2024-04-04

2024年3月,東京竹橋,「中平卓馬 火|氾濫」

 

 国立近代美術館に中平卓馬を見に行く。雑誌や写真集に発表された仕事のオリジナルの誌面の展示が新鮮で,それらを通して時代の空気をまとった写真と写真家の眼を丹念に辿る。初期から晩年まで約400点の作品・資料が展示されているので,かなり時間をかけて会場を回ることになる。

 プリントの展示では何といっても1974年の「15人の写真家」の出品作の原作品を見ることができて感激。ただ,2018年のモダンプリント作成時の展示は見に行ったので,その一つ一つの作品は既視感のあるものだ。モダンプリントも手前の部屋に展示されていて,否応でもオリジナルと複製について考えさせられる。

 サーキュレーションの復元展示もなるほどこういう感じだったのか,というのはおもしろかったけれど,ほんの数枚の当時のオリジナル写真の放つ圧倒的なオーラには叶わないな,とそんなことを考える。これらのオリジナル写真は横浜美術館の原点回帰展でも見たはず。

 そう,初めて見る資料ももちろん多かったけれども,白状すれば既視の作品の前では確認作業のようになってしまったのも事実。やはり横浜美術館で初めて「中平卓馬」を知ったときの衝撃があまりに大きかった。

 そういう意味で,今回驚いたのは中平卓馬の記録日記の存在だった。ホンマタカシの映画で睡眠時間などを記録した短い日記の存在は知っていたけれど,日常の出来事とそれに対する心情や製作への思考などが緻密に綴られた日記の展示に驚いた。

 図録によれば,1978年から90年前後までの膨大な日記が今回の展示の準備のために遺族から国立近代美術館に貸与されたのだという。経緯やその意義を知りたくて分厚い図録を購入。論考「中平卓馬『記録日記一九七八年』について」は倉石信乃氏による。

 詳細な分析と論考を時間をかけて読む。膨大な写真と膨大な言葉。その意味を考えながら。そして論考の最後に引用されている稲川方人の書評(「新たなる凝視」についての)の出典が「彼方へのサボタージュ」(小沢書店 1987)とあるのにちょっと驚く。書棚に眠っていたこの本に,そんな書評が含まれていたとは。次から次へと導かれるようにして読書の日が続く。

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