2021-05-16

読み返した本,「金閣寺」(三島由紀夫)

 初読はいつのことだったか,もしかしたら数十年前の高校生の頃だったかもしれない。内海健氏の「金閣を焼かなければならぬ」に導かれて再読してみた。(新潮文庫 1956(2008・123刷))

 細部はほとんど覚えていなかったが,「私」=溝口の告白に三島自身の声を重ねてじっと耳を傾けながら頁を繰り進める。「100分で名著」でも触れられていたが私たちは三島由紀夫の最期を知っている。知っている者として読んでいる。しかし,文庫本巻末には昭和35年の日付の中村光夫氏の解説が載っていて,思わず身震いしてしまった。

 青年僧と三島由紀夫の精神分析についての知見は「焼かなければならぬ」で十二分に学ぶことができたので,ここでは「美」についての描写を拾って読書の忘備とする。

 「私の関心,私に与えられた難問は美だけである筈だった。しかし戦争が私に作用して、暗黒の思想を抱かせたなどと思うまい。美ということだけを思いつめると、人間はこの世で最も暗黒な思想にしらずぶつかるのである。」(p.62)

 「私には美は遅く来る。人よりも遅く、人が美と官能とを同時に見出すところよりも、はるかに後から来る。みるみる乳房は全体との連関を取戻し、…肉を乗り超え、…不感のしかし不朽の物質になり、永遠につながるものになった。」(p.191)

 「…その細部の美を点検すれば、美は細部で終わり細部で完結することは決してなく、どの一部にも次の美の予兆が含まれていたからだ。細部の美はそれ自体不安に充たされていた。それは完全を夢見ながら完結を知らず、次の美、未知の美へとそそのかされていた。そして予兆は予兆につながり、一つ一つのここには存在しない美の予兆が、いわば金閣の主題をなした。」(p.321)

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