2013-12-28

モノクロームの写真集,「我らの獲物は一滴の光」(高梨豊+吉増剛造)

  瀧口修造の詩篇を見て思い出した写真集。写真集というか,冊子体の薄いもの。勘違いしていたのだが,2003年にphotographers' galleryで開催されたのは高梨豊の個人展であり,この写真集はその図録というわけではない。高梨豊WINDSCAPEと吉増剛造「詩の汐の穴」からのイメージがモノクロームで数点ずつと,写真展に際して二度行われた二人の対談の後編が収められている。
 WINDSCAPEは走る車窓からの風景を切り取ったシリーズ。初回の対談は現場で聴講したのだけれど,ほとんど内容は忘れてしまった。この2回目の対談を読んで,そういえば高梨豊が「鉄道が発明されて初めて『風景』が生まれた」というようなことを言っていたのを思い出す。その言葉を,当時通っていた写真ワークショップの仲間に話したら,大変なブーイングを浴び,私の聞き間違いか,まったく見当はずれの解釈だったのかなあ,とかなり落ち込んだ記憶も甦ってきた。
 
 それはともかく,高梨豊は1980年代に「我らの獲物は一滴の光」と題するエッセイも上梓していて(1987, 蒼洋社),この詩句に少なからぬ共振を覚えたことは間違いないようだ。吉増剛造の言葉の導きで,高梨豊が自らの写真は「立ち上がってくる粒子」に満ちている,と語るくだりはとても印象に残る。

2013-12-25

2013年12月,栃木足利,「詩人と美術 瀧口修造のシュルレアリスム」展

 冷たい風が吹き抜ける冬の一日,特急りょうもう号に乗って一路足利へ。会期の最終日に「詩人と美術 瀧口修造のシュルレアリスム」展を見に足利美術館へ出かけました。足利市駅までの約1時間,ほとんど車窓から冬の風景を眺めて過ごす。駅からは渡良瀬川を渡って美術館へ。冬の川辺。
 
 今回足利まで足を運んだのは,瀧口修造が1958年のヨーロッパ旅行中に撮影した写真の展示がお目当てです。彼は旅行中,1200枚もの写真を撮影していたのだそう。それらがアーカイブ化され,2005年に慶応大学来往舎ギャラリーで開催された「瀧口修造1958:旅する眼差し」展を見逃したことが,いつまでも心残りだったのです。
 
 というわけで,会場1階の第1章「瀧口修造のヨーロッパの旅 1958」に足を踏み入れて,肝心の写真の数が少ないことに少々落胆する。19点の写真が展示されていました。しかもプリントがアクリル板に裏打ちするパネル仕立てになっていて,何やら旅の資料然としています。「瀧口修造の写真」を観ている,という感慨があまり湧いてこなかったのが正直なところ。
 
 それでも,雨のマドリッドやアムステルダムのボートハウスなど,半世紀前の詩人の眼差しを共有できて,しばし時空を旅する。図録には詳しい旅程も掲載されていて,とても嬉しい。いつか辿ってみたいものです。
 
 2階会場はシュルレアリスムを通覧する充実の展示。瀧口修造本人のデカルコマニー作品「私の心臓は時を刻む」より「わたしにさわってはいけない」(富山県立近代美術館蔵)は何度見ても釘付けになります。そして,フォンタナやベルメール,エルンストらの展示へと歩みを戻してみると,いかにそれらが彼の創造に多くのインスピレーションを与えたかがよくわかります。なんともスリリングな展示。
 
 最終章の野中ユリのデカルコマニーに添えられた瀧口修造の詩篇「星は人の指ほどの」を見て,おや,と思う。「若い生命の小指を賭けた狩り!/『われらの獲物は一滴の光だ』と詩人はいう」という一節があります。「われらの獲物は一滴の光」は数年前に新宿のphotographers' galleryで開催された高梨豊と吉増剛造の写真展のタイトルではなかったか。てっきり,その写真展に即してつけられたタイトルと思っていたけれど,瀧口修造が「詩人」と詠んだその人は一体誰?
 帰宅して検索することしばし,その詩人が判明しました!フランスの詩人ルネ・シャールによるものだそう。早速詩集を図書館に予約。この正月休みはしばし,フランスのシュルレアリスム詩人について思いをめぐらそう。
 
 蛇足ながら,足利市美術館では12月初に吉増剛造氏による「瀧口修造 旅する眼差し」という講演が行われ,ヨーロッパ旅行の写真のスライド上映があったのだそう。見たかったなあ。またしても痛恨の極みです。(第九の練習でいっぱいいっぱいでした。) 

番外編・メリークリスマス!

