2012-10-31

2012年10月,東京神保町,神田古本まつり

 神田神保町で毎年開催される古本まつりに行ってきました。例年,週末はすごい人出なので今年は時間をやりくりして平日に出陣。一年に一度の青空掘り出し市は「神保町表通りの歩道に出現する,書店と書棚に囲まれた約500mにおよぶ『本の回廊』」(主催者チラシより)が名物です。朝からわくわく,遠足に出かける子どもの気分です。

 ところが地下鉄の専修大学方面出口から地上へ出て,神保町交差点方面に進みはじめてしばらくすると,秋晴れだった青空がだんだん雲に覆われてきました。不安に思うまもなく突然の驟雨。外の書棚は次々とシートで覆われていきました。

 しばらくして雨は小ぶりになったものの,シートがそのままの棚も多く,一気に気分がトーンダウン。ちょくちょくのぞくいつもの古書店をいくつかまわって退却することにしました。

 いつのまにか老舗の古書店が閉店してしまっていることもありますが,「三鈴堂眼鏡店」のジョン・レノンの写真と丸メガネが飾られたウィンドウは時間の流れが止まっているよう。「明治12年創業」という看板が誇らしげです。(ブルーシートが写りこんでしまったのが切ない。)

 澤口書店で酒井忠康氏の著作を購入。「スティーヴン・ディーダラスの帽子」(形文社 1989)は,以前同店で購入した「奇妙な画家たちの肖像」(同 1991)の姉妹版にあたる本。ほかに「デューラー 人と作品」(前川誠郎,講談社 1990)など。 

2012-10-28

読んだ本,「私とは何か 「個人」から「分人」へ」(平野啓一郎)

 「私とは何か 「個人」から「分人」へ」(講談社現代新書)を読了。これは著者の平野啓一郎が最近の小説で提唱している「分人」という考えをわかりやすくまとめたもの。

 「分人(dividual)」という新しい単位は,人間を「分けられる」存在と見なすのものであり,人間は対人関係ごとのいくつかの分人によって構成されている,というのが著者の考えです。(これで支離滅裂な嗜好の私の「個性」も説明がつく?)「本当の自分」というのは幻想に過ぎない,という点が強調されていて,なるほどと深く共感を覚えます。

 この考えは2009年刊の近未来小説「ドーン」の作中で「分人主義」という語で語られているものです。小説の読者としては新書の語り口はなんとなく冗長に感じてしまいました。あとがきによれば,口述筆記にあとから全面的に手を加えて完成させたということなので,厳密に言うと著者の「文体」とはちょっと異質だからかもしれません。

 さて過日,東大UTCPで平野啓一郎氏を迎えて「分人」と現代文学についてのシンポジウムがあり,聴講してきました。まことにハイブロウな(!)内容で,半分くらいしか理解できなかった(!!)のですが,質疑応答も含めて参照図書として是非読みたい本。「鏡子の家」(三島由紀夫),「アイデンティティと暴力」(アマルティア・セン,勁草書房)。


 カフカの影響を受けた「最後の変身」(短編集「滴り落ちる時計たちの波紋」2004 所収)への言及もありました。この短編集は横組みの「最後の変身」や,前から読んでも後ろから読んでも同じ文章の「閉じ込められた少年」など,とても面白く読んだ1冊です。 

2012-10-27

2012年10月,横浜日本大通,「華麗なるインド神話の世界」展

 先週土曜日は皇居東御苑で三の丸尚蔵館の京都丸山派展を見てから雅楽の演奏を聴き,翌日曜日は横浜ユーラシア文化館の「華麗なるインド神話の世界」展を見てから,KAATでコンテンポラリーのダンス公演を見ました。…われながら,支離滅裂である(開き直る)。

 ヒンドゥーの神々を西洋画風に描いたラヴィ・ヴァルマ(1848-1906)の石版画が展示の中心です。ほかに彫刻,工芸品や日本から輸出されたマッチのパッケージなども。

 スパンコールや刺繍などが美しく施された版画も多く,インドの日常の生活で神々はとても身近で大切な存在なのだなあ,と実感します。父・シヴァにもたれかかるガネーシャのくつろいだ姿には思わず脱力。

 面白かったのが「インド2012」というコーナー。インドの街角にあふれる神々の姿が,キッチュな色彩あふれる写真で紹介されています。スパイスの香りが漂ってきそう。階下の常設展示ではクメールの青銅器の特集展示もあります。訪れる人も少なく,しばし異国情緒にひたる午後の一時でした。

