2023-01-29

2023年1月,東京竹橋・京橋,「美しきシモネッタ」展・「パリ・オペラ座」展

  丸紅ギャラリーで,1点だけの美術展「ボッティチェリ特別展〈美しきシモネッタ〉」を見ました。会期終了間近ということもあって,入場まで30分ほど待つ盛況ぶり。1点だけの展覧会という話題性もあるのか,会場は熱気があふれていました。

 丸紅本社受付にはこんな大きなシモネッタのパネルも。展覧会はこの絵の来歴や,シモネッタを描いた他の絵画作品やボッティチェリの他作品の紹介などもあり,面白い展示です。展示の最後に関連図書として辻邦生「春の戴冠」の新潮社新装版(1996)も展示されていて,おお。となりました。時間に余裕ができたらゆっくり読み返したい。

 とは言え,1点だけだとやはりちょっと物足りない。そのまま京橋へ向かい,アーティゾン美術館で「パリ・オペラ座 響き合う芸術の殿堂」展を見ました。これは逆に展示が盛り沢山で,途中でお腹いっぱいに。

 17世紀から現在までのオペラ座の歴史を,様々な芸術分野との関連性を示すことで見せる展示です。建物の図面や,マネ,ドガなどの作品,オペラやバレエの舞台美術,楽譜に衣装に…と実にバラエティに富んだ展示の数々を時間をかけてじっくりと。

 観客の興味や思い入れもそれぞれだと思います。私には20世紀初頭バレエ・リュスの展示がクライマックス! ただ一つ,兵庫県立芸術文化センター薄井憲二バレエ・コレクションのニジンスキーの「牧神の午後」が表紙のプログラムの展示があるかなあと期待していたのですが,「シェラザード」のだった。時間ができたら兵庫へ見に行きたい。…って,人生の宿題が山積みになってます!

 ところでアーティゾン美術館はリニューアルしてから初めて行きました。こんなに素敵な美術館だったとは。コレクションの特集展示の「アート・イン・ボックス マルセルデュシャンの《トランクの箱》とその後」はデュシャン、コーネル、瀧口修造などなど,くらくらするような展示。コーネルは個人蔵のものが多くて新鮮です。オペラ座展で余力(?)がなく,この展示だけでももう一度見に行きたい…と思わずまた無茶なことを考えてしまった。
 

2023-01-27

読んだ本,「子犬たち/ボスたち」(M・バルガス=リョサ)

 国書刊行会の「ラテンアメリカ文学叢書」は背のない函に入ったその佇まいが好きで,古本で見つけると欲しくなるシリーズの一つ。マリオ・バルガス=リョサの「子犬たち/ボスたち」(鈴木恵子/野谷文昭訳 1978)を読了。

 「子犬たち」は集英社文庫の「ラテンアメリカ五人集」で既読だが,久しぶりに読み返してとにかく面白い。不幸な出来事に遭遇した少年とその仲間たちの「生」が「時間」そのものだと気づくとき,クエリャルの深い哀しみに心を打たれる。

 「もうたくさんだ,子供みたいな真似はやめろよ,とチンゴロ,さっさと止めてくれ,こんな冗談につき合っている年はもう過ぎたんだ,僕たちは下りるよ。しかし彼は冗談どころか,何だい,君たちのバツグンのエースに信用がおけないのかい? いい年をしてそんなに恐いのか,(略)とすっかり常軌を逸していて,説得することができなかった。」(「子犬たち」p.62)

 「ボスたち」は「ボスたち」「決闘」「弟」「日曜日」「ある訪問者」「祖父」の6つの短編からなる処女短編集。あとがき(1978年当時)にはリョサは必ずしも短編には向いていない,という記述があるが,どの短編も面白く読んだ。

 「祖父」は若き日のリョサが見つめた「老い」の醜さと滑稽さが哀しい。老人が磨きあげた髑髏とは,そして彼の企てた計画とは一体何だったのだろうか,と老境の入口に差し掛かった読者である私は読みながらくらくらとしてくるのだった。

 「炎に包まれた魅惑的な髑髏を目の前にして,老人は呆気にとられ,魔法にでもかかったかのように身動きもしなかった。ただ,レコードみたいに繰り返した。『油のせいだ,油の!』」(「祖父」p.189) 

2023年1月,横浜関内,「星の王子さま サン=テグジュペリからの手紙」

 久しぶりにKAATに出かけてダンス公演を見てきました。KAATと言えば,夢中で見た首藤康之の舞台が思い浮かびます。この「星の王子さま」を見に行ったのも出演者に小尻健太の名前を見つけたのが一番のきっかけだったかも。首藤康之,中村恩恵と共演した彼の舞台の鮮烈なイメージを思い出したのです。

 しかし幕が開くとすぐにそこには「星の王子さま」の世界そのものが立ち上がり,それぞれのダンサーへの先入観やイメージは消えて,操縦士や赤いバラ,キツネやヘビなどなど物語世界に登場する彼ら/彼女らが肉体を持って舞台上を駆け巡る! 星の王子さまはアオイヤマダの肉体を得てそこに存在している!