  寒い日が続きます。皆さま、どうぞ楽しいクリスマスを!
2013年11月,ブルージュにて

2013-12-21

2013年12月,東京初台,「五線譜に描いた夢 日本近代音楽の150年」展

 冷たい雨が雪に変わるかもしれないという予報が出ていた日の遅い午後,新宿へ向かい東京オペラシティアートギャラリーで「五線譜に描いた夢 日本近代音楽の150年」という展覧会を見てきました。

 19世紀後半に明治維新政府が教育制度に西洋音楽を導入して以来,「芸術文化の諸領域と連動し,さまざまな表情を見せつつ,めざましい発展を遂げ」た日本の音楽文化を,「視覚的に再構成する初めての試み」(カッコ内は展覧会チラシより)ということ。
  美術館で「観る」音楽というわけで,やはり視覚的に面白いものが印象に残ります。これぞ大正ロマン,という「セノオ楽譜」の装丁がとても楽しい。竹久夢二,中山晋平など。

 「戦後から21世紀へ」のコーナーでは武満徹の自筆楽譜の世界に惹きこまれます。この人にとって音楽とは一体何だったのか,自らの存在する宇宙の原理そのものがこの五線譜の上に描かれているようです。今回,瀧口修造の詩に導かれた「遮られない休息1」の楽譜も展示されていて,美しいピアノの旋律がどこか天上から流れてくるようでした。1は「ゆっくりと悲しく語りかけるように」。

 さて,いかに「視覚的」とはいえ,近代音楽の歴史を辿る説明のパネルも数多く,ゆっくりと時間をかけて会場を回って,にわかに音楽知識のあれこれを仕入れました。日本でのベートーベン第九の初演についての興味深いエピソードなども。

 そして第九といえば,今年はある合唱団に参加させてもらって,先日舞台に立ちました。人生で一度やってみたかった年末の第九合唱。8月から週1回のペースで練習し,何とか本番に。呪文のように覚えたドイツ語(原詩:シラー)も,日本語に直すとしみじみ,凄い(何が,と言われると困るのだけど)。
 歓喜よ,美しい神々の火花よ,天上の楽園の乙女よ!
 われら情熱に溢れ,崇高な,あなたの聖所に足をふみ入れる。
 あなたの奇しき力は,時の流れが厳しく切り離したものを,再び結び合わせ,
 あなたの柔らかい翼の留まるところ,すべての人びとは兄弟となる。
(カワイ版BEETHOVEN “An die Freude”より)

2013-12-14

2013年12月,バリ島(終),美しき島

 旅程の最後の1日は,何も予定を決めずただひたすらのんびりと過ごします。あっという間の3泊4日は,「神々の島」を実感する間もなかった気がしますが,旅から戻って写真を見ていると,確かに私の日常とはまったく異なる価値観に支配されている土地の空気を思い出します。
 
 書物からの知識をそのまま引用すれば,「バリの文化と生活においての,コスモロジー(宇宙観,世界観)の強い支配と,それにもとづく場所(トポス)の意味の濃密化」(「魔女ランダ考」(中村雄二郎著,岩波書店,p13))がそこにあるといえるのかもしれません。
 まだ戻ってきて日も浅いというのに,ずっとガイドマップを見ながら,次はここに行こう,あそこにも行ってみたい,と考えながら過ごす日々。

2013年12月,バリ島(4),ウブド/ティルタサリ楽団


 芸術の村ウブドの中心部は観光客向けのおしゃれな店がぎっしりと続いています。南部のセレクトショップでバティックやイカットの古布,アンティーク銀器などを物色しました。見事なバティック古布は日本円で数万円単位。観光客向けなので,お値段もそれなりです。美しくビーズ刺繍が施された小物など数点を購入。近くの生地屋で手頃なバティックなども。
 
 ウブド王宮のある中心部へ少し北上する途中,タマンサリ寺院Pura Taman Sariの門。寺院の入口は割り門tjandi bentarが多いのですが,ここには美しい細工の扉がついています。
 
 市街とはいえ,緑も多く通り抜ける風も気持ちがいい。夕刻を待ってプリアタン王宮Peliatanで開催される,ティルタサリ楽団Tirtasariの公演へ向かいました。「数百年の歴史と伝統に裏付けされた『本物』のレゴン舞踊を継承している」(旅行社ガイドブックより),バリ島を代表する楽団ということ。
 
 プログラムはガムランの演奏に始まり,レゴン・ラッセル,クビャール・トロンボン,レゴン・ジョボック,そしてバロン劇というラインナップです。バロン劇は短縮版でしたが,バリ芸能のおいしいところをすべて盛り込んだ濃密な約1時間半。舞台正面最前列に陣取って,異界へ迷い込んだような不思議な昂揚感にしばらくは呆然自失。ホテルへの帰路は興奮状態で役者さんたちの印象を語り合っておおいに盛り上がる!
 
