2013-12-28

モノクロームの写真集,「我らの獲物は一滴の光」(高梨豊+吉増剛造)

  瀧口修造の詩篇を見て思い出した写真集。写真集というか,冊子体の薄いもの。勘違いしていたのだが,2003年にphotographers' galleryで開催されたのは高梨豊の個人展であり,この写真集はその図録というわけではない。高梨豊WINDSCAPEと吉増剛造「詩の汐の穴」からのイメージがモノクロームで数点ずつと,写真展に際して二度行われた二人の対談の後編が収められている。
 WINDSCAPEは走る車窓からの風景を切り取ったシリーズ。初回の対談は現場で聴講したのだけれど,ほとんど内容は忘れてしまった。この2回目の対談を読んで,そういえば高梨豊が「鉄道が発明されて初めて『風景』が生まれた」というようなことを言っていたのを思い出す。その言葉を,当時通っていた写真ワークショップの仲間に話したら,大変なブーイングを浴び,私の聞き間違いか,まったく見当はずれの解釈だったのかなあ,とかなり落ち込んだ記憶も甦ってきた。
 
 それはともかく,高梨豊は1980年代に「我らの獲物は一滴の光」と題するエッセイも上梓していて(1987, 蒼洋社),この詩句に少なからぬ共振を覚えたことは間違いないようだ。吉増剛造の言葉の導きで,高梨豊が自らの写真は「立ち上がってくる粒子」に満ちている,と語るくだりはとても印象に残る。

2013-12-25

2013年12月,栃木足利,「詩人と美術 瀧口修造のシュルレアリスム」展

 冷たい風が吹き抜ける冬の一日,特急りょうもう号に乗って一路足利へ。会期の最終日に「詩人と美術 瀧口修造のシュルレアリスム」展を見に足利美術館へ出かけました。足利市駅までの約1時間,ほとんど車窓から冬の風景を眺めて過ごす。駅からは渡良瀬川を渡って美術館へ。冬の川辺。
 
 今回足利まで足を運んだのは,瀧口修造が1958年のヨーロッパ旅行中に撮影した写真の展示がお目当てです。彼は旅行中,1200枚もの写真を撮影していたのだそう。それらがアーカイブ化され,2005年に慶応大学来往舎ギャラリーで開催された「瀧口修造1958:旅する眼差し」展を見逃したことが,いつまでも心残りだったのです。
 
 というわけで,会場1階の第1章「瀧口修造のヨーロッパの旅 1958」に足を踏み入れて,肝心の写真の数が少ないことに少々落胆する。19点の写真が展示されていました。しかもプリントがアクリル板に裏打ちするパネル仕立てになっていて,何やら旅の資料然としています。「瀧口修造の写真」を観ている,という感慨があまり湧いてこなかったのが正直なところ。
 
 それでも,雨のマドリッドやアムステルダムのボートハウスなど,半世紀前の詩人の眼差しを共有できて,しばし時空を旅する。図録には詳しい旅程も掲載されていて,とても嬉しい。いつか辿ってみたいものです。
 
 2階会場はシュルレアリスムを通覧する充実の展示。瀧口修造本人のデカルコマニー作品「私の心臓は時を刻む」より「わたしにさわってはいけない」(富山県立近代美術館蔵)は何度見ても釘付けになります。そして,フォンタナやベルメール,エルンストらの展示へと歩みを戻してみると,いかにそれらが彼の創造に多くのインスピレーションを与えたかがよくわかります。なんともスリリングな展示。
 
 最終章の野中ユリのデカルコマニーに添えられた瀧口修造の詩篇「星は人の指ほどの」を見て,おや,と思う。「若い生命の小指を賭けた狩り!/『われらの獲物は一滴の光だ』と詩人はいう」という一節があります。「われらの獲物は一滴の光」は数年前に新宿のphotographers' galleryで開催された高梨豊と吉増剛造の写真展のタイトルではなかったか。てっきり,その写真展に即してつけられたタイトルと思っていたけれど,瀧口修造が「詩人」と詠んだその人は一体誰?
 帰宅して検索することしばし,その詩人が判明しました!フランスの詩人ルネ・シャールによるものだそう。早速詩集を図書館に予約。この正月休みはしばし,フランスのシュルレアリスム詩人について思いをめぐらそう。
 
 蛇足ながら,足利市美術館では12月初に吉増剛造氏による「瀧口修造 旅する眼差し」という講演が行われ,ヨーロッパ旅行の写真のスライド上映があったのだそう。見たかったなあ。またしても痛恨の極みです。(第九の練習でいっぱいいっぱいでした。) 

番外編・メリークリスマス!

