2014-06-22

読んだ本,「愛しのグレンダ」(フリオ・コルタサル)

 全身に疲労をまとった過日の夕刻,ふらふらと吸い寄せられるように図書館の外国文学のコーナーの一画,スペイン語圏文学の棚へと立ち寄った。訳者の名前に野谷文昭氏を探して,「愛しのグレンダ」(フリオ・コルタサル著,岩波書店 2008)を手に取る。短編集である。目次を見ると知らないタイトルばかり。パラパラとあとがきまでページをめくり,手が止まった。

 収録されている最後の短編「メビウスの輪」の解説に,「ジャイプール」「天文台(ジャンタル・マンタル)」の文字を見つける。ラテンアメリカ文学を読んでインドにたどり着くのは初めての体験だ。コルタサルは1968年,当時オクタビオ・パスが大使として赴任していたインドを訪れたのだという。

 実はこの夏,インドを訪れる予定で,ジャイプール訪問は行程の中でも一番楽しみにしている都市。広い図書館の,何万冊の蔵書の中から手にした1冊に,まさか念願の天文台の名前を見つけるなんて,これを奇蹟と呼ばずして何と呼ぼうか。

 というわけで,疲れた脳ミソにはややハードル高めのコルタサルを借りてきて,しかし読み始めると一気に,現実と幻想の境界のない作家の描く世界へと惹きこまれて読了。

 どの短編も魅力的だが,「ノートへの書付」はコルタサルの地下鉄への偏愛を示す面白い作品。彼は地下鉄の路線図のモンドリアンの絵のような幾何学的模様に惹かれるのだ,とインタビューで語ったこともあるらしい。

 ある日の地下鉄乗降客数調査で,入った人数よりも出た人数が少ない。そこから「わたし」の調査が始まる。「わたし」は誰で「彼ら」は誰なのか。そもそも「彼ら」がそこに存在するとして,調査する「わたし」はどこにいるのか。そして「わたし」はある日こう呟く。「彼らはあそこにいて,この段落から彼らの物語が始まることなど知りもしない」(p.48から引用)

 世界はすでに存在する物語で満ちている。「作家」とは「物語」とは「読者」とは。「小説を書く」とは「小説を読む」とは。大げさではなく,人の一生とはその答えを見つける旅のような気がしてくる。高速道路を走ったり,地下鉄に運ばれたりする,そんな旅。
 

2014年6月,東京小岩,雅楽 雅鳳会 演奏会

 先週のことになりますが,雅楽の演奏会にでかけてきました。雅鳳会という団体の演奏会です。江戸川区小岩のホールまで,思ったより遠かった。初めて降りる駅まで,ちょっとした旅の気分です。

 演奏会のタイトルは「から・こま・やまと 海つなぐ舞」ということで,日本独自の「神楽歌」と,中国大陸から渡ってきた「唐楽」,朝鮮半島からの「高麗楽」が舞の姿で上演されました。古代,東アジアの海でつながったロマンに思いを馳せよう,というわけです。雅楽は2012年秋に宮内庁楽部の演奏会を聴きに行って以来2回目。

 第1部は管弦「青海波」に続いて神楽歌が二曲。神楽笛と和琴は通常の雅楽の演奏会では珍しいということ。そして第2部は高麗楽の「納曽利(なそり)」と唐楽の「還城楽(げんじょうらく)」です。「納曽利」は雄と雌の龍が戯れる姿を表した舞で,二人の舞人の飛び跳ねたり背中合わせになったりの動きが神秘的で美しい。「還城楽」は蛇の小道具を使い,怖ろしい形相の面をつけてその蛇を退治して食してしまう,という舞。縁起のよい舞らしいけれど,ちょっとその迫力にびびってしまう。
 
 高麗楽と唐楽では装束の色目が異なり,高麗楽が青緑系に銀装飾の装束,唐楽が赤系に金装飾というのが一般的らしく,今回の番組も対照的でした。好みの問題だけど,高麗楽の方が好きかも。「なそり」という響きにも惹かれます。面や装束も含めて,舞楽の本を少し読んでみよう。秋の宮内庁楽部演奏会もまた行けるといいなあ。

