2020-04-27

古い展覧会の記録,アーヴィング・ペンの写真展(2010年5月)

  2010年のロンドン旅行の記憶。ガルシア・マルケスの短編を読んで,チェ・ゲバラと言えば映画「モーター・サイクル・ダイアリーズ」とゲバラを演じたガエル・ガルシア・ベルナルを思い出し,ガエルと言えばそうだ!ロンドンで見たあの写真展!となったわけ。一人連想ゲームですね。
  緑色のWhat's Onの表紙になってるのはヌレエフのポートレート。2009年に亡くなった写真家の,1940年代から2007年までの仕事が展示されていて,最後の部屋でガエルのポートレート(2004)を見つけたときはうれしかったなあ(←何しろイケメン)。

 カタログには,"We don't call them shoots here.  We don't shoot people, it's really a love affair."なんて書いてある。あの時の薄暗い展示室を思い出して,一人ドキドキする。

  2010年に約20年ぶりくらいでロンドンを訪れたのは,美術館・博物館めぐりとアンティーク市めぐりが目当てでした。人生いろいろあって(!),待望の旅行だったのであの時の高揚感と言ったら,今思い出してもわくわくが止まらない。もちろん,かき捨ての恥ずかしい思い出もいっぱいありますが!

 ナショナル・ギャラリーとその近くのナショナル・ポートレート・ギャラリーの2つを1日かけてゆっくり見ました。ポートレート・ギャラリーは観光客も少なめで,大人っぽい印象がとてもいい感じでした。アーヴィング・ペンは印象に残っていたのだけれど,同時開催でインド細密画のThe Indian Portraitという特別展を見たのをすっかり忘れてました。ああ,そうだった!とうれしくなってカタログを見返す。またインドに呼ばれてしまいそう。

 あれこれ整理しながら,不安な日々を過ごしています。とりわけ写真の整理をしていると,思い出したくない思い出が否応なしに甦ってきたりもするけれど,そういうのはまた忘却の彼方に掃き捨てる(!)ことにして,また新しい旅に出かけられる日を心待ちにしています。 

2020-04-24

読んだ本,「純真なエレンディラと邪悪な祖母の信じがたくも痛ましい物語」(ガルシア・マルケス)

  もともと在宅ワークと兼業なので,先の見えない自宅待機も何とか乗り越えられるかと思いきや,なんとPCが故障してしまうという未曽有(?)の事態に陥ってました。先代のウインドウズ7マシンをだましだまし使って冷や汗ものでしたが,やっと修理から戻ってきてほっとしているところ。
  そんなわけでドタバタと過ごしてしまい,あまり読書も進んでいない。沈みがちな気分が少しでも上がるようにと手に取ったガルシア・マルケスの「純真なエレンディラと邪悪な祖母の信じがたくも痛ましい物語」(野谷文昭編訳 河出書房新社 2019)をまずは読了。

 野谷氏が最終講義で語っていた「合わせ読みの楽しさ」を堪能できる内容。既読の短編もいくつかあるけれど,訳が違うと新鮮な驚きを味わえる。どれもマルケスの魅力全開で,「巨大な翼をもつひどく年老いた男」と「この世で一番美しい水死者」にとりわけ惹かれた。
 
 中庭でうごめく,汚らしい翼を持つ男を船乗りだと思いこんだ夫婦と,その正体を近所の女が見破る場面。「それでも,生と死に関係することなら知らないことはないという近所の女に見に来てもらった。この女は一目見たとたん,二人の勘違いを言い当てた。『天使だよ,これは』と女は言った。『きっと子供をさらう目的で来たんだ,だけどひどく老いぼれているものだから,雨に当たって落っこっちまったのさ』」(「巨大な翼をもつひどく年老いた男」p.136)

 こうして天使は堕ちてくるのか。

 あまりに美しい水死体に「エステバン」と名前をつける村の女たち。「ついにはこの世で一番可哀そうな男,一番おとなしく世話好きな男が哀れなエステバンだと言って大泣きする始末だった。だから男たちが戻ってきて,水死者が近くの村の者でもなかったという知らせをもたらすと,涙に暮れていた女たちの心に喜びの晴れ間がのぞいた。/『ああ,よかった』と彼女たちはほっとして言った。『この水死者はわたしたちのものだよ!』」(「この世で一番美しい水死者」p.149)

  こうして水死体は英雄となるのか。野谷氏はこの死体をチェ・ゲバラと指摘する(解題および最終講義)。読み終えて,チェ・ゲバラの若き日を描く映画を思い出してしまった。それについては次項で。

2020-04-07

2020年4月,君子蘭の開花

  今年も君子蘭がきれいに開花した。昨年の開花時には,病床の母に見せようとカードに写真を印刷してメッセージを書き込んでいた。大輪の鮮やかな花を見ていると,この1年の間に母が逝き,驚くほど哀しさを感じない自分がいて,しかし遠い異国の河のほとりで涙が流れ,そして今,予想だにしなかった不安な日々を過ごしていることが不思議で仕方がない。

 来年もまたきっとこの花は開くのだろう。「今」は「過去」になっていくけれど,同時に花芽をしっかりとその内に育てているのだ。
 
 在宅ワークをしながらつい,ネットで妄想旅の計画ばかり立てている。「ラマユル・ゴンパ」という美しい響きの僧院! ラダックに行ってみたいよ,と穏やかな日差しのもとで花たちに語り掛けてみる。よし,言葉にした!

2020-04-05

古いもの,フェルメールで買ったもの,祈りの日々


  世界を覆う災禍に心が痛む日々が続きます。毎日ニュースを見ながら不安に過ごしてきましたが,不安がもはや恐怖に変わってしまっています。ブッダの言葉を読んでみたり,こんな聖人の姿に祈ってみたり(相変わらず脳ミソ支離滅裂),一日も早く収束の日が訪れることを祈るばかりです。

  これは金沢のフェルメールが数年前に目白のアンティークフェアに出店していた際に求めたもの。6.5㎝×8.5㎝と小さいサイズ。金属のフレームは錆が浮いていてそれがよい雰囲気です。由来がよくわからないとのことで,もしかしたら南米のものかも,と言ってた気がします。そんな正体不明な感じに惹かれ,窓辺にひっそりと置いて毎日眺めています。