  寒い日が続きます。皆さま、どうぞ楽しいクリスマスを!
2013年11月,ブルージュにて

2013-12-21

2013年12月,東京初台,「五線譜に描いた夢 日本近代音楽の150年」展

 冷たい雨が雪に変わるかもしれないという予報が出ていた日の遅い午後,新宿へ向かい東京オペラシティアートギャラリーで「五線譜に描いた夢 日本近代音楽の150年」という展覧会を見てきました。

 19世紀後半に明治維新政府が教育制度に西洋音楽を導入して以来,「芸術文化の諸領域と連動し,さまざまな表情を見せつつ,めざましい発展を遂げ」た日本の音楽文化を,「視覚的に再構成する初めての試み」(カッコ内は展覧会チラシより)ということ。
  美術館で「観る」音楽というわけで,やはり視覚的に面白いものが印象に残ります。これぞ大正ロマン,という「セノオ楽譜」の装丁がとても楽しい。竹久夢二,中山晋平など。

 「戦後から21世紀へ」のコーナーでは武満徹の自筆楽譜の世界に惹きこまれます。この人にとって音楽とは一体何だったのか,自らの存在する宇宙の原理そのものがこの五線譜の上に描かれているようです。今回,瀧口修造の詩に導かれた「遮られない休息1」の楽譜も展示されていて,美しいピアノの旋律がどこか天上から流れてくるようでした。1は「ゆっくりと悲しく語りかけるように」。

 さて,いかに「視覚的」とはいえ,近代音楽の歴史を辿る説明のパネルも数多く,ゆっくりと時間をかけて会場を回って,にわかに音楽知識のあれこれを仕入れました。日本でのベートーベン第九の初演についての興味深いエピソードなども。

 そして第九といえば,今年はある合唱団に参加させてもらって,先日舞台に立ちました。人生で一度やってみたかった年末の第九合唱。8月から週1回のペースで練習し,何とか本番に。呪文のように覚えたドイツ語(原詩:シラー)も,日本語に直すとしみじみ,凄い(何が,と言われると困るのだけど)。
 歓喜よ,美しい神々の火花よ,天上の楽園の乙女よ!
 われら情熱に溢れ,崇高な,あなたの聖所に足をふみ入れる。
 あなたの奇しき力は,時の流れが厳しく切り離したものを,再び結び合わせ,
 あなたの柔らかい翼の留まるところ,すべての人びとは兄弟となる。
(カワイ版BEETHOVEN “An die Freude”より)

2013-12-14

2013年12月,バリ島(終),美しき島

 旅程の最後の1日は,何も予定を決めずただひたすらのんびりと過ごします。あっという間の3泊4日は,「神々の島」を実感する間もなかった気がしますが,旅から戻って写真を見ていると,確かに私の日常とはまったく異なる価値観に支配されている土地の空気を思い出します。
 
 書物からの知識をそのまま引用すれば,「バリの文化と生活においての,コスモロジー(宇宙観,世界観)の強い支配と,それにもとづく場所(トポス)の意味の濃密化」(「魔女ランダ考」(中村雄二郎著,岩波書店,p13))がそこにあるといえるのかもしれません。
 まだ戻ってきて日も浅いというのに,ずっとガイドマップを見ながら,次はここに行こう,あそこにも行ってみたい,と考えながら過ごす日々。

2013年12月,バリ島(4),ウブド/ティルタサリ楽団


 芸術の村ウブドの中心部は観光客向けのおしゃれな店がぎっしりと続いています。南部のセレクトショップでバティックやイカットの古布,アンティーク銀器などを物色しました。見事なバティック古布は日本円で数万円単位。観光客向けなので,お値段もそれなりです。美しくビーズ刺繍が施された小物など数点を購入。近くの生地屋で手頃なバティックなども。
 
 ウブド王宮のある中心部へ少し北上する途中,タマンサリ寺院Pura Taman Sariの門。寺院の入口は割り門tjandi bentarが多いのですが,ここには美しい細工の扉がついています。
 
