2021-12-27

2021年12月,年の瀬に

 慌ただしく過ごしている今日この頃,突然メインのPCが故障してしまいました。。なぜこのタイミング?? 修理には年末年始を挟んで時間もかかるということ。こちらの更新はしばらく滞るかと。どうぞ皆さまよいお年をお迎えください。クリスマスに飾ったモカラをマクロで撮ってみました。

 

読んだ本,「詩とは何か」(吉増剛造)

 

 「詩とは何か」(吉増剛造著 講談社現代新書 2021)を読了。口述の書き起こしで,詩人の語りがそのまま活字として目と耳に響いてくる。衝撃が大きすぎて感想めいたことをここに残すのはあまりにおこがましい。忘備として引用したい箇所も多すぎて途方にくれる。「『詩』を越える詩、カフカ」の項から「城」について語るくだりを。

 「(略)ここでのカフカの書く力の跳躍は素晴らしいもので,「板一枚」のところについて書いていて,書きつつ,これが「板一枚」のおかげで,別の世界にあっという間に辿り着く,…。(略)ここです。別世界への穴,カフカの「書く手」が,瞬間にして,あるいは一息で届いた,この通路,穴,一枚の板こそが,あるいは,…思い切って書いてしまいますが,「詩というもの」への入口であり,またその出口でもあるのです。こんな教訓のようなことをいうことは決して好きではないのですが,いいですか,この「板一枚」がありさえすれば,これが命の板になって,…わたくしたちも,生きて行くことができるのです。」(p.117)


2021-12-19

2021年12月,茨城県自然博物館「こけティッシュ 苔ニューワールド」展

 蘭,ビザールプランツ,多肉植物,苔…。ステイホーム時間に植物たちの魅力にますます取りつかれてしまいました。アクセスにかなり不安があるものの,冬空のまぶしい休日にいざ茨城へ。電車とバスを乗り継いで訪れる人は少数派。バス停からとぼとぼ歩いていくと見えてきたのはほぼ満車状態の駐車場! たくさんのかわいいファミリーたちで賑わっていて,充実の常設展示がロンドンの自然史博物館を彷彿とさせる楽しい空間でした。

 100円ショップのスマホ用マクロレンズを試してみました。うーん,今一つ。そもそもピントが合ってない。。再チャレンジしてみます。


 

読んだ本,「踏み跡にたたずんで」(小野正嗣)

 「踏み跡にたたずんで」(毎日新聞出版 2020)は小野正嗣の掌編短編集。掌編短編というのは小説の一形態だろう,しかしここに収められているのはすべて詩編といってもよいのではないだろうか。

 人が,こことは違う世界への入口を言葉に捉えた瞬間に産まれるもの。それが詩であるとするなら,小野正嗣が描くフェリー乗り場や湖畔や診療所はもはや現実に存在するものでも小説世界の創造物でもない。詩そのものなのだと思う。

 「詩人に会う約束をした。」という一文で始まる「港のそばの小学校で」は,元教師の詩人と会えない「僕」の心の声が綴られる。それは詩の言葉を紡ぐ苦しみとも思えるものだ。「老婆が通り過ぎるあいだ,開いたページに視線を埋没させる。/しかし文字は逃げていく。/ページが空っぽになる。/詩人の声も見失う。」(p.114)

 NHKの美術番組でほぼ毎週見ているからだろうか。妙に親近感というか,その人となりを知っているような気がしてしまい「誠実な人柄の小説家」と思いこんでいる節があるが,ふとした瞬間に伝わってくるどこか捉えようのない(何を考えているのかわからない,と言ってしまってもいい)作家の顔が透けて見える。そんな書物。この人の書くものをずっと追いかけよう,と心に決める。

2021-12-11

2021年11月,東北(6),「本城直季,(un)real utopia」展

 最終日はお昼前の新幹線で帰路につきます。朝一番で岩手県立美術館へ向かって旅をしめくくる。本城直季の写真展は来年3月に東京都写真美術館に巡回する予定があるようですが,岩手を被写体とした撮り下ろし作品なども展示されているとのこと。

 ジオラマのように見える本城直季の写真は,理屈を超えて面白いなあと思う。現実を見ているのに感じる不思議な違和感の正体は何だろう。展覧会のタイトルもざわざわするし,「この世界にあなたがいる」という惹句も気になります。インパクトという点では近作よりも「small planet」が好きかな。特に中山競馬場。

 岩手県立美術館はとても気持ちのよい建築です。常設展示では松本竣介の「Y市の橋」を見て,あ,ここの所蔵だったのか,となりました。

 3泊4日の東北旅行。青森と盛岡だけでしたが,大充実の旅でした。遠くへ行ってきた,という実感があります。やっぱり旅はよいです。

 