2012-10-24

読んだ本,「いざ最悪の方へ」(サミュエル・ベケット)

 夢見心地で首藤康之のダンス公演を見て現実世界に戻って(?)くると,WHITE ROOMの中でイリ・キリアンが朗読していたベケットが気になってきました。WORSTWARD HOは英語で書かれた散文詩で,邦訳「いざ最悪の方へ」(長島確訳,書肆山田 1999)があります。

 日本語訳から朗読された部分を探すのは困難なので,聞き取れた単語の断片の記憶を頼りに原文をたどってみました。前後の部分が含まれているかは曖昧ですが,たぶんコアはこの部分だと思います。(的外れだったらお恥ずかしい限り。)日本語訳は長島訳,原文はhttp://www.samuel-beckett.net/w_ho.htmからの引用です。

 「彼らは薄れていく。いま一人。いま二人。いま両方。現れてくる。いま一人。いま二人。いま両方。徐々に?いや。突然消え去る。突然戻る。いま一人。いま二人。いま両方。/変わらず?変わらず突然戻る?そう。そうと言う。毎回変わらず。どうにか変わらず。ちがう,まで。ちがうと言うまで。変わって突然戻る。どうにか変わって。毎回どうにか変わって。/薄暗さ。虚空。も消え去り?も戻る?ちがう。ちがうと言う。けっして消え去らず。けっして戻らず。そう,まで。そうと言うまで。も消え去り。も戻る。薄暗さ。虚空。いま一方。いま他方。いま両方。突然消え去り。突然戻る。…」(pp22-23より引用)

  “They fade.  Now the one.  Now the twain.  Now both.  Face back.  Now the one.  Now the twain.  Now both.  Fade?  No.  Sudden back.  Now the one.  Now the twain.  Now both./Unchanged?  Sudden back unchanged?  Yes.  Say yes.  Each time unchanged.  Somehow unchanged.  Till no.  Till say no.  Sudden back changed.  Somehow changed.  Each time somehow changed./ The dim.  The void.  Gone too?  Back too?  No.  Say no.  Never gone.  Never back.  Till yes.  Till say yes.  Gone too.  Back too.  The dim.  The void.  Now the one. Now the other.  Now both.  Sudden gone.  Sudden back. ....”

 ベケットの散文の「意味」を理解することは英語でも日本語でもとても難しいし,首藤康之と中村恩恵の舞踊の「意味」をここに見つけることももっと難しい。でも,「動き」には意味によって完成する美しさもあるのではないか,とも思うのです。

2012-10-22

2012年10月,神奈川芸術劇場,首藤康之 DEDICATED 2012

 神奈川芸術劇場KAATで首藤康之のダンス公演DEDICATED 2012 IMAGEを見てきました。以前から好きなダンサーですが,1月に東京都写真美術館でドキュメンタリー映画「今日と明日の間で」を見てからますます魅かれるようになりました。7月に東京バレエ団のカルメンでホセを見たのに続いて,今回は映像とコラボしたコンンテンポラリーのナンバーを。


 最初の「Between Today and Tomorrow」は映画の冒頭と最後に流れたソロ。やはり生身の舞踊は二次元のスクリーンで見るのとは印象が違います。舞台を縦横に躍動する研ぎ澄まされた肉体に思わず息を呑んでしまう。

 続いてドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」が流れてスクリーンに「The Afternoon of a Faun~ニジンスキーへのオマージュ」が映し出されます。これは操上和美(映像監督),柘植伊佐夫(ビューティーディレクション)とともに作りこまれた美しい映像作品。

 そしてメインのプログラム「WHITE ROOM」は中村恩恵(振付)とのデュエットで,舞台上のダンスと操上和美の映像の中のダンスがリンクします。この作品はイリ・キリアンのアドバイスでチェーホフの「かもめ」に想を得ているということ。

 インタビューで首藤は「『絶望から忍耐へ,忍耐から希望へ』という,生きる希望を見いだせる作品になればと願っています」と答えています。そして作品の中盤ではイリ・キリアンがベケットのWORSTWARD HO「いざ最悪の方へ」を朗読する声も流れ,観客にはIMAGEのヒントがいくつも与えられます。

 ワグナー他,高揚感溢れる音楽と二人の絡みあうような動きを見ながら,目の前のこの二つの身体の存在そのものが観る人である私にとっての今であり未来(=希望)なのではないか,とそんな風に感じます。首藤康之の美しい肉体が神々しいものにさえ見えてくるのでした。