 市街とはいえ,緑も多く通り抜ける風も気持ちがいい。夕刻を待ってプリアタン王宮Peliatanで開催される,ティルタサリ楽団Tirtasariの公演へ向かいました。「数百年の歴史と伝統に裏付けされた『本物』のレゴン舞踊を継承している」(旅行社ガイドブックより),バリ島を代表する楽団ということ。
 
 プログラムはガムランの演奏に始まり,レゴン・ラッセル,クビャール・トロンボン,レゴン・ジョボック,そしてバロン劇というラインナップです。バロン劇は短縮版でしたが,バリ芸能のおいしいところをすべて盛り込んだ濃密な約1時間半。舞台正面最前列に陣取って,異界へ迷い込んだような不思議な昂揚感にしばらくは呆然自失。ホテルへの帰路は興奮状態で役者さんたちの印象を語り合っておおいに盛り上がる!
 
 ところで,旅行の前に少しバリ芸能の知識をかじろうと読んでみたのが「魔女ランダ考:演劇的知とは何か」(中村雄二郎,岩波書店同時代ライブラリー,1990)という1冊。バロン劇に登場する悪のランダと善のバロンの対立について示唆に富む論考が繰り広げられます。バリ島旅行に際して読んだ本についてはまたいずれ項をあらためて。

2013-12-13

2013年12月,バリ島(3),ゴア・ガジャ/ペジェン

 バリ島二日目は車で約1時間半の距離のウブドにでかけました。まず,ウブド東部にある11世紀の建造物のゴア・ガジャ遺跡Goa Gajahに向かいます。大きな顔が彫りこまれた洞窟の口の部分から内部に入ると,内部は左右に大きく延びていて,左側にガネーシャ,右側に三神一体のヒンドゥー教の神であるリンガ・ヨニの石像が設置されています。どのように祈りを捧げればよいのか,戸惑いつつも,現地の人の真似をしながら,家族の健康などをお祈りする。
 内部の壁に掘られた穴は,僧侶が瞑想を行ったものということですが,この洞窟には仏教の要素も多く,いまだ解明されていない謎が多いのだそう。遺跡の敷地内からは滝が流れる渓谷に降りることもでき,ミステリーハンター気分を存分に味わってきました。駐車場からのアプローチにはずらりと露店が並んでいます。ウブドの犬。とてもかわいい。
  次に訪れたのがペジェン地区。ゴア・ガジャからは車で10分くらい,ウブドの近郊北東部にあります。ここは古いお寺がたくさんあるところ。最も大きいプナタラン・サシ寺院Pura Penataran Sasihを訪れました。「ペジェンの月」と呼ばれる大きなドラム(銅鼓)がご本尊にあたります。紀元前3世紀ごろの建造といわれ,青銅製の銅鼓としては世界最大のものということ。確かにでっかい。
 
 入口で記帳とドネーションを済ませてドラムを見上げていると,受付のおじさんが歩み寄ってきて解説を始めました。ここはバリ島のすべての寺院の中心であると熱弁をふるうおじさんでしたが,最後にひとりずつからガイド料を徴収したのにはちょっと面食らう。マハーバーラタの浮彫。

2013-12-11

2013年12月,バリ島(2),クタの夜

 羽田を真夜中に飛び立ち,デンパサール空港に到着したのは朝7時30分。一日をフルに使えるメリットは大きいけれど,機中で熟睡できないとかなり身体はきつい(多分に歳のせいです)。のんびりしながら,現地在住で,同行の友人の従姉にあたる方が迎えに来て下さる夕刻までを過ごします。

 まずは車でクタ方面へ。ヌサドゥアとはまた違って,サーファーのメッカの街は活気にあふれています。オープンして日が浅いという巨大なショッピングモールに寄ってみます。「お洒落で洗練されたエキゾチシズム」という,バリ島に対するイメージをそのまま具現化したような建物。お土産の民芸品を扱うような店はほとんどなく,ブランドや現地のデザイナーブランドなどの店がひしめく。
  そういえばもうすぐクリスマス。ヒンドゥー教の島にもサンタさんはやってくるのだろうか。店内にはちょっと不思議なクリスマスツリーやスノーハウスのディスプレイも。
  屋上のデッキに出てみると,わずかなタイミングで夕陽を見ることができました。雨季のこの時期,午後遅くから夕方にかけては降雨のことがほとんど,とガイドブックにはあったので,美しいピンク色に染まる空を見て,大感激です。
 この後は,クロボカン方面のお宅へ向かう途中,南国ムードあふれる地元のレストランでスーパーおいしい(!)インドネシア料理,バリ料理をいただきました。至福のとき。

