2014-10-29

2014年10月,大分日田,小鹿田焼の里

 このところ過ぎていく時間の速度と,体力の消耗と回復のサイクルがまったくかみあわず,この場所に記憶として書き留めておきたいことがどんどんたまってしまっています。少しずつ,と思っていると忘却の速度もまた加速していくばかり。これではいかんです。というわけで今回は小鹿田焼の里のことを。
  毎年10月の第二土曜日・日曜日は小鹿田皿山で秋の民陶祭が開催されます。民陶祭では各窯元が軒先で販売するだけでなく,アウトレット扱いの品もたくさん販売されると聞いていたので,鼻息も荒く(?)いざ皿山へ。ぽってりとしたピッチャーが今回のお目当てです。

 福岡市内でレンタカーを借りて,大分自動車道日田インターまで約1時間,そこから約30分の距離。10軒の窯元が集まる集落の中心には清流が流れ,絵に描いたような美しき山里です。

 小鹿田焼のピッチャーには,バーナード・リーチが滞在したときに取っ手のつけ方を指導したという逸話が残っているそう。坂本窯でまさに思い描いていた通りのものに出会う。絵付けのないシンプルな白を選んでみました。現地では色や文様にかなりバリエーションがあって,とても楽しい。

 たくさん買っても,ヤマト便のテントが待ち構えて(?)います。湯呑や小壷など手頃なおみやげもいくつか買って知人・友人に差し上げて,自分用のはこんな感じ。いやあ,台風の近付く中,初志貫徹!あきれ顔の家人をよそ目に,こういうことには強い意志を持って行動できるんだな,と思わずドヤ顔。

2014-10-21

2014年10月,福岡市博物館・福岡アジア美術館,金印と福岡アジア美術トリエンナーレ2014

 まだ台風が近付く前で,気持ちのよい秋空が広がっていた午後,博多駅前から福岡市博物館まで路線バスを利用して出かけてみました。路線バスなのに,海岸線は都市高速を走る!海の向こうはすぐ朝鮮半島なわけで,バスの車窓に広がる風景はなんとなくアジアな雰囲気を感じます。博物館エントランス前の広場が水平に広がる感じも大陸っぽい(独断です)。
 目的は志賀島出土の金印「漢委奴国王」です。小学生の頃から画像として刷り込まれているけれど,実物を前にしたときは思わず鳥肌ものでした。そうか,こんなに小さいのか。今もまぶしい輝きを放つ小さな塊が,この国の成り立ちを物語っていることを丁寧でわかりやすい展示パネルや関連展示をたどりながら学ぶことができます。
 
 いやあ,こんなに感激するとは。東京国立博物館で開催中の国宝展にも期間限定で出品されるということなので,また見にいきたい,でも大行列になるかな,と思いを巡らしています。
 
 さて,福岡市の中心部に戻って「福岡アジア美術トリエンナーレ2014」が開催されている福岡アジア美術館も訪ねてみました。
 「アジアの現代美術」というのは私にとってはすでに一つのジャンルとしてあって,この日もそれほど新鮮な驚きというのはなかったのですが,いくつか心に残ったものを。ミャンマーのミン・ティエン・ソンの「異界(戦車)」。福岡で製作されたもの。複雑からシンプルへという軽やかな転換が面白かった。
 
 ペマ・ツェリン(ブータン)の「時の音」という短い映像は,何も事件が起こるわけではなく,淡々と始まって淡々と終わります。完璧なまでに素朴に「作られた」作品です。ブータンという国への憧憬もあって,とても印象に残る作品でした。
 
 この展覧会のタイトルは「未来世界のパノラマーほころぶ時代のなかへ」。会場に溢れる「どこかなつかしい未来」の持つエネルギーに圧倒されて時間を過ごしました。そして,福岡とアジアの距離感は,関東のそれとは比較にならないほど近いのだ,ということも実感。


