2013-09-11

読んだ本,「死語のレッスン」(建畠晢)

 楽しみにしていた建畠晢の最新詩集「死語のレッスン」(思潮社)を読む。出版社で在庫が少なかったのか,注文してから2週間ほど待って入手しました。期待度満点で読み進める。
  「死語のレッスン」とは一体何を意味するのか,扉に詩人の言葉があって読み手を導いてくれる。「死語の誕生とは言葉が迎えるもっとも根源的な出来事であるだろう……。私はあえてその夢想の光景を追うことにする。以下の連作は,そのためのささやかなレッスンである。」(p.27)

 「娼婦」「刺客」「燐寸」「老嬢」「出奔」…。死語が誕生する,というまるで言葉遊びのような矛盾。とらえどころのない言葉と同様に,詩人の夢想の光景はどこまでも広がっていく。「老嬢満載のトラックが横転」したのは一体いつの出来事だろう,「小走りで出奔した」フキボルという地名は世界のどこかに実在するのか。

 「さしたる諍いがあったわけではない。過ぎ去らぬ声が疎ましかったわけでもない。小屋の中では固有名のない影がただ穏やかに揺れていた。むしろその平穏こそが,時代に遅れた出奔を促したのであった。それから先の偽りの固有名こそが,死語の出奔の哀しくもあいまいな体験なのであった。」(p.59「フキボルまでは,小走りで」より)
 
 ゆっくりと数篇ずつ読み進めたこの数日間,満員電車の乗客をかきわけてホームに降り立つたびに,フキボルへ,フキボルへ,と声に出さずに幾度も呟いてみた。

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