 ところで,旅行の前に少しバリ芸能の知識をかじろうと読んでみたのが「魔女ランダ考:演劇的知とは何か」(中村雄二郎,岩波書店同時代ライブラリー,1990)という1冊。バロン劇に登場する悪のランダと善のバロンの対立について示唆に富む論考が繰り広げられます。バリ島旅行に際して読んだ本についてはまたいずれ項をあらためて。

2013-12-13

2013年12月,バリ島(3),ゴア・ガジャ/ペジェン

 バリ島二日目は車で約1時間半の距離のウブドにでかけました。まず,ウブド東部にある11世紀の建造物のゴア・ガジャ遺跡Goa Gajahに向かいます。大きな顔が彫りこまれた洞窟の口の部分から内部に入ると,内部は左右に大きく延びていて,左側にガネーシャ,右側に三神一体のヒンドゥー教の神であるリンガ・ヨニの石像が設置されています。どのように祈りを捧げればよいのか,戸惑いつつも,現地の人の真似をしながら,家族の健康などをお祈りする。
 内部の壁に掘られた穴は,僧侶が瞑想を行ったものということですが,この洞窟には仏教の要素も多く,いまだ解明されていない謎が多いのだそう。遺跡の敷地内からは滝が流れる渓谷に降りることもでき,ミステリーハンター気分を存分に味わってきました。駐車場からのアプローチにはずらりと露店が並んでいます。ウブドの犬。とてもかわいい。
  次に訪れたのがペジェン地区。ゴア・ガジャからは車で10分くらい,ウブドの近郊北東部にあります。ここは古いお寺がたくさんあるところ。最も大きいプナタラン・サシ寺院Pura Penataran Sasihを訪れました。「ペジェンの月」と呼ばれる大きなドラム(銅鼓)がご本尊にあたります。紀元前3世紀ごろの建造といわれ,青銅製の銅鼓としては世界最大のものということ。確かにでっかい。
 
 入口で記帳とドネーションを済ませてドラムを見上げていると,受付のおじさんが歩み寄ってきて解説を始めました。ここはバリ島のすべての寺院の中心であると熱弁をふるうおじさんでしたが,最後にひとりずつからガイド料を徴収したのにはちょっと面食らう。マハーバーラタの浮彫。

2013-12-11

2013年12月,バリ島(2),クタの夜

 羽田を真夜中に飛び立ち,デンパサール空港に到着したのは朝7時30分。一日をフルに使えるメリットは大きいけれど,機中で熟睡できないとかなり身体はきつい(多分に歳のせいです)。のんびりしながら,現地在住で,同行の友人の従姉にあたる方が迎えに来て下さる夕刻までを過ごします。

 まずは車でクタ方面へ。ヌサドゥアとはまた違って,サーファーのメッカの街は活気にあふれています。オープンして日が浅いという巨大なショッピングモールに寄ってみます。「お洒落で洗練されたエキゾチシズム」という,バリ島に対するイメージをそのまま具現化したような建物。お土産の民芸品を扱うような店はほとんどなく,ブランドや現地のデザイナーブランドなどの店がひしめく。
  そういえばもうすぐクリスマス。ヒンドゥー教の島にもサンタさんはやってくるのだろうか。店内にはちょっと不思議なクリスマスツリーやスノーハウスのディスプレイも。
  屋上のデッキに出てみると,わずかなタイミングで夕陽を見ることができました。雨季のこの時期,午後遅くから夕方にかけては降雨のことがほとんど,とガイドブックにはあったので,美しいピンク色に染まる空を見て,大感激です。
 この後は,クロボカン方面のお宅へ向かう途中,南国ムードあふれる地元のレストランでスーパーおいしい(!)インドネシア料理,バリ料理をいただきました。至福のとき。

2013-12-10

2013年12月,バリ島(1),ヌサドゥア

 機会を得て,3泊4日のバリ島旅行に行ってきました(今年はキリギリスの年と腹をくくる)。以前から興味があった「神々の島」。どんなところなのか,寒い日本を脱出して降り立った南国の地は,想像以上に強い日差しと強烈な湿気。
 
 泊まったホテルは島の南部のヌサドゥアというリゾート開発地区にあります。APEC会議の開催に合わせて整備されたという,立派な空港から立派な高速道路にのって約30分。ロビーは旅の雑誌の1ページのような佇まいで気分も上がります。南国の花の写真が多くなりますが,少しずつ整理してアップしていきます。

