,ル・グラン・タンゴがラインアップされてます。

 万来の拍手とともににこやかに登場したその人は,どこにでもいそうな紳士然としてはいるけれど,そのオーラたるやどこか超然としていて,この世の人ではないみたい。音楽の神に愛された選ばれし存在が奏でるチェロの音色には,うっとりという言葉では全然足りない。ほとんど陶然と聞き入りました。

 件のピアソラもすばらしかった。昨年来ピアソラはいろいろ聞いてきたけれど,さすがにチェロとピアノだけの大人のピアソラは唯一無二のものでした。

 アンコールが終わると涙が出そうになりました。ずっとずっとこの場に留まってあの音色を聴いていたかったから。

2021年10月,能登・金沢(5),国立工芸館など

 能登から金沢へ。曇り空の一日は1年半ぶりの墓参を済ませてから市街へ。竹橋から移転した国立工芸館は移転開館1周年記念展の「《十二の鷹》と明治の工芸」展が開催中です。旧陸軍の建物を移転して再生した工芸館は,外観こそ面白いものの,中はすっかり今風の展示施設で,その割には動線が不自然でちょっと肩すかしをくらった気分。展示は「必死の工芸」というコピーが面白くて,さすがは工芸館の所蔵品という内容でしたが。
 石川県立美術館は安定の常設展示を楽しみました。前田育徳会尊經閣文庫分館の「中国憧憬-周文の《山水図》と唐物-」が素晴らしい。特集展示の日本画の松崎十朗は初めて見ました。写実という言葉で一括りにすることができない光や波の描写を前に,作家の内面に引き込まれていくような感覚を覚えます。

 もう1つ,金沢21世紀美術館。旅が解禁になったせいか,相変わらず観光客で大混雑です。長蛇の列のチケット売り場を通りすぎて,無料エリアでダグ・エイケンの映像作品を。ここで見るという必然性がよくわからないけど,無料だから文句は言いません(!)

 さて,最後は移転したアンティークフェルメールへ。新しい店舗にわくわく。入手したアンティークについては後ほど稿を改めて。

2021年10月,能登(4),奥能登芸術祭・屋内展示を中心に見る

  快晴の2日目。まずは旧蛸島駅のトビアス・レーベルガー「何か他にできる」を。これも芸術祭のイメージとしてよく見る作品。Something Else is Possibleというタイトルは何となく元気が出てきます。 

 このあと,楽しみにしていた石川直樹の写真展示を見て(撮影はできなかった),大満足。饒舌な立体作品の中にこういう展示があると,きりっとするというか。「地上に星座をつくる」の能登のページを再読しよう。

 旧のと鉄道の廃線(2005年)はそれほど昔のことではないのに,線路跡はまるで遺跡みたい。線路は撤去されるんだな。旧正院駅の大岩オスカール「植木鉢」。 

  そして,今回私にとってのハイライトは旧飯田駅の川口龍夫「小さい忘れもの美術館」でした。縁戚の家がこの近くにあって,幼少時の夏,鉄道に乗ってこの駅で降りたことが何度もあるのです。すっかり忘却の彼方だったその記憶が,駅舎の前で蘇ってきてただただびっくり。

 この美術館には「忘れられたもの」と「忘れたもの」,そして「忘れていたもの」が収蔵されています,という作者の言葉にじーんとなる。「『忘れていたもの』とは人生で必要としていたものですっかり忘れていたものたちです」。涙腺崩壊寸前。


 いくつか寄り道しながら外浦へ向かい,木浦ビレッジでは原広司の壮大な「Identification」を。キムスージャの「息づかい」は巨大は鏡板が設置されているだけなのに,ぽっかりと異次元が浮かんでいるような面白さ。

 スズシアターミュージアムを見てから塩田千春の「時を運ぶ船」を。さすがの安定感(?)。

 そして最後は四方謙一の「Gravity/この地を見つめる」で2日間の旅程はおしまい。狼煙方面はカットしてしまったけど,半分以上は制覇できて大満足。「最涯の芸術祭,美術の最先端」を堪能して一路金沢へ向かいました。