2017-10-15

読み返した本,「浮世の画家」(カズオ・イシグロ)

  カズオ・イシグロのノーベル文学賞の受賞のニュースには驚いたものの,じんわりと喜びに浸されている。最新作(「忘れられた巨人」)は私にはピンとこなかったけれど,寡作の新作を楽しみに読んできた作家の受賞は,身震いをするような感じとでも言えばよいだろうか。

 とは言え,10年以上も前に読んだ初期の作品の記憶は曖昧で,書棚から引っ張り出して再読を始める。まずは「浮世の画家」An Artist Of The Floating World(早川epi文庫)から。最初の邦訳は1988年に中央公論社から出て,1992年の中公文庫のあと,2006年に早川から再販されている。

 どのタイミングで読んだのかまったく覚えていない。「記憶」を描く作家の読者として許してもらえるだろうか。NHKで再放送された白熱教室でも,カズオ・イシグロは「自分の中の日本の記憶をとどめるために」小説を書き始めた,と言っていた。

 記憶の中の日本を舞台にした第1作「遠い山なみの光」A Pale View of Hillsに続き,この作品の舞台も戦後の日本である。ただ,この二作を書いたあと,自分は日本を描く作家だと思われないように「日の名残り」を書いたのだが,「日の名残り」と「浮世の画家」は舞台が違うだけで内容は同じなのだ,と語っていたのが印象に残る。

 年老いた画家が回想するのは過去のゆるぎない信念であり,語っている今,直面しているのは時代の新しい価値観である。自己の存在はそのとき,揺らぐのか否か。そしてそのとき,画家が立っている「場所」とはどこなのか。

 イシグロは「作品の舞台を設定するのにものすごく時間をかける」と語っていた。その「場所」は日本でありイギリスであり上海であり,しかしどこでもない。読者である私はイシグロを読みながら,追い続けるのだ。作家を。主人公の生きる場所を。そして自分の「場所」を。 

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