2013-12-04

2013年11月,東京本郷,遺跡見学会

 先週のこと,東京大学本郷構内の遺跡見学会に参加してきました。総合図書館の書庫増築工事に伴うものです。現在確認されているのは,江戸時代の加賀藩上屋敷跡,近代の東京帝国大学の旧図書館跡などです。

 発掘作業が進められている傍らで,実際に現場へ降りて説明を聞きながら見学をすることができました。これは旧図書館の玄関・書庫の基礎部分。灰が大量に発掘されたそうです。これはきっと70万冊の蔵書が火災で焼けたものだろう,という説明にちょっと震える。灰となってずっと眠っていた書物。ここは書物の墓場だったのか。重機類の色がかっこいい。(カメラを忘れたので職場のコンデジで撮影。)
 
  江戸時代後期の溶姫の御殿に伴う長局(女中の居住するところ)があった場所からはかんざしや銅鏡が,さらに江戸時代前期藩邸の家臣の空間の地下室やゴミ穴からは生活道具や武家儀礼の道具などが出土しているとのこと。これは銀(錫?)製の煙管です。(そういえばアムステルダムのパイプミュージアムには日本の喫煙道具の展示はあっただろうか。)
 
  儀式に用いられた素焼きの道具類は完全な形です。神聖なものとして毎回新しいものが使われるために,壊れていない状態で捨てられて,当時の姿のまま私たちの眼の前に現れた,というわけ。

 歴史の断層を見つめているんだ,という感慨は,博物館に陳列されているものを見るのとはまったく別の感覚でした。時間の流れと空間の堆積を体感して,見学会からの帰路はなんとなく,自分の歩く方向の前後左右上下の感覚がおぼつかない。

2013-12-02

2013年11月,東京代官山,「今日と明日の間で」

 代官山蔦屋書店で開催された首藤康之トークショーに参加してきました。ドキュメンタリーフィルム「今日と明日の間で」のDVD発売に合わせたものです。DVDになるのを首を長くして待っていたので,とてもうれしい。
 定刻ぴったりに,首藤氏がにこやかにそして軽やかに現れると,会場には歓声ともため息ともつかない声が溢れます。舞台に立っているときの,神々しいまでに張り詰めた雰囲気とは違うけれど,それでもどこか異界の人というオーラが漂っていて,間近にいるのに思わず視線をそらしてしまう。
 
 この日のトークで印象深かったのが,バレエを始めるきっかけとなった少年時代の観劇の話。DVDにもその思い出を語るシーンがありますが,「とにかく舞台というものに惹かれたのです」と語ります。緞帳があって,その向こうには「もう一つの世界」があって,とにかくそこに立ちたいと思った,と語るその言葉にはっとする。
 
 首藤康之というダンサーが舞台に立つとき,観客である私は,しばしこの世を忘れてしまう。この「選ばれし美しい人」(DVDコピーより)の手は,足は,その身体のすべてはもう一つの世界に存在しているのだ。
 
 和やかな質疑応答の時間も過ぎて,サイン会の時間になりました。(年がいもなく)ドキドキしながら順番を待ちます。大ファンです,とかこれからもがんばってください,とか何か言葉にしてみようかとも思いましたが,ぺこりとお礼だけをして帰りました。軽々しく踏み越えてはいけない結界を前にして,凡庸な言葉は小石ほどの力も持たない。
 

2013-11-23

2013年11月,アムステルダム(終),スキポール空港

 さて,最終日はお昼すぎの便でスキポール空港を出発します。午前中,ノイエマルクト広場の蚤の市を楽しみにしていたのですが,11月から3月は市はお休みになるようでした。残念。運河沿いをぶらぶらと歩き,レンブラントハウスを再び訪れてゆっくりと館内を廻りました。

  ホテルを出るときは青空ものぞいていたのに,突然の激しい雨。雹もまじり,オランダの変わりやすい天候に最後まで振り回されました。夕刻出発した友人によると,大雨のあと,虹が出ていたそうです。空港にて。尾翼の向こうにかすかに青空。
  アムステルダム6泊7日,堪能したようでもあり,まだまだ行ってみたいところもたくさんあります。またいつか再訪できることを祈りつつ。最後にお世話になった皆さまと,拙い旅行記にお付き合いいただいた皆さまに感謝の花束を。

古いもの,骨董通りで買ったもの,1800年頃のデルフト焼

  アムステルダム国立美術館の前の骨董通りに面した店のウィンドウで,こんなデルフト焼に出会いました。この皿の周りは,青と白の2色使いのものばかり。ちょっと異彩を放っていたこの1枚の色使いと文様にびびっときました。

