2019-09-23

読み返した本,「世紀末と楽園幻想」「ひとり旅は楽し」(池内紀)

   自分にとって「同時代に生きている」というだけで誇らしいというか,光栄だという思いを抱く作家や芸術家はたくさんいる。そうした人たちが一人,また一人とこの世を去るのはあまりにも哀しいことだし,同時に「自分が生きている時代」が自分の後ろの方へどんどん流れていくことを実感させられる辛い現実でもある。

 この夏,立て続けだったロバート・フランクと池内紀氏の逝去のニュースは哀しかった。池内紀氏の翻訳の仕事は私のカフカ体験そのもので,学生の頃,岩波文庫で読んだ短編集の「掟の門」から受けた衝撃は今も忘れられない。

  河出書房新社から池澤夏樹編集の世界文学全集が出たときは,ギュンター・グラス「ブリキの太鼓」を新訳されていた。池澤氏との出版記念の対談を聴講し,飄々とした人柄に感激した覚えがある。

 洒脱なエッセイや,芸術論集など,忘れがたい書物の中から懐かしく読み返した2冊。「ひとり旅は楽し」(中公新書 2004)は私の旅の師匠のような本。「旅」とは「人生」だと考えれば,私の人生の指針ともいえるのかも。
 
 「ひとり旅の途上には,およそ思いもかけなかった想念がみまうものだ。ちょっとした関連から,へんてこな記憶がよみがえる。もはや当人にも覚えのないしろものだが,よみがえるからには,たしかに自分の記憶のどこかにひそんでいたにちがいない。旅先にあって,もう一つの自分探しの旅ができる。」(p.86より)

 「世紀末と楽園幻想」(白水社 1981)からはクリムトやシーレと並んで,シュトゥックという画家の知見を得た。ミュンヘンの旅の一日,ヴィラ・シュトゥックで過ごした時間を思い出す。旅を,芸術を,文学と書物を愛する人生へ導いてくれた先達へ深い哀悼の念を。

2019-09-16

2019年9月,横浜金沢文庫,「東洋学への誘い」(神奈川県立金沢文庫)

 横浜関内で用事があって,思ったより早く片付いてしまい,そのまま金沢文庫へ向かいました。京急線はなじみがなくて,ちょっとした小旅行気分。とはいえ,時間的には関内から上大岡で乗り換えて30分程度で到着します。
神奈川県立金沢文庫では東京大学東洋文化研究所と共催の「東洋学への誘い」が9月16日までの開催です。唐時代の経巻など,「鳩摩羅什訳」なんてさらりと書いてあって,唐の都・長安への壮大なタイムスリップ気分が楽しい。

 他にも敦煌遺書やキジル壁画など,わくわくしながら眺めます。トルファン出土の木像に魂を持っていかれる! 武人像や男子立像などに並んで,馬像と豚像! 豚は珍しいんじゃないかな。西安から西域への旅気分を味わって,大満足。

 初めての金沢文庫は称名寺の境内からトンネルをくぐりぬけてたどり着きます。買い替えたばかりのスマホカメラを全然使いこなせず,格闘中。

2019年9月,手に入れた油彩,「amorous」(山下かじん)

  というわけで,9月8日まで六本木s+artsで開催されていた山下かじんさんの個展「amorous」でこの1点を購入。この白という色彩の,饒舌でもあり静謐でもある不思議な魅力がなんとも色っぽい。アクリルで額装しようか,このままにしておこうかと迷っているところ。

 画廊の案内文によれば,「工業用のエフェクト・パール顔料や塗料を使い,水彩紙やキャンパスに描かれる」のだという。これはキャンパス。化学反応は偶然なのか,計画なのか,それともその両方なのか。

  amorousは「艶めかしい,色っぽい」とそのままなわけだけど,多情=孤独でもあるかもしれない。どこまでも二面的なんだな,と思う。

 蛇足ながら,この作品を見た家人(かじんさんじゃないですよ,私の家族ね)は,山本直彰さんの作品(うちには3点あります!)だと思ったらしい。全然ちがうじゃん!と言ったものの,言われてみれば雰囲気としては似てるのかも。まあ,好みと言ってしまえばそれまでなんだけれど,惹かれる方向としてぶれてないということにしておこう。

2019-09-08

2019年9月,東京六本木,二科展

  国立新美術館で16日まで開催されている二科展を見てきました。公募展にはほとんど足を運んだことがないのだけれど,今回は二科賞を受賞した坪田裕香さんの「in the water」シリーズを拝見に。ガラスボウルにケチャップのチューブと串に刺した蒟蒻。会場では縦に並んでいました。
  具象あり抽象ありの広い会場の中で,こういうリアリズム絵画のスタイルはとても特異な立ち位置。赤いケチャップはとても目立つし,蒟蒻は他の誰にも思いつかない素材に思えます。intellectualな成功,という印象です。二科賞というすごい賞を受賞して,これからが楽しみ。

 ところで会場ではドナルド・ジャッド風のモチーフが素敵な抽象画に出会い,その作家さんが近くの画廊で個展を開催中と聞き,立ち寄りました。作家さんの名前は山下かじんさん。展覧会のタイトルはamorous。詳細はまた後日に。

