2016-06-26

2016年6月,東京白金台,松岡美術館のガンダーラ仏

 東京都庭園美術館の次は松岡美術館へ向かいました。外苑西通りはプラチナ通りと呼ばれているのだそう。おしゃれ,というより,スノッブな雰囲気が素敵だ。。蓮鉢の並んだ老舗の蕎麦屋の店先まで,何となく外国人の抱く日本のイメージみたいなものを連想してしまう。
 さて,松岡美術館ではコレクション展の「中国の陶磁展」を楽しみにでかけましたが,1階の古代東洋彫刻のコレクション展示室で釘づけになりました。この美術館は随分前に一度訪れた記憶があるのだけれど,こんなすばらしいガンダーラ仏コレクションがあったとはまったく失念していました。ただただ感激。
 
 韓国国立中央博物館のあと,東京国立博物館で「ほほえみの御仏―二つの半跏思惟像―」展がちょうど今開催中です。紹介するNHKの番組で,半跏思惟像はもともとはガンダーラ仏に始まる,と簡単に説明されていましたが,おお,まさにこれが!と瞠目です。
 
 「菩薩半跏思惟像」は3世紀頃出土地不詳というキャプションがあります。韓国国立中央博物館のそれは6世紀頃,中宮寺のそれは7世紀頃。時空を超えた歴史のロマンにどっぷり浸りました。ソウルでじっくり拝見したから,東博には足を運ぶかどうかは思案中。
 
 松岡美術館では,目当ての中国陶磁のほかにも古代オリエント彫刻やヨーロッパ近代絵画などなどを堪能しました。この後はバスに乗って六本木へ向かい,森アーツセンターで「ポンペイの壁画展」も。

2016-06-19

2016年6月,東京白金台,「メディチ家の至宝 ルネサンスのジュエリーと名画」展

 足の外傷で歩くのがやっとという日が数日続いてしまいました。周りに迷惑をかけるわけにもいかないから,という無理もたたってなかなか完治せず,「移動」という当たり前の行為の有難さを痛感。何より,身体のダメージは精神的にも参ります。

 ようやく完治して,トンネルを抜けた気分です。たまっていたもろもろの雑事を片づけて,目黒方面へGo! まずは東京都庭園美術館で「メディチ家の至宝 ルネサンスのジュエリーと名画」展を。建物脇の塀のレリーフから庭園を透かし見る。
  今どき,「名画展」というものベタなネーミングだなあと思いつつ,会場へ足を踏み入れるとびっくりするほど混雑しています。東京都の高齢者無料デーだったらしい。静かな午後にゆっくり見たかったなあ,というのがホンネかも。

 メディチ家の家系図など目で追いながら,ずっと思い出していたのは辻邦生の「春の戴冠」。かなり前に読んだので,細部はほとんど思い出せない。ストーリーよりも,本そのものを手に入れるために,あちこちの古本屋で探したことの方が鮮明な思い出として甦ります。

 ネットであっという間に目当ての古書が手に入る今となっては,あの日々は何だったのだろうという思いと,宝探しみたいで楽しかったなあという思いとが交錯する。7月に,学習院大学史料館で「春の戴冠」に関する展示があるというので,楽しみ。

 肝心の「ジュエリーと名画」は,人の頭越しであまり集中できなかったのですが,ブロンツィーノのマリア・デ・メディチの端正な肖像画がいつまでも残像として残ります。10歳くらいのときの姿だそう。宝飾品で飾られた少女の深い眼差しからは,未来への希望や生きる歓びを感じ取ることは難しい。その灰色の瞳もまた,無機質な輝きを湛えているように見えてしまうのです。

2016-06-11

2016年6月,東京本郷,蓮の花・ベトナムの記憶

 東大本郷キャンパス内にて。鉢植えのハス(古代ハス?)が開花していました。農学部がハスの香料を用いて香水やワインなどを開発しているらしい。間近で見る開花の美しさと,あっという間に花びらを散らす儚さに惹きこまれます。
 
 下の写真は2010年にハノイを旅したときに手に入れたベトナム刺繍の布を額装して飾っているもの。刺繍の質感を生かそうと思って標本箱タイプの額に入れてます。旅は12月でしたが,蓮の花はやはりこの時期がぴったり。
 

2016-06-05

2016年5月,東京初台,「プロメテの火」

 5月最後の日曜日に,新国立劇場にでかけて「プロメテの火」を見てきました。首藤康之の舞踊が目的だったので,公演の内容をよく理解していませんでしたが,江口隆哉・伊福部昭による日本モダンダンスの傑作作品の復活公演ということ。1950年初演で50年ほど上演が途絶えていたらしい。
 
 あ,だからポスターの首藤康之と中村恩恵の写真は隅っこなわけだ,と会場にきてやっとわかりました。会場には矢口氏の門下生だったり,舞踊の研究者など「再演」に深い意義を見出しているらしき人たちがたくさんいて,私のような首藤康之のミーハーファンは何だか申し訳ないような気がしてきました。