2014-10-19

2014年10月,福岡大濠公園,「更紗の時代」展

 10月の第二土曜日・日曜日にかけて福岡に行ってきました。そうです。台風19号が直撃した週末のこと。なんとか無事に戻ってきたものの,周囲からは「アホか」という冷ややかな反応でした(涙)。

 天気図を見ながら,これはまずいことになりそうだと思った(もとい,確信した)ものの,ずっと前から計画していた福岡行きを決行したのは年に一度開催されるお祭りが目的でした。祭りと言っても,市内で大規模に開催されるものではなく,日田の山里で開催される小鹿田焼の民陶祭です。顛末は次々回に。

 まずはこれも楽しみにしていた「更紗の時代」展が開催中の福岡市美術館を訪ねました。バス停の前の蓮池。あれ,この時期に花が咲いてます。レンガ造りの外観は東京都美術館と雰囲気が似ている気がします。

「更紗の時代」展はとても興味深い展示です。解説文には「(略)更紗の美はグローバルな価値観となった。本展は,世界中が更紗を求め,美意識を共有し,交流した約500年にわたる時代をたどる」とあります。まずは16世紀のインド更紗から始まり,大航海時代のヨーロッパ参入以後,日本への浸透,そしてヨーロッパやアジア諸国での受容の姿が美しくたどられていきます。

  理屈を超えてとにかく好きというわけで,どの作品も個人的な好みとか体験から見てしまう。「生命樹文様」の16世紀インド更紗などはこんな布が部屋に1枚掛けてあったならいいなあとか,少ない分量の布を丁寧に仕立てた彦根藩や前田家伝来の仕覆や包裂などはこの手にとって実際に使ってみたいとか思ってしまいます。裁断するたびに印を押して管理していたという前田家伝来の更紗には,わかるわあ,大事に使いたいよねえ,と実感。

 展示の後半はインド更紗を目指してヨーロッパ,インドネシア(ジャワ更紗),日本で独自に創造された更紗と,そして最後は「更紗の子孫」ということでアフリカのカンガも多数出品されていました。もりだくさんの内容でとても見応えのある展覧会です。

 ところで展覧会のチラシがとてもすてき。裏面は一面のプリントになっています。このまま額に入れて飾ってもよさそうです。

2014-10-05

読んだ本,「盤上の海,詩の宇宙」(羽生善治 吉増剛造)

 以前,NHKのアーカイブ放送で同名の番組を見て以来,是非活字で読んでみたかった本。詩関係の古書が多い渋谷の中村書店で偶然見つけて手に入れました。二人の対話は言葉は平明でも,立ちどまりながら読まないとなかなかついていけない。実際の対談が行われたのは1997年のこと。
 第二部の羽生氏が語る「漠然とした不安と狂気」には思わず惹きこまれる。「ほんとうに真剣に打ち込んでその道を究めようとかその道一筋でやっていこうっていう人っていうのは,一種の狂気の世界っていうか何かそういう線を超えないとその先が見えないということになるような気がします。」(p.126より)
 
 そして対話の先に吉増氏は「なぜ詩を書くのか,誰に向かって書くのか」と問われてこう答える。「(略)たとえばある芸人が,誰もお客さんがいないときに,誰も見てくれる人がいないときに,お堂かなにかに入っていって,ご本尊の前にろうそくでも一本立てて,その前で芸をして,誰かが見てくれるように自分を置くようなものです。その誰かを神という必要もないとも思うんです。」(p.135より)
 
 タイトルは羽生氏の「盤に向かって潜る」という言葉に因るもの。「将棋は奥深い書物を読むこと」などなど印象的なフレーズが溢れていて,雨の日曜日に読書の至福を味わいました。
 
 ところでこの本は一部と二部の間に二人のポートレートがそれぞれ十数枚,見開き約30ページを使って掲載されています。撮影は荒木経惟。ここでは写真家の狂気が垣間見られます。