2012-10-21

2012年10月,皇居東御苑,宮内庁楽部雅楽演奏会

 思いがけず応募はがきが当選して,宮内庁式部職楽部 秋季雅楽演奏会にでかけてきました。さわやかな秋晴れの午後,大手門から皇居東御苑に入場して楽部の建物を目指します。雅楽は本来屋外で行われるものということで,一歩足を踏み入れると足元は白玉砂利のしつらえで,舞台には外光がふんだんに降り注ぎます。


 演奏会は「管弦」と「舞楽」の二部構成です。美しいカラー写真の雅楽解説書と上演される曲目の解説をもらって,開演前にじっくりと予習にはげむ。今回の「管弦」で奏されるのは「唐楽六調子の一つ太食調(たいしきちょう)」だそう。もうすでにお手上げ,という感じなのですが,演奏が始まると笙(しょう),篳篥(ひちりき),鞨鼓(かっこ),琵琶,琴などのここちよい調べに一気にひきこまれます。

 休憩をはさんで舞楽は二曲。中国系の「左方の舞」である「打球楽(だぎゅうらく)」と朝鮮系の「右方の舞」の「古鳥蘇(ことりそ)」です。胡の国で馬に乗って球子を走らせるのを「打球」というのだそう。(ポロですね。)「打球楽」は四人の舞人が毬杖(ぎっちょう)を手に,球を走らせる様を舞います。静かな動きで始まり,馬のスピードが上がると激しい動きに合わせて曲も盛り上がり,観ている方も心拍数が上がります。やがて管弦トランス(?)に突入して舞いが終わり,こちらはちょっとした放心状態。

 「古鳥蘇」は美しい調べの優雅な舞。あっという間の1時間30分でした。再び大手門をくぐって非日常の世界から日常の世界へと戻ります。ところで一番びっくりしたのは,平安の世から天翔けてきたかのごとく凛々しい楽師のみなさんは,宮中の行事ではタキシード姿で(!)洋楽器の演奏もするということでした。

2012-10-19

読み比べた本,「外套」(ゴーゴリ)

 光文社古典新訳文庫は数年前にドストエフスキーの新訳がブームになって以来,ときどき面白そうなものを読んでいます。浦雅春訳のゴーゴリ「鼻/外套/査察官」(2006)もその1冊。

 この新訳版は,「落語調」で翻訳してあります。たとえば「外套」の冒頭は「えー,あるお役所での話でございます…。まあ,ここんところはそれがどのお役所であるのかは申し上げないほうがよろしいでしょうな」(p69より引用)。追剥(おいはぎ)にあって外套を奪われる場面は「『こいつあ、おれの外套だ!』一人の男が襟首をむんずとつかまえ,雷のような声で呼ばわった」(p111)という具合。 

 ちなみに1980年刊行の「世界文学全集32ゴーゴリ」(原卓也訳,集英社)では,それぞれ「ある役所に……だが、どこの役所かは言わぬほうがいいだろう」(p373),「『おい,これは俺の外套じゃないか」一人が彼の襟をつかんで,われ鐘のような声で言った」(p391)と訳されています。 

 訳者あとがきによると,ゴーゴリの「語り」が噺家の語り口にそっくりで,独特の物の見方や想像力,増殖する妄想といった彼の魅力を伝えるためにこの文体を選んだのだということ。

 若いころ読んだ「外套」は,みじめで暗い小説というイメージでしたが,この「落語調」はおかしくて切なくて読後はぞくり。なるほどゴーゴリはこういう風にも読めるのか。ただし,訳者のあとがきによると,ゴーゴリ落語訳は独創ではないそうです。(実際の落語の口演用に訳されたことがあるそう。)

 21世紀東京の電車の中で19世紀ロシア小説をべらんめい調で読む,というのもなかなかシュールな体験。というところで,おあとがよろしいようで。

2012-10-17

古いもの,フェルメールで買ったもの,紫色のガラス

 一目ぼれしたイギリスのアンティークガラスの小ぶりな水差しです。高さは10センチくらい。最初に見たときはちょっと手が出なかったのですが,思いが通じて(粘った結果?)私のところに来てくれた,という感じの大切なもの。

 光にかざすとグラデーションがかった透明感のある紫色で,暗いところで見ると深く濃い吸い込まれそうな紫色。1700年代のものということで,これだけきれいな色は珍しいのだそうです。