 
 第1部は短いソロのプログラムが3本です。中村恩恵の躍る宮操子(矢口夫人)振付の「タンゴ」(ドナートゥ曲)はさすがとしか言いようがない踊り。古さをまったく感じさせない情熱的な動きです。
 
 そして第2部の「プロメテの火」に先立って,振付家のプレトークがありました。これは必要だっただろうか。初演時に比べて若いダンサーたちはスタイルもよく技術も上がっているけれど,心が足りない,と観客に向かって話すのです。その振付家は初演時の群舞の一人だったらしい。
 
 「今の若いダンサーは」という考えをなぜ「今の観客」の前で話すのだろう。天邪鬼の私は,それなら再演しなければいいじゃないかとさえ思ってしまう。パンドラの函の中に精神力の高い昔のダンサーの踊りを閉じ込めておけばよいのだ。
 
 予定時間をオーバーしたそのプレトークにすっかりテンションが下がってしまいましたが,第2部の幕が上がり,首藤康之が登場すると気分も復活。60年前のモダンダンスの動きは,見慣れたバレエの動きとまったく違い,重心が下へ下へと向かい,まるで昔のビデオ作品の上映を見ているかのよう。
 
 第2景では,火を手に入れたプロメテのソロが圧巻。歌舞伎の動きも取り入れられているという振付は,火を掲げたポーズにも確かに日本的な土着の精神性が感じられて,現代の視点からは逆に新鮮です。第3景は圧巻の群舞で,その迫力に思わず拍手が起きる。
 
 そして第4景「コーカサスの山巓」では,プロメテは岩に鎖で縛りつけられて黒鷲に啄まれるのですが,動きのない首藤康之の立ち姿の神々しいまでの美しさと言ったら!中村恩恵が演じる牝牛の姿に変えられた美少女アイオとは視線を交わすだけですが,いつもの二人の舞踊が思い浮かぶほど,崇高な魂の交感がそこには間違いなくあるように思えました。
 
 最後まで見終えて,私にとっては首藤康之と中村恩恵の「プロメテの火」であったのだ,と深く得心して帰路に着きました。初演時は川端康成が小説「舞姫」に舞台のことを描いたらしい。ならば首藤の舞踊も遠い未来まで語り継がれるとよいなあ,とその記憶の現在に立ち会って思う。

2016年5月,東京初台,ライアン・マッギンレー写真展

 初台に首藤康之のダンスを見に行き,開演前にオペラシティアートギャラリーに立ち寄りました。ライアン・マッギンレーの写真展が開催中です。
  ヌード写真で埋め尽くされた展覧会です。思いがけない情景の中に佇むヌードはときにジェンダーの枠組みを軽々と越え,あ,男だったんだ,などと驚いたりする。会場内は写真撮影が可。かといって,スマホで撮影する人がそれほどいるわけでもありません。

 Ryan McGinleyは初めて聞く名前でした。もっと若い人かと思ったら1977年生まれという。大自然の中にぽつんと置かれたヌードはウィン・バロックなどを思い浮かべるけれど,人間の身体が自然の一部になっているわけではなく,無機質で物質的。

 「生々しい」という形容詞とは程遠いのです。「ヌード写真」を見ているという実感はあるものの,観客に「欲望」という視点をまったくと言っていいほど感じさせない不思議な写真たち。何だかキツネにつままれたような気分で会場を後にしました。もしかしたらこれが写真家の意図なのかと思いつつ,展覧会のタイトルBODY LOUD!の文字を横目で追う。

読んだ本,「黄金の少年,エメラルドの少女」(イーユン・リー)

 イーユン・リーYiyun Liの短編集「黄金の少年,エメラルドの少女」(河出文庫)を読了。北京生まれの作家によって英語で書かれた"Gold boy, Emerald Girl"の全訳である。作家本人の指示で,すべての登場人物名は漢字が当てられていて(『獄』の登場人物は扶桑(フーサン),一蘭(イーラン),羅(ルオ)というように),読んでいて英語からの翻訳ということをたびたび忘れてしまう。

 原語が英語だろうが中国語だろうが,作家の紡ぐ小説世界は確固たるものかもしれないが,読者である私にとっては何かが違う。同じアジア人としての精神世界が一度英語に翻訳されて,それがまたアジアの言語へと再翻訳されているという意識。たとえば多和田葉子がドイツ語で書いた小説を日本語訳で読むとき,そこに違和感を感じずに読むことができるだろうか。

 それはともかく,物語の世界はどれもぐいぐいと読者をひきつける。『獄』は移住先のアメリカで子を亡くした中国人夫婦が,中国に戻って代理母に子を産ませ,その子を連れてアメリカに戻ろうと企む話。夫婦の哀しみと,代理母となる若い娘の哀しみが幾重にも交錯する。現代的なテーマであるはずの生命倫理観はあくまでも物語の通奏低音であり,描かれる夫婦や親子の愛に,何度もページを繰る手を止めて考え込んでしまった。

 「将来楽しみなことがほとんどないにもかかわらず,なお愛し合っている,その事実だけで耐えがたかった。一蘭はときおり,互いに背を向けてそれぞれが一人で悲しみと向き合えたら楽になれるんじゃないか,と思った。」(p.134より引用)