  文様が日本風にも見えます。ブロンド美人の店員さんにしつこいくらいにアジアのものではないのか,デルフトで焼かれたものかと確認する。1800年頃のデルフトのものです,ときっぱりと返事が返ってきました。縁に少し難があり,完品ではないので表示の額より少しディスカウントしてくれる。

 手際よく梱包する指先の動きをぼんやりと見つめながら,ああ,と思う。明日,この古皿は,遠い東の国に住む女の手荷物に収まって飛行機に乗り,ここアムステルダムから長い長い旅をして,二度とこの地へ戻ることはないのだ。

2013年11月,ハーレム/アムステルダム(8),フランス・ハルス美術館/アムステルダム国立美術館ふたたび


 あっという間に6日目,11月2日は朝から雨があがり,アムステルダム駅から鉄道で一人ハーレムに向かいました。窓口でハーレム往復の切符を購入,急行電車に飛び乗る。アムステルダム駅から15分くらいで到着です。
 
 駅前からまっすぐ伸びる道を南下します。人が少ないわけではないのに,とても静か。自然と歩く速度もゆっくりしてしまう。10分くらいで到着したマルクト広場には,土曜日は市が立っています。色鮮やかな花,みずみずしい果物,そしてオランダの犬。服を販売するテントの片隅で。
 
  マルクト広場に面して立つバフォ教会は威風堂々,厳かな雰囲気です。「信仰」と「日々の暮らし」が密着した広場からさらに南下して,フランス・ハルス美術館を目指します。
 
 街の辻々に観光客に親切な道標が立ち,細い路地を見逃すことなく,美術館に到着しました。この通りはガイドブックにも書いてあった通り,本当にきれいな通りです。どこを切り取っても絵になります。

  フランス・ハルス美術館は今年,創立100周年を迎えるのだそう。元は養老院だった建物は想像していたよりもずっと大きい。中庭をぐるりと取り巻く展示室を順番に見ていきます。フランス・ハルスだけでなく,同時代にフランドルで活躍した画家の名品も数多く展示され,ブルージュで見たメムリンクや,ブリューゲルの作品なども。
 フランス・ハルスは,昨年上野で見たマウリッツハイス美術館展の「笑う少年」が強烈で,あまり良い印象ではなかったのですが,酒井忠康氏の「人間のいる絵との対話:ヨーロッパの画家たち」(有斐閣,1981)を読んでがらりと印象が変わりました。ハーレムにあるこの美術館のことも同書で初めて知りました。「老人救貧院の評議員たち」(本書表記による)に関する次のような記述は印象深いものです。

 「…不用意にことばにできない,なにかが,そこに存在する。いつのころか,ならいおぼえた人間の虚無の,どっしりとした豊かさといったものが,そこにはあるからだろう」(p.34) 
 
 平出隆氏のアムステルダムしかり,酒井忠康氏のハーレムしかり,書物が導いてくれる旅の時間は私にとって,「閉ざされたもう一つの世界」へ足を踏み入れることができる,この上なく稀有な時間です。
 
 このまま元の世界へ戻れなくなったら,という幻想小説のような展開を妄想しながら,マーケットで買ったおいしいレモン・ビスケットを頬張ってハーレム駅まで戻ります。途中,素敵なアンティークショップの店先でヴィンテージ・ダイヤに魂を奪われる。どこまでも俗物なのです。そしてお値段を見て諦める。どこまでも現実的なのです,私は。バイオリンの工房兼ショップの前で。
 さて,アムステルダムに戻ったのが午後2時を回ったころ。夕刻まで,アムステルダム国立美術館のまだ見ていない展示室を廻ろうと,トラムに乗ってミュージアム広場に一直線。地階で昨年のミュンヘン旅行で初めて知ったリーメンシュナイダーの彫刻をゆっくりと仰ぎ見ます。 

