2022-12-31

読んだ本,「アイルランド紀行」(栩木伸明)・「アイルランド絵画の100年」展図録

 この12月いろいろあって,すっかり更新を怠ってしまった。健全な思考は健全な肉体に宿るということを改めて痛感した日々。

 読書も進まなかった。「アイルランド紀行」(栩木伸明 中公新書 2012)をようやく読了。著者はしがきによれば,「自分の記憶と他人の記憶を寄せ集めて,新しいディンシャナハスのアンソロジーをこしらえてみたい」ということ。ディンシャナハスとはアイルランドの
地名が秘める起源や由来の物語のことだという。(はしがきⅲより)

 目次を繰るだけでわくわくしてくる。「ケルズの書」、ジョイス「死者たち」・「ユリシーズ」、ベケット、イェイツ、オスカー・ワイルド「ドリアン・グレイの肖像」などなど30の短編はどれも独立していて,まさにアイルランドを旅する気分を満喫できる。

 そして今まではつい読み飛ばしてしまっていたかもしれないのが「語り出す数々の顔」の章で紹介されているルイ・ブロッキー。しばらく前にベケット「いざ最悪の方へ」を読み返し,口絵のベケットの肖像がその手によるものだと再認識した画家である。この章ではダブリン市立ヒュー・レーン近代美術館所蔵の「クロンファートへの賛辞」他について語られる。

 いつかどこかの古書市で手に入れた「アイルランド絵画の100年」展図録(1997)にまさにその1枚の図版が掲載されていた。クロンファート修道院という古い修道院遺跡の壁には人頭の浮彫がずらりと並び,古代ケルト人の人頭崇拝がキリスト教と結びついたものだという。

 図録の解説によれば,ルイ・ブロッキーは「人間のイメージをその頭部にのみ託し,個々の精神のみならず,私たちが共有する過去のイメージもまた喚起させようとした。これらの頭部は(略),それらは相互に孤立しており,精神が存在する魔法の箱としての頭部という,古代ケルトの信仰を視覚的に具現化した」のだという(図録p.93)。

 まさに「語り出す」顔をじっと眺める。そしていつかダブリンへ、ヒュー・レーン近代美術館へ、そしてまたいつか彼がインスピレーションを得たというパリの人類学博物館(現ケ・ブランリのことだと思う)を訪れることができる日を夢見て2022年を終えることにしよう。
 来年はもう少しちゃんと(?)更新します。読んで下さった皆様,ありがとうございます。どうぞ良いお年をお迎えください。

2022-12-04

2022年11月,東京上野毛他,「西行」展他

 いくつか気になる展覧会があって,久しぶりにぐるっとパスを購入しました。とてもお得なのだけれど,生来の貧乏性ゆえ,元を取らなきゃと必死(?)になってしまいます。じっくり見たり考えたりというプロセスがおろそかになってしまっているのですが、とりあえず忘備録として。

 まずは五島美術館で「西行 語り継がれる漂泊の歌詠み」展(12月4日まで)。古筆を中心に絵画・書物・工芸などなど。東博や京博からも国宝がずらりと並んでいて,西行という歌人が語りかけてきたものを辿ることができる展覧会です。

  私にとって西行は辻邦生の「西行花伝」に描かれた世界がすべて。自筆の手紙など見ていると,辻邦生の作り上げた小説世界と現実が交錯してきて,夢中で読んだ日々を思い起こさせる体験となりました。

 六本木の泉屋博古館では「板谷波山の陶芸」展を。これだけまとめて見たのは初めて。とにかく「麗しい」という形容しか思いつかない。廣津美術館蔵の「彩磁蕗葉文大花瓶」は「完璧な美」というものを目の当たりにして圧倒されます。 

 大倉集古館ではコレクション展の「信仰の美」展を。大倉喜八郎が蒐集した中世から近世にいたる仏教美術の優品がずらりと並びます。「審美眼」という言葉の意味が具現化されているような展覧会。
 もう1つ、汐留のパナソニック汐留美術館では「つながる琳派スピリット 神坂雪佳」展を。琳派の優品と,その精神を受け継ぐ神坂雪佳の図案・絵画を楽しんで大満足。