 演出・振付・出演の森山開次の舞台を見るのは初めて。子どもに向けたようでありながら,深い思索をたたえた原作世界をダンスで表現して客席を満員にしてしまう(しかもKAAT全公演が完売らしい)力に感服です。深い余韻を残して2時間余りの公演はあっという間に終わりました。

 原作はちゃんと覚えていなかったけれど舞台を見ればわかるかな,と思っていたのが唯一の心残り。ヒツジの箱やバオバブの木の面白さ,そしてようやく見つけた砂漠の井戸の美しさは原作世界が読者に促すイマジネーションをそのまま具現化したものだ,と読み返して気付きました。先に読み返してから見ればよかった。

 あまりにも有名なキツネの言葉「かんじんなことは,目にみえないんだよ」。でももう一度見たいなあ,とそんな気持ちになる舞台でした。ブラボーの一言。

2023-01-22

2023年1月,東京恵比寿他,「野口里佳」展・「鈴木清」展他

 1月に見たいくつかの展覧会の記録です。まずは1月22日まで東京都写真美術館で開催の「野口里佳 不思議な力」展。展覧会場のサインがシンプルで気持ちがいい。タイトルの「不思議な力」は,被写体になっている「日常や周囲に満ちる無数の小さな謎」(チラシより)のことであり,写真という表現そのものの力のこと。会場をゆっくり歩くことによって,観る者の身体に満ちてくる「不思議な力」のこと。
 六本木にはサントリー美術館で同じく1月22日まで開催の「京都・智積院の名宝」展を見に出かけました。美しく荘厳な障壁画や,素晴らしい中世仏教美術に感動していたら,なんと!フジフィルムスクエアで「鈴木清 天幕の街」展が開催されている(3月29日まで)! まったく気付いていなかったので,ひたすら嬉しい。

 「天幕の街」に所収の約40点と,写真集完成のためのダミー本が展示されています。どの1枚も1篇の詩を読むよう。展示の最後に,遺族から貸与されたという実際の写真集が3冊さりげなく置かれていて,手にとって見ることができひたすら感激する(会期を通してかはわかりません。)「流れの歌」や「デュラスの領土」をいつか手に入れることができたらなあ,とずっと思い続けています。いつまでも心に響く写真たちに会いに,会期中にまた出かけよう。

 松涛美術館では「ビーズ つなぐ かざる みせる」展(1月15日まで)を見ました。国立民族学博物館コレクションによります。人類最古の装飾品の一つということで,古今東西のビーズの魅力が満載の展覧会でした。イメージ通りのアジアの首飾りみたいなものもあれば,アフリカの仮面や人形なども。久しぶりに民博に出かけたくなります。

2023-01-09

読んだ本,「太陽諸島」(多和田葉子)

 多和田葉子の「太陽諸島」(講談社 2022)を読了。「地球にちりばめられて」「星に仄めかされて」に続く三部作の完結編。消えてしまった故郷の島国を探して旅に出たHirukoと仲間たち,と簡単には言い尽くせない不思議な物語。今作は全編が船旅で,まるで彼らと共に遥か遠いバルト海を旅していたようだ。読み終えた今,船から降りたのにまだ身体も脳も波に揺れているような感覚が続いている。

 6人の構成はまさに世界の多様性という言葉を具現化したかのようでもあり,1人の人間の内面のようでもあり,最後にHirukoが仲間たちに宣言する言葉に彼らの生きる/生きていく世界が集約されているよう。

 物語の本質から少し離れたところで気になった文章のいくつかを。まだ見ぬ土地へ旅立つときにきっと思い出すだろう。カリーニングラードでヴィリニュスを見学できなかったクヌートの言葉。「(略)なんだか僕の人生の内容がいつのまにか観光だけになってしまったよ。大きな課題を与えられなかった人間は観光客になるしかない。」( p.194)

  Susanooが船客の70代の夫婦を甲板で見かけたときの独白。「二人は木箱の中の高級ワインのように,「老後」という箱に無理なく収まっていた。彼らにとって人生はきっと,子供時代,恋愛時代,子育て時代,老後ときちんと分割されているのだろう。オレの人生にはそういう仕切りがない。」(p.260)

2023-01-04

2023年1月,謹賀新年


 明けましておめでとうございます。新年は薄い紫色が美しい薔薇を飾りました。今年は久しぶりの海外旅行に行けるとよいなあ,とそんなことを思うお正月。賑やかなテレビを楽しんで,箱根路を駆け抜ける若者たちの姿に感動して,美味しいものをたくさん食べました。日々の幸せに感謝の気持ちを抱きつつ,新しい年がよい年になりますように。