  さて,とうとうアムステルダム滞在も翌日午前中を残すのみ。後ろ髪ひかれまじ,と気になっていたデルフト焼の古皿の店に向かいます。

2013-11-19

2013年11月,アムステルダム(7),コンセルトヘボウでマーラーを聴く

 11月1日の夜はコンセルトヘボウに出かけて,マリス・ヤンソンス指揮のロイヤル・コンセルトヘボウ・オーケストラでマーラーの2番「復活」を聴きました。ちょうどこの項を書いている前日の11月18日に来日最終公演が行われましたが,コンセルトヘボウではマーラーを聴くのが醍醐味らしい。来日公演ではベートーベン,チャイコフスキーなどが演奏されたようです。日本ではチケットも高額だし(現実的),まさに本場でマーラーを聴けるなんて,過分の幸せ。コンサートは8時15分に始まるので,外観は昼間のうちに撮影したもの。ミュージアム広場からトラムの走る道路をはさんで向かい側。
今年はコンサートホールであるコンセルトヘボウと,ロイヤル・コンセルトヘボウ・オーケストラがともに創立125周年を迎える記念の年なのだそう。華やかなムードがいっぱいにあふれるヨーロッパのコンサートホールなんて,私の過ごす日常とはおよそ別世界です。ロビーホールのシャンデリア。
  友人が手配してくれたチケットで私が座った席はもう少し後ろです。それにしても美しき迫力。クラシック音楽を語る語彙があまりに貧困なので,夢のような時間だったとしか綴れないのが情けない。ブラヴォーと万雷の拍手の時に観客が一斉に立ち上がると,自分の前後左右が壁のように感じられました。オランダ人は男性も女性も,みんな大きい。

2013-11-18

古いもの,パイプミュージアムとアンティークマーケットで買ったもの,lacquerの鼻煙壷/デルフト焼のティーボウル

 パイプミュージアムには中国の喫煙文化に関する展示もあり,やはり独特の雰囲気があります。ヨーロッパのパイプからは「粋」とか「ダンディー」とかを連想するけれど,中国となると「妖美」と感じてしまうのは映画や小説からの個人的な先入観だろうか。
 
 地階のショップでヨーロッパのスナッフ・ボックスか,フェルメールで教えてもらったパイプ・ダンパーを一つ買おうと思っていたのだけれど,中国の鼻煙壷の棚を見て,この漆の鼻煙壷に一目惚れです。微細な模様と,可憐な花柄がとてもきれい。蓋のコーラルの色合いが調和していい感じです。清代のもの。はるばるオランダからやってきて,私のささやかなコレクションに加わりました。
  アンティーク・マーケットでは手頃な小物がたくさんあって,いくつか買い求めました。中でも嬉しいのはこのデルフト焼の小さめのティーボウル。ちょうど煎茶茶碗として使えるくらいの大きさです。19世紀末と書いてありました。
 
  思っていたよりも素敵な古いものにたくさん出会えて,かなり勢いがついてしまった。前日に骨董通りで見たデルフト焼の小皿もまた気になってきました。手頃というには少し値が張るものだったので,もう一日考えよう。

2013年11月,アムステルダム(6),海洋博物館/アンティークマーケット/パイプミュージアム/世界の果て書店


 アムステルダム滞在5日目,11月1日はまずはトラムでセントラル駅に向かい,駅の東側にある国立海洋博物館を訪れることにしました。駅から10分ほどの東埠頭まで歩くと,アムステルダム公共図書館Openbare Bibliotheek Amsterdamの建物が見えてきました。2007年に開館したヨーロッパ最大の公共図書館ということ。9時オープンの博物館に合わせて出かけてきたので,10時開館の図書館はまだオープンしてません。残念だけど外観と入口付近を覗き込んで直進。
 国立海洋博物館Het Scheepvaartmuseumも2007年から改修工事を行って2011年にオープンしたばかりということ。外観は古い武器倉庫で,外からは見えませんが,中庭がガラスと鉄鋼の天井で完全に塞がれていて,想像以上に規模の大きいミュージアムです。展示は海洋国家の過去の栄光と帝国主義的発想の成果を示すものが延々と続くわけですが,展示の仕方がとてもダイナミックで斬新です。 
 
 16世紀,17世紀~のものたちが生き生きと館内で躍動しているイメージと言えばよいのか,船の模型の展示もまるで自分が小さくなって船の上にいるような気分になります。映像関係もたくさんあって,大人も子どもも楽しめるミュージアムでした。船旅を体験できるという3D(約15分だったかと)は船酔いしそうだったので(…)パスしました。屋外には東インド会社の帆船アムステルダム号(復元)が展示されています。雨で通路がすべりがち。落っこちないように気をつけよう。

 思いのほか,たっぷり時間をかけてしまい,かなり歩いたこともあって帰路はセントラル駅までバスに乗ります。図書館は,まあいいか,ということにしてしまった。さて,駅からはまたトラムに乗って,市街の西に位置する屋内のアンティークマーケットを目指します。入口は小さいけれど,中に入ると広いこと広いこと。ぐるぐる歩き回って,魅力的なものをいくつか見つけて購入。デルフトのティーボウル,ハンガリーの香水瓶,ほかにワイングラスや絵皿なども。
 