 特徴的な形の把手は,上向きのカーブが指当てになっていて,注ぎ口は縁の部分を尖らせて作られています。ぽってりとしていて,なんとも雰囲気がやさしい。一輪差しとして使ってもよいかなと思いましたが,お気に入りの場所に飾って折々に眺めているだけでうれしくなります。

2012-10-15

2012年10月,埼玉北浦和,「日本の70年代 1968-1982」展

 北浦和の駅前,気持ちのよい公園の中にある埼玉県立近代美術館に「日本の70年代 1968-1982」展を見に出かけました。70年代の精神を,美術,写真,建築や雑誌,書籍,ポスター,レコードなどのデザインで振り返る展覧会。

 まず,大阪万博の「せんい館」にはびっくり。こんなパビリオンがあったのか。展示室には四谷シモン作の「ルネ・マグリット風の男」の現物が一体,展示されています。黒の山高帽と黒のフロックコートを身にまとった2メートルくらいの老紳士。横尾忠則デザインの建物の真紅のロビーにこの大男がずらりと並んだ様を想像するだけで,眼の奥がくらくらしてきます。

 写真はprovoke(1968年発刊)の時代。展示ケースの中にはprovoke 1, 2, 3号や,「写真よさようなら」(森山大道,写真評論社 1972),「来たるべき言葉のために」(中平卓馬,  風土社 1970)などなど。関わりのある写真家の展覧会でよく展示される資料ですが,1970年代という時間軸の中で見ると,なるほどこういう時代の中で写真家たちはこういう写真を撮っていたんだ,とわかった気分になります。

 中平卓馬がジャケット写真を撮影した安田南のLPレコード(SUNNY)は初めて見ました。あまりのかっこよさに,これまたくらくらしてきた。「なぜ,植物図鑑か」がちくま学芸文庫で復刊されたり,「来たるべき言葉のために」がオシリスから復刻されたりしていて,もちろんそれらも手に入れたいけれど,やはり時代の空気をまとった本物は圧倒的な存在感です。このLPのジャケットもCDケースに入ってしまうと雰囲気が全然違うのではないかな,とそんなことを思いました。


 展示の最後の方に,「1970年代にデザインの勉強をしていた学生の部屋」というのが再現されていて,机の上には製図板と並んでオリベッティのレッテラ32。グレーに近い色で写ってますが,もっとブルーに近い色でした。こんな色を選ぶなんて,さすがはデザイン専攻の学生さん。もしや美術館の学芸室とかに実在する人だろうか,だとしたら,今は何才くらいだ?とこれは余計なこと。

2012-10-13

2012年10月,大江戸線本郷三丁目駅,稲川方人の詩

 普段使わない駅を利用して,思いがけないものに出会いました。大江戸線本郷三丁目駅の改札を入った正面の壁に,日本の詩人たちの詩の一節が刻まれたパネルがあります。吉増剛造,辻井喬,松浦寿輝などなど,数十人の詩人たち。

 JDN(ジャパンデザインネット)のHPによると,「本郷三丁目駅周辺は,近代文明や学問と縁深く,文化の香り高い地域なので,過去から未来へ日本人の知性と感性を橋渡しすることが相応しい,という考えでこの半世紀の間に日本の詩人に詠まれた詩から48編の詩句を選出した」のだそう。大江戸線の駅の開業は2000年だから今から12年前のこと,東大の小林康夫教授が選考委員をとりまとめたそうです。

 地下のホームへ急ぐ足をしばし止めて眺めていたら,稲川方人の「封印」(1985)の一節を発見。人生いろいろあって(これでも),深い内省の一時期(そんなこともありました) に擦り切れるほど読んだ詩の言葉にこんなところで出会って一瞬,周りの音が聞こえなくなる。 
 
 引用されている部分を少し前から引用します。「刺激せよ,断言のいっさいのまあいを/そしてつみ重ねた抽象のいまなおの特権を/刺激せよ,刺激せよ/くるしみの過剰であり冒瀆の過剰であるさなか/詩が詩で成ることに遠のき/われわれの排除が/われわれの絶え間ない頽廃のうちでも/もっとも目に余る自由となるまで/なにものかの外でのみ生存する鳥なら鳥に/不足ないひとにぎりの事件を与えるのだ」(現代詩文庫99稲川方人(思潮社) pp61-62より引用)

2012-10-10

2012年10月,東京両国,川村清雄展

 両国の江戸東京博物館に出かけて「維新の洋画家 川村清雄展」を見てきました。初めて聞く名前ですが,チラシには見覚えのある天璋院篤姫や勝海舟の肖像画。「知られざる巨匠」とか「幻の洋画家」といった言葉に興味津々で両国へ向かいます。