読んだ本,「君が異端だった頃」(島田雅彦)

  島田雅彦「君が異端だった頃」(集英社)を読了。「自伝的青春私小説!」である。ほぼ同年代,デビュー作「優しいサヨクのための嬉遊曲」から追いかけてきた読者としては,読者自身の「私小説」でもあるのかもしれない。
 壮絶(!)なモテ人生の披瀝に,にやにやしっぱなしで読み進めたが,大江健三郎,中上健次,佐伯一麦らとの文壇愛憎劇には驚きの連続だった。一読者として,中上健次はちょっと苦手意識がある。島田雅彦の導きがあれば読めるかもしれない。わが偏愛する小説家は,私を未知の世界へと導いてくれるのだ。
 
 「未確認尾行物体」や「夢使い」の頃が自分の人生の過渡期(!?)とも重なって,思わず涙腺がゆるみそうになるも,ニューヨークで生活を始めたアパートメントの住人達との交流の場面には腰を抜かしそうになる。マーサ・グラハム・カンパニーの折原美樹氏が同じアパートメントに住んでいたのだという!
 
 昨年,折原美樹氏が首藤康之らと共演したダンス公演を見に行ったのだ。どんなダンサーかよく知らず,自分と大体同世代の人なんだな,くらいに思っていたら,こんなところで自分の偏愛する世界がつながるとは! 誰かに話したいけど,わかってくれる人がいるものやら。
 
 10月にbunkamuraで島田雅彦と金原ひとみのトークイベントがあるらしい。ストーカーと思われないように,こっそり隅の方から「最後の文士」の姿を眺めることにしようと思う。
 
 安部公房とのやりとりのくだり。「この時,安部さんは二つだけ文学の話をした。君がロシアン・スタディ出身だと知ると,こういった。/-みんな偉そうにドストエフスキーやチェーホフの話をするけれども,本当に読んでいるのかね?/なぜそんな疑いを抱くのかと思いながら,君が「いやみんな読んでると思いますよ。安部先生もカフカのヒューモアにニヤリとされたでしょう?」というと,安部さんはしれっとこういった。/-カフカの小説を読んで笑える人は世界にそんなにたくさんいるはずがない。人類はそこまで賢くない。」(pp.244-245)

2019-09-01

2019年9月,東京世田谷,「入門 墨の美術」展(静嘉堂文庫美術館)

  静嘉堂文庫美術館で始まった「入門 墨の美術-古写経・古筆・水墨画-」展(10月14日まで)を見てきました。暑い夏の終わりに,静謐かつ清廉な展覧会を楽しんで,まさに眼福。楽しかった! (展示室内の写真は美術館より特別に撮影の許可を頂いたものです。)
 
 4月に東洋陶磁美術館で「文房四宝」展を見たばかりでもあり,初心に立ち返って「墨の美術」を入門から勉強できる機会はとっても嬉しい。今回は,「墨を主体的に用いた,わが国の古代中世の書画を展観」(図録p.3「あいさつ」より)する展覧会です。古美術の展覧会で,「ん?  これは中国,それとも日本?」という疑問を初めから感じないで済む,というのは思ったよりストレスフリーな経験でした。
 
 唯一の例外の元時代の水墨画「寒山図」と,宋代の墨がプロローグに展示されています。展覧会のキャラクター「かんざんくん」のナイスな脱力ぶりが面白い! 
  
  展示はタイトルが示す「古写経・古筆・水墨画」の三章で構成されています。奈良時代の写経の楷書体の書風は,謹直な職人たちの祈りが伝わってくるよう。「祈りの墨」の厳しさに思わず背筋が伸びます。仏教の修行に類するものだったという指摘はむべなるかな。この秋,ぜひ禅寺へ写経や座禅に出かけようと決心!
 
 そして平安時代の古筆の章では「雅なる墨」の美しさにただただ圧倒されます。伸びやかで流麗な書体は書き手の個性を表す,という指摘になるほど。工夫をこらした料紙や書かれた詩歌は,贈られた人への思いと共に「書く人」そのものを表すわけですね。
  そして展示は鎌倉~室町の水墨画の章へ。「墨に五彩あり」を体現するかんざんくんの笑顔にこちらも肩の力が抜けます。「聴松軒図」には人物は描かれていないけれど,禅僧の漢詩のやり取りによって,画面には人間味が溢れている,という指摘に思わず驚きました。そして,そうか,詩画図はそういう見方をすればよいのか!と目からウロコです。
 
 古美術の展覧会にでかけると,実物と解説を交互に読んで,ああ疲れた。となることが多かったのですが,今回は日本の「墨の美術」を,  テーマと時代で分かりやすく見せてくれる「入門編」ということで,いやあ,楽しかった! こういう古美術の見方・見せ方があるんだ。
 
 参考出品の経筒や元の飛青磁の花入れなども楽しい。「墨の美術」は続編はあるのかしら,中国編かな,それとも入門の次だから中級編かな,などと想像しながら美術館を後にしました。
 ところで,この展覧会のポスター類や図録がとても印象的です。明朝体の書体が古風で,展覧会にぴったり。(フォントの名前はわからない。。)図録をしばらく書棚に面出しで並べて展覧会の余韻を楽しもう。