2013-12-10

2013年12月,バリ島(1),ヌサドゥア

 機会を得て,3泊4日のバリ島旅行に行ってきました(今年はキリギリスの年と腹をくくる)。以前から興味があった「神々の島」。どんなところなのか,寒い日本を脱出して降り立った南国の地は,想像以上に強い日差しと強烈な湿気。
 
 泊まったホテルは島の南部のヌサドゥアというリゾート開発地区にあります。APEC会議の開催に合わせて整備されたという,立派な空港から立派な高速道路にのって約30分。ロビーは旅の雑誌の1ページのような佇まいで気分も上がります。南国の花の写真が多くなりますが,少しずつ整理してアップしていきます。

2013-12-04

2013年11月,東京本郷,遺跡見学会

 先週のこと,東京大学本郷構内の遺跡見学会に参加してきました。総合図書館の書庫増築工事に伴うものです。現在確認されているのは,江戸時代の加賀藩上屋敷跡,近代の東京帝国大学の旧図書館跡などです。

 発掘作業が進められている傍らで,実際に現場へ降りて説明を聞きながら見学をすることができました。これは旧図書館の玄関・書庫の基礎部分。灰が大量に発掘されたそうです。これはきっと70万冊の蔵書が火災で焼けたものだろう,という説明にちょっと震える。灰となってずっと眠っていた書物。ここは書物の墓場だったのか。重機類の色がかっこいい。(カメラを忘れたので職場のコンデジで撮影。)
 
  江戸時代後期の溶姫の御殿に伴う長局(女中の居住するところ)があった場所からはかんざしや銅鏡が,さらに江戸時代前期藩邸の家臣の空間の地下室やゴミ穴からは生活道具や武家儀礼の道具などが出土しているとのこと。これは銀(錫?)製の煙管です。(そういえばアムステルダムのパイプミュージアムには日本の喫煙道具の展示はあっただろうか。)
 
  儀式に用いられた素焼きの道具類は完全な形です。神聖なものとして毎回新しいものが使われるために,壊れていない状態で捨てられて,当時の姿のまま私たちの眼の前に現れた,というわけ。

 歴史の断層を見つめているんだ,という感慨は,博物館に陳列されているものを見るのとはまったく別の感覚でした。時間の流れと空間の堆積を体感して,見学会からの帰路はなんとなく,自分の歩く方向の前後左右上下の感覚がおぼつかない。

2013-12-02

2013年11月,東京代官山,「今日と明日の間で」

 代官山蔦屋書店で開催された首藤康之トークショーに参加してきました。ドキュメンタリーフィルム「今日と明日の間で」のDVD発売に合わせたものです。DVDになるのを首を長くして待っていたので,とてもうれしい。
 定刻ぴったりに,首藤氏がにこやかにそして軽やかに現れると,会場には歓声ともため息ともつかない声が溢れます。舞台に立っているときの,神々しいまでに張り詰めた雰囲気とは違うけれど,それでもどこか異界の人というオーラが漂っていて,間近にいるのに思わず視線をそらしてしまう。
 
 この日のトークで印象深かったのが,バレエを始めるきっかけとなった少年時代の観劇の話。DVDにもその思い出を語るシーンがありますが,「とにかく舞台というものに惹かれたのです」と語ります。緞帳があって,その向こうには「もう一つの世界」があって,とにかくそこに立ちたいと思った,と語るその言葉にはっとする。
 
 首藤康之というダンサーが舞台に立つとき,観客である私は,しばしこの世を忘れてしまう。この「選ばれし美しい人」(DVDコピーより)の手は,足は,その身体のすべてはもう一つの世界に存在しているのだ。
 
 和やかな質疑応答の時間も過ぎて,サイン会の時間になりました。(年がいもなく)ドキドキしながら順番を待ちます。大ファンです,とかこれからもがんばってください,とか何か言葉にしてみようかとも思いましたが,ぺこりとお礼だけをして帰りました。軽々しく踏み越えてはいけない結界を前にして,凡庸な言葉は小石ほどの力も持たない。