 川村清雄(1852-1934)は,明治4年にイタリアに留学してヴェネツィア美術学校で優秀な成績を収めて帰国するものの,フランス美術の影響に染まりゆく日本の洋画壇と相容れず,画壇に背を向けます。その後は勝海舟や徳川家達などの庇護のもと,日本人独自の油絵を追及し続けた画家ということ。

 「海底に遺る日清勇士の髑髏」(1899以前)という1枚に強く心惹かれました。日清両国の兵士が現世の悲惨な戦闘のあと,海底では過去を忘れて相親しむという寓意を絵に込めよ,という注文に応えたその絵に浮かぶのは,一つにも見えるような二つの髑髏。背景は闇夜のごとき海底ですが,画中に勝海舟揮毫の色紙が浮かびます。

 髑髏のイメージ=メメント・モリという連想はやはり西洋美術の系譜だと思うのですが,古歌の色紙との組み合わせが幻想的でもあり,孤独に闘う日本人洋画家の矜持を示しているようにも思えて,心に迫ります。

 徳川歴代将軍の肖像画は,13代家定と14代家茂が,数年前の大河ドラマ「篤姫」でそれぞれを演じた俳優さんのイメージにぴったり合うなあ,と妙なところで感心,納得。ヴェネツィア留学時代に崇敬していたというティエポロの聖家族像や,川村家伝来の歴史資料などの展示もあり,もりだくさんの内容です。時間と空間をダイナミックに行き来して,帰路はうっかり逆方向の電車に飛び乗ってしまった。

2012-10-06

読んだ本,「悪い娘の悪戯」(マリオ・バルガス=リョサ)

  「悪い娘の悪戯」(八重樫克彦・八重樫由貴子訳 作品社 2012)を読みました。ペルーの作家Mario Vargas Llosaの2006年の小説の邦訳。主人公は,出会いから約40年にわたり「ニーニャ・マラ=悪い娘」に振り回される善良な男・リカルド。彼は,野心と欲望に身を捧げて壮絶な人生を送るニーニャ・マラを献身的に愛し続けます。何度裏切られても,唐突に彼のもとに帰ってくる彼女を受け入れ,そしてまた裏切られる。冷たく奔放なニーニャ・マラは稀代の悪女には違いないのですが,不思議な魅力があって,はらはらしながらも一気に読み終えました。


 この壮大で数奇なラブストーリーの舞台はリマ,パリ,ロンドン,マドリッド,そしてフランス地中海岸の街セートで幕を閉じます。途中,大切な通過点=分岐点として東京も舞台になります。それぞれの時代の世界情勢や,海外から見たペルーの国内情勢なども描かれていて,物語がうわつきません。

 2010年にノーベル文学賞を受賞したバルガス=リョサは2011年6月に来日し,東京でも2か所で講演を行いました。そのうち,東京大学で開催された「文学への情熱ともうひとつの現実の創造」というテーマの講演を聞くことができました。 

 彼は,文学が描く「もうひとつの現実」には私たちの願望が反映されていて,現実の世界に足りないものを教えてくれるのだ,そしてそこで批判的な精神を養うことができるのだ,ということを語りました(と思います)。堂々とした体躯で,情熱たっぷりに文学の力を話す作家の姿に感動。震災後に予定通りに来日してくれたということもあり,講演の最後は万雷の拍手でした。 

 この日,私が受け取ったスペイン語から日本語への同時通訳機の調子が悪く,たびたび入る雑音が気になって講演にあまり集中できず残念でした。奇しくもこの小説の主人公リカルドの生業はユネスコの同時通訳者。多言語を自在に操る同業の友人サロモン・トレダーノは「友よ,どうか存在感のない紳士という通訳本来の役割を忘れないでくれたまえ」(本書p172から引用)とリカルドに語りかけます。あの日,同時通訳の人はきっとすばらしい仕事をした紳士だったのだろうけれど,私の手元の機械が少々「悪い娘」だったようです。

 講演のあと,早速読んだ「緑の家」(木村栄一訳 岩波文庫 2010)は入れ子構造の上,幻想的なストーリー展開にかなり手こずってしまいました。しばらくリョサは敬遠していましたが,「チボの狂宴」「都会と犬ども」なども手にとってみよう。
 

