2018-07-29

読んだ本,「聖女伝説」(多和田葉子)

 多和田葉子の「聖女伝説」(太田出版 1996)は不思議で不可解な小説だ。文体はすらすらと読みやすく,読み進めるのに苦労しない。しかし,読み終えてはたと気付く。私は一体,何を読んでいたのだろう。「わたし」という少女の独白は,鶯谷さんや孔雀先生やヒバリたちとの不思議な関係の網の目をくぐるように羽ばたいていく。
 出版社の惹句には「性と生と聖をめぐる少女小説」とある。聖人を生むことなく,自らが聖人となろうとした少女の「新しい聖書」ということだろうか。
 
 多和田葉子の以降の小説世界を理解するための小説と捉えるのは本末転倒のような気もするが,しかし,言葉は常に遅れてやってくるものとすれば,近作の愛読者である私にとってはとても興味深い作品であることには相違ない。
 
 ところで,この小説,興味深い一節を引用しようとしたら,なんとノンブルがない。聖人になりたいと語る場面。カフカの「掟の門前」を思い出す。
 
 「<聖人を生むのが嫌なんです。わたしはマリア様にはなりたくない。わたしは,自分が聖人になりたいんです。>/その時,イエスも,マリア様の子宮の門を通って,この世に生まれてきたのだと気がつきました。イエスは,いくら血と肉を獲得するとためとは言っても,そういう湿った粘膜の門を潜って出るのはとても嫌だったに違いありません。だから,その門のことを忘れるために,別の門を作ったのかもしれません。(略)たとえば,天国に入るための門。礼拝堂の門。信者の町の門。門の中では正義が行われ,門の外には悪がはびこっています。異教徒が襲撃してきて,壊そうとする門,それは勝手に暴れ狂う海の吐き出す洪水,異教徒の槍の輝きから,我が身を守ってくれる門です。」(p.122*より引用。*頁番号は引用者のカウントによる)

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