 写真は上演前の舞台。まさかのピンボケなのですが,他に写真がないしここのところチラシや本の写真ばかりなので,こちらをアップします。かなり恥ずかしいので小さいサイズで。
 

2014-06-15

2014年6月,東京京橋,「描かれたチャイナドレス」展

 展覧会のタイトルにもチラシにも,「おや」という感じで惹かれた展覧会。「チャイナドレス」というピンポイントにテーマを絞っているのも新鮮だし,ルネサンスの肖像画の様式で描かれた女性の横顔もとても美しい。(藤島武二「女の横顔」1926-27)
 
  強い雨の日の午後,京橋のブリジストン美術館へ向かいます。エレベーターを使って2階に上がると,「チャイナドレス」展は第1室と第2室の二部屋を使った展示。1910年代から40年代初めに描かれた30点ほどが展示されています。

 図録や紹介記事からのあとづけの知識で言えば,日清戦争以降,大陸進出への足掛かりを築いた時期に生まれた日本のオリエンタリズム(東洋趣味)を表象しているのが,これらチャイナドレスを身にまとう女性たちを描いた作品ということです。

 こうしたオリエンタリズムは帝国主義的だという指摘のもと,長く議論のテーマとなっているそうなのですが,さて,1世紀近いときを経て美しい美術館の一室でこれらの絵に向かい合ったとき「鼻持ちならないオリエンタリズム」を感じるだろうか。私の答えは「否」でした。

 描かれている女性たち(中国人女性も日本人女性も)はみな,凛として正面を見据え,美しいドレスから発せられる魅力は生々しくも力強い。時が経つのも忘れて画に見入りました。

 とりわけ惹かれたのが,藤島武二の6点のうち「匂い」です。テーブルの上に鼻煙壷が描かれています。今まで鼻煙壷は,鑑賞やコレクションの対象としての「もの」の存在ばかりに目がいっていましたが,タイトルを見てはっとします。このどこか妖しい雰囲気を放つ女性は,嗅ぎタバコを楽しんでいるのです。嗅いだことのないその匂いを,ひそやかに想像してみた午後。

2014-06-08

2014年6月,初夏の遠足,茂木・益子


  しばらく更新を怠っていたら,すっかり梅雨空です。梅雨入り直前の真夏の暑さの一日,思いがけないお誘いをいただいて,茂木と益子への一日バス遠足に参加させてもらいました。益子へはアクセスを考えるとつい,二の足を踏んでしまっていたのですが,自宅最寄駅集合で一直線の快適なバス旅行,それはもう楽しい時間を過ごしました。

 まずは茂木で開催されていたファーマーズマーケットに立ち寄ります。あまりの暑さに,おいしそうな野菜やハーブの苗などはちょっと買う気になれず,瓶詰や焼き菓子などを購入。
 
 
 
 そしてどこへ行っても気になるのが古本。ファーマーズマーケットだけあって,有機農法の本や,カントリーハウス系の建築の本などが多い。晴天の空のもと,ついカラフルな表紙が目をひくメキシコの建築の写真集を購入。
 
 そしてもう1冊,マルグリット・デュラスの「苦悩」(河出書房新社,1985)も購入。これは文庫になっていないんじゃないか。陽気なメキシコの写真集とデュラスの小説(しかもタイトルが「苦悩」だ)という組み合わせに,自分の脳ミソがいかに支離滅裂かを再認識(今さら)。
 
 
 茂木から益子へは意外と近く,20分くらいで到着しました。一度行ってみたかったstarnetの前でバスを降り,お洒落な店内に感激です。さて,益子では古道具屋に寄ったり,素敵なポットを買ったりと大充実だったのですが,あまりの暑さで写真がどれも今一つ。近い内に戦利品(?)の写真を撮ってアップします。