2012-10-05

2012年10月,東京馬喰町,宮本隆司写真展「薄明のなかで見よ」

 馬喰町のギャラリー,TARO NASUで宮本隆司写真展「薄明の中で見よ」を見てきました。120度パノラマを撮影できるというスイス製のピンホールカメラで撮影された約30点が,地下の白い壁の空間に並んでいます。地下へは鉄製の灰色の階段を下りていきます。

 すべてブルーが基調の縦長のイメージ。1枚1枚の風景は自然の風景だったり工事現場だったりスカイツリーだったり。写真と合わせて写真家本人のメッセージを読むと,「レンズ,フォーカス,フレーム,シャッター・スピードなどカメラの基本的な機能を極限まで取り去った」ピンホールカメラで撮影される写真の特徴がよくわかります。

 このメッセージには「柔らかくていいかげんで曖昧な」というタイトルがついていて,そのあとに続く名詞が気になります。この場所にある「柔らかくていいかげんで曖昧な」のは「写真」であって「風景」であって「世界」でしょう。ふと,「私」を続けてみたらどうなんだろうと思いをめぐらします。

 写真家は,薄明のなかで何を見ろとこれらの写真を差し出したのでしょうか。無機質な光を放つ蛍光管の下,いやおうなしにガラス面に写りこむ自分のぼんやりした輪郭を見つめながら,「柔らかくていいかげんで曖昧な私」と声に出さずにつぶやいてみる。「私」は「存在」と言い換えてもいい。

2012-10-03

古いもの,祖父の小箱(2),Rosenthalのフィギュア

 以前,祖父の本棚から見つけた小箱にはこんな人形も入っていました。高さ6センチ弱の小さな小さな少女です。薪を背負って,大地に一歩を踏み出すところ。これで手に本を持っていたら少女版の金次郎さん?


 裏面にRosenthalの文字と王冠と薔薇のマークがあり,その下の文字はBavariaと読めます。ローゼンタール窯のフィギュアは1910年ごろから製作が始まり,王冠と薔薇のマークがあるのはゼルプのBanhof工房というところで製作されたものということ。1933年以降はGermanyと国名が表記されるようになるので,Bavariaと表記があるのはそれ以前のものということがわかりました。
 
 1933年以前は,窯の創業者でオーナーのフィリップ・ローゼンタールが若いアーティストを起用して,モダンな作風のフィギュアを製作させていたそうで,この少女もその中の一つということなのでしょう。

 フィリップ・ローゼンタールはユダヤ人だったため,1933年にナチスが政権を握ると,翌年には窯のオーナーの座を追われてしまいます。その後は窯で製作されるフィギュアの作風も変わっていったのだそう。
 
 異郷の地に滞在した若き日の祖父は,まさに若い感覚で当時のモダンな一品を選んだのか,それとも単に二宮金次郎ふうのポーズが面白かったのか,生きているうちにこの人形を見つけて聞いておけばよかった。

2012-10-02

2012年9月,東京渋谷,「井筒」

 渋谷セルリアンタワー能楽堂で櫻間会例会「井筒」の公演を見てきました。この能楽堂はホテルの入る建物の地下にあります。宴会場フロアから降りて,モダンなアプローチを通って能楽堂へ。まさに異空間という感じです。 

 お能の公演は久しぶり。ほとんど予習もしないででかけましたが,親切な鑑賞のしおりや,開演前の解説のおかげで約2時間の舞台を楽しみました。
 

 しおりからあらすじを引用します。「大和初瀬・在原寺。旅の僧の前に若い女が現れて古塚に水を手向け,業平の旧跡であると教える。業平と井筒の女の恋物語を語り終えると,自分はその女の霊であると明かして井筒の陰に身を隠す。その夜更け,女の霊は再び現れて,業平の形見の衣に身を包み,秋庭の井筒の水に身を映して業平の姿を偲び偲んで,夜明けとともに消えていく。」
 
 物語終盤では舞台後見座での衣装替え(「物着」というのだそう)があって,若い娘が業平の装束を身につけて姿を変えます。優雅な所作で若い女が男に変わっていく様子を目で追うことができて楽しい。
 
 考えてみると,この舞台では,男の能役者が有常の娘という女を演じ,その女が業平の形見を着け業平になろうとする。そして女はその姿を水面に映して業平を偲ぶ。つまり,男の役者が女に扮して,その女の哀れを男の身体の動きで表現しているわけです。ちょっとややこしいけれど,これぞ夢幻の世界。
 
 シテを演じた櫻間右陣さんの優雅な舞いにうっとりするうちに舞台は終わり,附祝言の「千秋楽は民を撫で…」に送られるようにして能楽堂を後にしました。