2015-03-01

2015年2月,東京溜池山王,ショスタコーヴィチ

 先月はとうとう1回しか更新できませんでした。人生そこそこの年月を過ごしてきて,これほど心身の負担が大きかった日々があっただろうか,という2月でした。すべての悩みの根源であった昨春以来の職場を離れることを決めて,開放感に浸っています。(すべての事象は一方通行ではないわけで,私が迷惑をかけてしまった各方面には謝罪の言葉もないのですが。)忘れないうちに2月のできごとをいくつか忘備録として。
  2月7日,久しぶりにサントリーホールへ。広上淳一指揮の読売交響楽団でハチャトゥリアンとショスタコーヴィチを聴きました。交響曲第5番は「社会主義リアリズムの高尚な理想」と評されたらしい,という漠然とした予備知識しかありませんでしたが,プログラムの解説には「最終楽章の輝かしい高揚は,精神的葛藤の超克だろうか,あるいは,そこにアイロニーやパロディの匂いを嗅ぎとるべきなのだろうか」とあります。

 「ショスタコーヴィチの証言」(中公文庫)にはこの最終章について「あれは強制された歓喜なのだ」という記述があるらしい(某ウィキペディアで仕入れた知識。しかも同書には偽書説もあるのだという)。

 藝術を楽しむときに,ポリティカルな側面に対する無知・無関心を決め込むことは愚かな態度だとはよくわかっているのだけれど,読むべき書物の膨大さにひるんでしまうのも事実。手元にある吉田秀和のエッセイ「新・音楽展望」(朝日新聞社1994)の目次にショスタコーヴィチの名前を探して,その人生のごく一面をかじった気になっておくことにしてしまおう。

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