 さて,次に向かったのはPrinsengrachtにあるパイプミュージアム。ここは,夏休みに金沢のアンティーク・フェルメールを訪ねた際,店主の塩井さんが薦めてくれたところ。ミュージアムの入口がわからず,地階のショップに入って尋ねたら,そこが入口になっていました。入館にはミュージアムカードが使えます。階上の展示室を丁寧な説明をしてもらいながら1周,各国の古いパイプコレクションが圧巻です。地階のショップで素敵な鼻煙壺に出会いました(次項で)。
 あっというまに夕刻です。日暮れの前に,毎週金曜日にスプウ広場で開かれているという古書市へ大急ぎで向かう。American Book Centerの前の広場が会場になっています。英語の画集や写真集も多く,目移りしてしまうのですが,これぞ,というものはなかなか見つかりません。ラルティーグが少年時代に撮影した写真集BOYHOOD PHOTOS OF J.H. LARTIGUEのソフトカバー版があって,そのときは本の状態がよくないし,20ユーロ(3000円弱)は微妙だし,と思って購入しなかったのを今は後悔(こんなのばっかり…)。
 すっかり日が暮れてきました。スプウ広場からSingel運河沿いに少し北へ歩きます。今回,ぜひ訪れたかった書店へ。平出隆がドナルド・エヴァンズをたどってアムステルダムに滞在したときのことを綴った短いエッセイが「ウィリアム・ブレイクのバット」(幻戯書房)というエッセイ集に収められています。その目次の最初に登場するのが「世界の果て書店」という名前の書店です。
 
 エッセイでは「運河沿いにある」「第三世界や辺境の本を扱う」「地階には,音楽関係を扱う世界の果てミュージックがある」「壁に世界の果て書店と書いてある」という記述しかありません。しかも平出氏が訪れたのは1980年代のこと。いろいろ検索したものの現地での住所はおろか,店名もわからず途方にくれていたところ,書店をはじめ,オランダのいろいろな情報を紹介しているアムステルダム在住の日本の方のブログを見つけたのが出発の10日ほど前。半ばすがる気持ちでコメント欄から質問してみたところ,すぐに「世界の果て」という意味のフランス語Bout du Mondeという名前の書店がシンゲル運河沿いにあると教えてくださったのです!お店のアドレスやHPも教えていただき,1970年代から開業しているというこの店に間違いないだろう,という確信のもとでかけてみました。
 
 現在扱っている本はインドや精神世界に関するのものが大きな比重を占めているようですが,アフリカやアジア関係のたくさんの本。そして入口の右手側の階段の地下には古いLPレコードがぎっしりと詰まったショップも。別の名前の看板が出ていましたが,「ここも以前はBout du Mondeという店名でしたか」と気難しそうなレジのおじさんに聞いてみたら,「??」という沈黙のあと,Yes.と一言。間違いあるまい(私の英語がちゃんと通じていたら)!
 こうしてまた,画家の人生を辿る詩人の旅の一コマを辿ることができて,本当にうれしい体験となりました。本当に親切で心優しい方のおかげです。階段でこけそうになりながら,通りに出て何枚も写真を撮りました。日の暮れたアムステルダム,運河のほとり,「世界の果て書店」。一生忘れないと思う。

2013-11-17

2013年10月,アムステルダム(5),ゴッホ美術館/American Book Center

 一旦 アムステルダム国立ミュージアムを出て,昼食がてら運河側のNieuwe Spiegelstraat通りの骨董店を覗いてみました。古いデルフト焼のタイルやプレートがずらりと並ぶ店のウィンドウで一つ気になるデルフトの小皿に出会う。この小皿の顛末記はまた後ほど。

 ところで,今回の旅は美術館めぐりが主な目的だったので,最初にMuseum jaarkaart(約50ユーロ)を購入しました。これはオランダの主要な美術館の入館に使える1年有効のカード(特別展で3~5ユーロほど別料金がかかるところもあり)。初日ですでに元は取れましたが,この日も「後日国立ミュージアムにまた来るとして,午後はゴッホ美術館に寄ってざっと見てからまた国立ミュージアムで友人とおちあう」みたいなことが気楽にできて便利でした。アムス旅行にはほかにも交通機関と組み合わせたカードなど,便利なカードが数種類あります。

 ゴッホ美術館はせっかく来たからおさえておくか,という感じで入館したのですが,彼の人生をたどる展示はとてもスリリング。リートフェルト設計の本館は建物そのものが一つのアートで,何気ない角度で撮った1枚も「りートフェルトの作品」になっているのがとても魅力的です。
  地下階でつながっている新館は黒川紀章の設計。残念ながら展示替え中で中には入れませんでしたが,接続部分や地下スペースのショップは六本木の国立新美術館となんとなく似てる。まあ,それはそうか,と一人ごちる。