2021年11月,東北(5),青森から盛岡へ,ワ・ラッセ,光原社

 青森3日目の朝はホテルからすぐの海岸へ。青空がのぞいたり,雪が舞ったり。これが外ヶ浜なんだな。市内の善知鳥神社へは前夜参詣したものの,すっかり日が暮れていて全貌はよくわからなかった。。朝の散歩がてらにもう一度という気合はなく,能曲「善知鳥」を辿る旅はやや不完全燃焼。次の機会に棟方志功記念館と合わせて再訪しよう。

 新幹線の時間までねぶたを展示した「ワ・ラッセ」で過ごしました。五所川原の立佞武多を見た後なので大きさにはそれほど驚かなかったけど,一体一体の物語には感動。これは薬師様を守る十二神将を十二人のねぶた作家が競作したものの一部で,来年の干支にちなんで真達羅大将をパチリ。

 さて,新青森から新幹線で南下して向かったのは盛岡。前から一度訪れたかった光原社へまっすぐ向かいます。店舗の佇まいは凛とした気品があります。奥行のある中庭にいくつも建物があって,おいしいお茶を頂いたり宮沢賢治の資料館をのぞいたり。

 楽しい時間を過ごしたあと,お店の前の通りで思いがけず材木町よ市が始まって大喜び。岩泉高伝統芸能同好会の「中野七頭舞」の披露には大感激。五穀豊穣を願う神楽らしい。武具を使う激しい動きに目が釘付けになりました。若い身体から放たれるエネルギーは清冽です。
 あっという間に夕暮れが迫ってきて,大慌てで市内循環バスに飛び乗って紺屋町方面へ。中津川を渡ってブックナードを目指しました。少し前の古書店特集の雑誌で海外カルチャー中心の古書店と紹介されていたのですが,古書よりも新刊書が充実している印象。方向転換したのもしれないな,と新刊の文庫本を1冊求めてお店をあとにしました。外はすっかり日が暮れてきました。

2021-12-07

2021年11月,東北(4),津軽金木「斜陽館」・五所川原


 青森県立美術館と三内丸山遺跡が今回の青森旅行の目的だったのですが,青森まで来たのだから行ってみたかった場所がもう1つ。金木(かなぎ)の斜陽館へは青森駅から五所川原で津軽鉄道に乗り換えるアクセスもよさそうです。

 文学少女(?)だった中学・高校生時代,もれなく(??)太宰にどっぷりとはまっていました。今思い返してもちょっと息苦しくなるくらい。で,その頃はいつか津軽の斜陽館を訪れよう,と心に思い描いていたものでした。が,時を経て太宰文学からはすっかり心が離れてしまい,今回の津軽行きは人生の宿題の一つを果たすというか,十代の自分に会いに行くような心持ち。

 やっぱり旅の伴は「津軽」(太宰治 新潮文庫)だよな,とカバーをかけた文庫本をリュックに入れて青森駅からリゾートしらかみ号に乗り込んで五所川原へ。アクセスがよいと錯覚したけれど,何しろJRも接続の津軽線も本数が少ない。朝出発して,青森駅へ戻ってくるにはほとんど選択肢などなく,帰路は五所川原で1時間以上電車を待って戻ってきたのは夕暮れどき。やっぱり遠いな。。

 「『ね,なぜ旅に出るの?』『苦しいからさ』」(p.32)で本編が始まる「津軽」。久しぶりに読む太宰には,おお,きました!という感じ。そうだ,太宰はこうこなくちゃ,と頁を繰りながら,夢中だった女学生の自分の姿をちらちらと駅のホームに探す。

 冒頭に「津軽の雪」として東奥年鑑からの引用があり,「こな雪 つぶ雪 わた雪 みず雪 かた雪 ざらめ雪 こおり雪」とあります。前日からの不思議な空模様の種明かしみたいだ,と思っているうちに五所川原駅に到着し,津軽鉄道に乗り換えて金木駅へ。

 駅から10分くらい歩いて突然目の前に現れたのが斜陽館。文学案内やガイドブックでおなじみの姿を前に,ついにここまで来たよ,と独り言ちる。あとは淡々と見学コースをたどって,太宰がお金持ちのぼんぼんだったということを再確認していきます。
 
 建設当時にかかった費用は現在の価値に換算すると7億とも言われているとのこと。太宰が蟹を手土産に宴に参加したという2階の広間はとても品のよい立派な座敷で,「蟹というものは,どうも野趣がありすぎて上品のお膳をいやしくする傾きがあるので私はちょっと躊躇した」(p.139)という太宰の困惑顔が浮かんできてちょっと可笑しくなる。

 記念の品を何か買おうかと思ったけれど,心動くものはなく,ライブラリーの棚には又吉直樹の著作なども並んでいるのをちらりと見て,私の斜陽館体験はおしまい。来てよかったのかどうなのか,いずれにしてもこんなに遠くまで来ることは二度とないだろうなと,電車を待つ間ぼんやりと暗い空を眺めたのでした。

 津軽鉄道にはかわいいガイドさんが同乗して,沿線駅のガイドマップなど配ってくれます。もうすぐシンゴさんの電車が見えますよ,カメラの用意をと言う。香取慎吾がスマップ時代に地元の子どもたちとペイントした車両だそう。はい,パチリ。

 五所川原では立佞武多の館を訪ねて,これにはほんとに感動! 何しろでかいのです。6~7階建のビルの高さの中に鎮座した3体は,お祭り当日には壁がぐあーんと開いてそこから出陣するのだそう。8月にお祭りを見に来たいなあ,とこれは新たな人生の宿題になりました。

2021-12-05

2021年11月,東北(3),三内丸山遺跡

  北海道・北東北の縄文遺跡群は世界文化遺産ということで,その一つ三内丸山遺跡を見学。青森県立美術館とは隣接している,というか県立美術館の建物は三内丸山遺跡の発掘現場から着想を得て設計されたのだということ。

 青森の雪は関東の雪とはもちろん,北陸の雪とも感じが違う。霙交じりの雨が雪に変わって本降りになるかと思いきや,あっという間に青空が広がって陽がさしたかと思うとまた雪になったりします。

 かなり足元が悪そうで,スノトレ(ほとんど長靴)を旅に持参したのですが,タクシーの運転手さんに「そこまでする?」と大笑いされました。いや,最善策を熟考の末なんですが。

 まずは縄文時游館で遺跡の概要や発掘品を見てからガイドツァーに参加。丁寧にかつポイントを押さえて広い遺跡の中を案内してくれます。ちょうど旅の直前にテレビ番組で縄文特集をやってて,井浦新さんが大型掘立柱建物にハシゴをかけて登ってるところを見たばかり。こんなに大きいんだ! ガイドさんとその話で盛り上がりました(井浦新さんの目がキラキラしてましたね~というポイントで)。

 5~6千年前の人々の暮らしと言ってもピンとこないけれど,子供の墓や大人の墓の跡を見ると,人は生きて死ぬんだ,その繰り返しなんだ,ということが実感として迫ってきます。思っていたよりずっと広く,時游館の展示も立派で(収蔵庫もガラス越しに見ることができます)面白かった!

 

2021年11月,東北(2),青森県立美術館「あかし testaments」展

 東北新幹線に乗り込んで,あっという間に仙台,盛岡の次には新青森駅に到着。飛行機で北海道に飛ぶのとはまったく違う感覚で「地続きの北」へやって来ました。天気予報の通りに雪模様だけど,積雪はそれほどでもない。まずはタクシーで青森県立美術館へ。

 金沢21世紀美術館もそうなんだけど,20年前にデザインの最先端だったおしゃれ建築は,時が経つとちょっと悲しい。青木淳の設計した建物は「量塊のなかに設けられた真っ白な「ホワイトキューブ」の展示室隙間と土の床や壁が露出する隙間の「土」の展示室が、対立しながらも共存する強度の高い空間」(美術館HPより)。それが20年を経て床のひび割れの補修跡が目立つし,そもそも美術館内部が観客にとっては動線がわかりにくいし,ちょっとがっかりだったかな(期待が大きかっただけに)。

 とは言え,企画展の「あかし testament」展は見ごたえ満点のすばらしい展示でした。「かつて生じたことで,歴史にとって,失われたと見なれされるものは何ひとつない」というヴァルター・ベンヤミンの言葉が引かれていて,ずっとそれを考えながら豊島重之,北島敬三,コ・ウンスク,山城知佳子の写真や映像作品の世界を渡り歩く。

 東日本大震災10年の年に,青森県立美術館で人々の小さな「灯」を,「証」を見ることによって,あの「歴史」を私は感じることができただろうか。

 そうした文脈をはずれたところでも,豊島重之の「カルト・ポスタルプロジェクト」の詩的な量感や,北島敬三の撮影した外ヶ浜の怖ろしさには心震えます。能曲「善知鳥」の旅の僧は立山からこの外ヶ浜まで歩いてきたんだ。

  豊島重之の直下型演劇の舞台装置。展示室の土の壁。常設展示室の外にある奈良美智の「あおもり犬」。