  さて,夕刻近くなって国立ミュージアムに戻り,オランダ統治時代のジャワ島の文物や,船の模型なども面白く見て,地下階の1100‐1600年代の展示を残して時間切れ。食事には少し早い時間だったので,スプウSpui広場の書店American Book Centerへ。

 「世界で最も美しい書店」や「世界の夢の本屋さん」(ともにエクスナレッジ)に登場する書店です。店名通り,英語の本を扱う書店で,吹き抜けの黒い書棚が圧倒的。黒だと,本を引き立てるけれど,棚の上段はほこりが積もると目立ちそうだな,拭き掃除が大変だろうな,と余計な心配をする。そして上述の2冊に掲載されている「書店の写真」がとりわけ美しいのだ,といいうことをしみじみ実感して(何たるへそ曲がり),せっかく来たのだからとSusan Sontagのペーパーバックを1冊購入して店を出ました。
 さて,この日も冷たい雨が降ったりやんだり。気温も低くてつい,遠出するより市街で過ごすことを選択してしまいます。翌5日目も夜にロイヤルコンセルトヘボウのコンサートがあるので,昼間はアムステルダム市内で過ごすことにしました。

2013-11-15

2013年10月,アムステルダム(4),アムステルダム国立美術館

 4日目,10月31日は一日ゆっくりアムステルダム国立ミュージアムRyks Museumに時間をかけることにしました。今年4月,10年に及ぶ改修工事が無事終了してリオープンしたということで,今回の旅行の大きな目的の一つ。改修工事の難航した様子が映画になったりもしていましたが,無事開館したことは世界中の美術ファンにとって幸せな出来事と言えるのでは。この日もたくさんの来館者でにぎわっていました。
 改修工事で,自転車ユーザーの市民から現状保存が熱望されたという,グラウンドフロアの通り抜け。運河側からミュージアム広場へこのまま通り抜けることができます。自転車もたくさん行きかっていました。
 
 内部はとても明るく,開放的な印象です。右翼と左翼の動線がややわかりにくい。ただ,途方にくれる広大さではなく,最初に目的を絞り込んでおけば一日で廻れるかな,という感じ。それにしても歩く距離はきっと膨大なことになりそう。まずは元気なうちに,目玉のフェルメールとレンブラントをおさえようと2階の「名誉の間」と「夜警の間」に向かいます。
 
 おお,フェルメールが4点並んでいるコーナーには開館直後というのにすでにたくさんの人。「牛乳を注ぐ女」と,手紙に関する作品が2点,「恋文」と「手紙を読む女」。そして「デルフトの小径」。日本だったらこの4点を見るのに4日かかるだろうなあ,というのが一番の感想(おい…)。そしてしばらく通路の反対側の椅子に座って観察していると,「牛乳を注ぐ女」の前はちょっとした撮影会場みたいになってきた。どうしてそんなに携帯で作品を撮りたいのだろう。絵葉書を買えばいいじゃないか,と写真を撮る人たちを写真に撮る(ちょっとピンボケ)。 

  レンブラントの「夜警」の前もたくさんの人が押し合いへし合い。日本の美術館みたいに「立ちどまらないでください!」と怒られながら鑑賞するのもなんだけど,がやがやした広場みたいな場所で見るのもなんだな,というのが一番の感想(おいおい…)。そういう意味ではレンブラントは「名誉の間」にある「ユダヤの花嫁」や自画像をじっくり見ることができたのがよかった。

 同じ「名誉の間」で強く印象に残ったのがフランス・ハルス。昨年の夏,「真珠の耳飾りの少女」と一緒に来日したにかっと笑う少年像が強烈だったけれど,彼の描く「黒」の表情に魅了される。黒い衣服。黒い帽子。黒い眼。迷っていたけれど,ハーレムにあるフランス・ハルス美術館へも足を延ばしてみよう,とこのとき決めました。

  さて,この美術館でぜひ行きたかったのが図書閲覧室。雑誌などで「世界の美しい図書館」」みたいな特集があるとよく登場するので,期待度満点。ドアを開けるとそこは夢のような空間でした。1階の入り口付近には世界中の美術館で開催されたオランダ美術の展覧会図録も配架してあり,日本の美術館の図録もきちんと並んでいました。アジア美術のコーナーには,今夏に東京国立博物館で開催された「和様の書」展の図録もあり,世界規模のミュージアム・ネットワークに感心する。
 さて,この日は昼食で一端外へ出たついでに近くのゴッホ美術館にも立ち寄ったこともあって,夕方5時の閉館時までにすべての展示室を廻ることができませんでした。まだ日程は二日残っているので,どこかで残りを見ることにしよう。次稿はゴッホ美術館と,夜になって訪れたアメリカンブックセンターです。